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フォリアの「ロウムラ加工」について

フォリアでは文様染において、糸目糊や伏せ糊だけでなく、ロウも良く使います。文様の伏せにおいてはロウの方を多く使います。

(糊系は、ロウを併用することが多いため、ゴム糊です)

しかし「いわゆるロウケツ染」という作風のものを作るためではありません。

フォリアがロウを多用するのは「生地の風合いを可視化するため」です。

現代、プリント技術が大変高度になり、プリントの染物の良質なものが廉価に販売されるなか、

フォリアでは「手作りでしか出来ない染・文様染を行う」ということを常に意識しております。

実際、手作りのものは高価になってしまいます。しかし高価であるのは「手作りだから高い」のではなく「手作りでしか出来ないから価値がある」ものでなければなりません。

そこで私にとって大きなテーマになるのが「手染め加工による、生地の風合いの可視化」なのです。

なぜなら、昔の染物には実に豊かな表情があるからです。それを、現代の解釈と技法で表したいと思うのです。

その考えを、極シンプルに表した仕事がフォリアの看板仕事である「全面ロウムラ加工」です。(下写真・紬着物全体像と部分)

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上写真の着物は、着物の全長・全面に、ただ白ロウを(ハクロウ)べったりと置いて上から染料を擦り込んだり拭き取ったりして生地の風合いやニュアンスを最大限に可視化した、ある意味極めて単純な仕事です。

(業界では、ロウを塗る、ではなく、置くと言います)
(白ロウは、防染力が弱いので、ロウを通して生地に色がかぶりやすい)

着物だと、表地で、だいたい長さ13〜13.5m・幅38〜40cmぐらいです。

その長い生地を張り、全面に溶かした白ロウを刷毛でべったりと置きます。溶けたロウを刷毛で置く際には、極力均一に置くようにしますが、どうしてもムラになります。その「どうしてもムラになってしまうムラ」が良いのです。ワザとムラにしたものは「あざとさ」があって、いやらしい感じになります。

やることは極めて単純なのですが、ロウを置く際に、継ぎ目を作らず、偏りが無いように、割れ目や傷を作らず、味良いムラにロウを置くのは、なかなかの技術が必要で、痛みやすい白ロウの様子を観察しながら染料を擦り込んだり拭き取ったりする加減も大変むづかしい仕事です。

どんなに気をつけて作業をしても、ロウのムラや傷や割れ、色のかぶり加減のブレは「全面ロウムラ加工」の仕事ではどうしても起こりますが、それは焼締めの陶器の肌のようなこの加工独自の「危うい味わい」として楽しんでいただければと思っております。また、均質過ぎてもこの仕事は面白くないのです。

白ロウはだいたい2kg程度使います。

生地に塗りつけたロウは、染め終わった後に、わら半紙で生地の上下を挟み、アイロンでロウを溶かし紙にロウを吸わせるのを繰り返して取り除きますが、ロウを取るためのわら半紙は着物だと500枚以上使います。

ちなみに、紙でロウを取った後も生地にロウが残っているので、それは揮発油洗いで完全に取り除きます。それは専門業者さんに外注します。

(*フォリアの技法の解説=ロウについて ←こちらの記事の真ん中辺りに、ロウ取りの動画があります)

「全面ロウムラ加工」は、地味に手が込んでいて、制作する側は大変な仕事ですが、仕上がりは他に代え難い危うさと味わい、色気のある染物になるので、人気のある仕事です。

ロウでムラ染加工をしたものなので「ロウムラ加工」と工房内で呼んでいたら、それが当工房でのこの手の技法の業界での通り名になってしまいました。

普通一般の糸目友禅では、文様の伏せは糊で行い、文様部分に地色が全く入らないように加工します。使う生地によって文様の味わいは変わりますが、生地そのものの特徴が全開というわけではありません。「主眼は文様や色で、生地の味わいは可視化はされていない」という感じです。

しかし「手でなければ出来ない染・文様染」を目指す当工房では、文様部分にも「ロウによる生地の風合いの可視化」を行います。(下写真・紬名古屋帯「李朝の牡丹」)

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上の名古屋帯の仕事は、古い李朝の陶器の文様をアレンジしたものですが、文様自体にロウで生地の風合いを乗せています。さらにベージュ色のその背景部分は、風化した岩に牡丹の文様が象嵌(ゾウガン)されたかのように、同じくロウで生地の風合いを乗せています。

もちろん、当工房でも文様にロウで生地の風合いを乗せず、文様をべったりと糊で伏せることによってスッキリと仕上げることも行います。(下写真・梨地名古屋帯「アールヌーヴォーの樹と白文鳥」)

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上の紬名古屋帯「李朝の牡丹」のように、文様の細部にもロウによる生地の風合いの可視化を良く行いますが、それ一辺倒ではなく、一つの着物や帯のなかで、文様の伏せに糊とロウを併用し、メリハリを付けることもありますし、上写真の名古屋帯「アールヌーヴォーの樹と白文鳥」のように糊だけで伏せて明快に仕上げる場合もあります。

作りたい染物のタイプによって、柔軟に使い分けます。

「このような文様染を作りたい」→「ではどうやって実現するか?」

という流れが、当工房の基本姿勢であり、その際に必要であれば新しい技法を開発したり、既存の技法の使い方の解釈を変えたりします。

「ウチは伝統の友禅染をやっているからこの技法でしか作らないし、その技法から発想することのみしかやらない。それを外れたものは本流ではない」

という考えはウチにはありません。

博物館にある素晴らしい染色品の数々は「その時代の技術と発想力を全部使って、作りたいものをどうにかこうにか形にしたもの」なのですから。

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長くなりますが、もう少し例を上げて説明させていただきます・・・上の説明と重なる部分もありますが、ご容赦を。

昔の染物は、現代と違い手間がかかり、さらに使用するあらゆる素材が、現代よりも均質性が良い意味で無かったため「生地の味わいが、自然に文様や色面に乗っていた」のですね。それが奥行きとなり、魅力になるのです。

現代、形だけ真似しても昔の良品のような厚みや風格が出ないのはそのためです。だから、フォリアではそれを現代人の発想で狙います。それで、ロウを使うわけです。

また、ロウによる生地の風合いの視覚化によって、見た目、柔らかい生地とは思えないような、例えば陶器の肌、樹皮、コンクリート、岩、土・・その他様々な生地の表情が表出します。生地の「眠っていた魅力」が染める事によって表出するわけです。それは、正に「手で染める必然があった」ということです。

それと、フォリアの解釈の、ロウによる生地の風合いの可視化によって出てくるニュアンスは、昔の染色品とは違う新しいものです。それは現代の創作の面で大変有用です。

ロウにはいろいろな種類があり、防染力の強いもの、弱いもの、割れやすいもの、割れにくいもの、その他いろいろな特徴があります。溶かして使う温度もそれぞれ違います。それぞれの特徴を活かすためロウをブレンドする事もあります。身近なものだとラードを使うこともあります。それを欲しい効果によって使い分けます。

当工房で行っている「ロウムラ加工」というのは、実はいわゆるロウケツ染の技術において、普通に行われていることです。もちろん「ロウムラ加工」という名前ではありませんが。

防染力が強くないロウを生地に置いた上から濃い染料を刷毛染すると、ロウを通して生地に色がかぶります。

それを利用して、例えば、花びらのなめらかな陰影を、ロウをなめらかに厚→薄と置くことによって作ることが出来るのです。

ロウを厚く置いたところには染料はかぶらず、中位の厚さに置いたところにはほどほどにかぶり、薄く置いたところには強くかぶるわけですから、継ぎ目無く滑らかに、厚みにグラデーションを付けてロウを置けば、濃い地色を染めることによって滑らかな花びらの陰影を作ることが出来ます。

これは、いわゆるロウケツ染では良く使われる技法です。いかにもロウケツ染、というニュアンスが出ます。もちろん、その際に生地の味わいも出ます。しかし、それはメインテーマではありません。

その技法が「生地の風合いの可視化のため」という意図で使われることは、今まで無かったと思います。少なくとも、私はそういう意図で使っている人の作品を観たことはありません。

ようするに、当工房では、その効果を独自の解釈と意図と加減で使い、独自の制作をしている、ということです。

なので、いわゆるロウケツ染として、技術的に何か新しいことをしているわけではありません。技術的には全く普通のことしかしておりません。

それと、文様に糸目糊を引き、色挿しをした後、ロウで伏せて、地色を文様にかぶせて文様にニュアンスを付けるのも以前からある技法です。その技法を使うのはフォリアだけではありません。

それも、解釈と意図と加減が違えば出来上がるものが違う、というわけです。

フォリアのレース文様の仕事 は、全く伝統的な糸目友禅とろうけつ染による仕事ですが、出来上がったものからは一般的な糸目友禅や、ろうけつ染との関連が想像出来ないという感想を持たれるのはそういう事です。

もちろん、それぞれ独自の考えで制作しているのですから、ウチのものだけが正解とは全く思っておりません。

他所の仕事からも、いろいろ学ぶことが出来ます。

伝統的技法は、海のようなものです。

いろいろな恵みを人に与えてくれます。

人はゼロからモノをつくることは出来ません。これは技法においてもそうです。

長い伝統を持つ地域には、現代人にとって極めて有用な「伝統の海」があるのです。それが伝統の素晴らしさです。

その海から何を手に入れて、どのように新しい創作に使うかは、現代人の自由です。

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その「ロウムラ加工」の仕事ですが・・・違う写真で再度解説させていただきます。

例えば、同じ紬でも、下の写真のような織り味が粗い紬(赤城紬)なら、ガサガサした感じのニュアンスが強く出ますし(下写真・全面ロウムラ加工 赤城紬名古屋帯「水辺の草花」鉄絵の古い陶器を参照したもの)

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織り味が細かい紬なら粉を吹いたような繊細な味わいが出ます。(下写真・全面ロウムラ加工の紬着物と、絞りムラ染の更紗の八掛)

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このように「生地それぞれの味わいを可視化するために、ロウを使う」わけです。

糸目友禅でも、文様の伏せをロウで行い、文様部分にロウを通して地色を被らせ「文様に生地の風合いを乗せる」ということをフォリアでは良く行います。

それを繊細に行ったのが、フォリアの看板仕事のひとつの「レース文様」です。(下写真・部分)

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レースの面の部分は、実際には細い糸が絡まったように出来ています。それを丹念に極細の糸目糊で細かく描き起こしても、遠目で観るとただの白い面にしか観えなくなってしまいます。

しかし「ロウで生地の風合いを可視化する」方法で生地目が観えるようにして「レースの網目を生地の織り目に置き換える」ようにすると、遠目には本物のレースを生地に貼り付けたかのように観えるのです。

「生地の力を借りることによって可能なこと」です。それは機械では、今の所、出来ません。手による繊細な加工と加減が必要です。

ロウによるムラや、生地の風合いの可視化は手織りの紬の生地自体が持つ風合いとは違う、もっと危うい、例えるなら陶器の釉薬のような流動感があるものになります。

それは、手染めでしか表現出来ない「危うさ」です。それが面白さで、色気になります。

博物館に収蔵されている昔の染物のような危うい、しかし健全な色気を私は現代、違う方法と考え方で形にしてみたいと考えるのです。

昔のものには、このような、ロウによる生地の風合いの可視化による危うさを意図的に出したものはありません。

私は「斬新かつ伝統ともつながるもの」を制作することが現代の伝統に関わる仕事をする者の使命だと思っていますので、このようなロウの使い方は、私にとってその回答の一つです。

それと、ロウによるムラ、生地の風合いの可視化をされた着物や帯は、コーディネートにも影響を与えます。生地に、そのような「ノイズ」があると、他のものと合わせやすくなるのです。

意外なことに、生地にムラや素材感があることによって、着物ならより幅広く帯を、帯ならより幅広く着物を受け入れるようになるのです。これも「生地の風合いの可視化」から産まれる利点です。

そのような考えで、フォリアの染・文様染ではロウを多用しています。

それは「ロウケツ染の作風のものを作るため」ではなく「ロウを使って生地の素材感・風合いを可視化し、増幅を起こすため」なのです。


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