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こんな時代だからこそあえて自作を作品と呼ぼうと思った

私は、基本的に、自分のつくるものは他人への説明のために便宜上「作品」と呼ぶ事はあっても、それを販売して生活している立場であるので「商品」と呼びたいところを、流石にそれは誤解を生みそうなので、着物なら着物、帯なら帯、絵なら絵(油絵、紙の絵、布絵、などと呼ぶ)と、ただ具体名で呼んでおりました。

普段、私がこのnoteで言明しているように、私はそれが芸術作品だろうが工芸品であろうが工業製品であろうが科学であろうが数式であろうがスポーツであろうが関係なくあらゆる人為において、そこに「美」があれば、それは分野を問わず素晴らしいとします。(美=審美的に優れているという意味ではありません)

人為に上下などない」

「存在するのは、美のある人為と、美の無い人為」

としているからです。

(それに関連する話題はこちらこちらにあります)

世の中に蔓延している「〇〇アートとかいう“作品”」がどうにも苦手ですし、何でもかんでもつくったものを作品と称して、何か特別なもの、それをつくる特別な人、どうだ、オレは一般人とは違うんだぞ、みたいな態度にどうも辟易しておりまして、自分で自作を作品と呼びたくなかったというか・・・

上記のように、私は人為に上下などないと思っており、そこに美があるか無いかだけでモノを観るので、別に芸術作品を制作する人だからといって、特別でも偉いわけでも何でも無いという姿勢なのです。

その基本姿勢は全く変わってはおりませんが、しかし、ここの所、どうも逆の気分になって来ました。

私が軸足を主に置いている呉服の業界は、ごまかしやウソが多く、他所からのコピーが多く(ウチもコピーされまくっております)そして、キチンとした修練の無い状態でつくられたハイアマチュアの「それらしい事をやって伝統工芸作品と称するもの」、逆に「ただ継承された技術だけは高度な作家ものの工芸作品」・・・そして、美術団体展などの「更新されない閉じた価値観」と、その価値観に認められるためにつくられた芸術作品や工芸作品・・・。

また、販売でも「自分の美意識、自分の美の原則」を伝えたいというのではなく、売れれば何でも良いという姿勢・・・

いわゆるファインアートの世界は、自由を標榜しながら、作家はなんだか良くわからない「アート業界のお作法」にかなり厳しく縛られているし、購入する方は効率の良い投資扱いな感じもありで・・・それに乗れなければ時代遅れの作家になり・・・

・・・そんな時代に、自分たちの制作姿勢を振り返ると「なんだか、オレたち、ずいぶんいじらしく真面目に作ってるよなあ。それなら、むしろ自らの制作物を“作品”と呼んだ方が社会的に誤解が少なく通りが良いのではないか?」と思ったのです。自分で言うな、というツッコミも来そうですが。

・・・・そんな感じで

「ああ、ウチはもう、自分たちの制作物を“作品”と、自ら呼ぼう」

という心境になりました。

まあ、底辺の作り手の負け惜しみなのかも知れませんが、それがストンと腹に落ちたのです。

ウチはいつもお金お金ー!とあえいでいますが、全くお金や名誉に縁遠いですからね、全く地味〜に制作しております。儲けるためよりも「作り続けるためにはお金が必要」という優先順位なのです。

だから儲からないのか・・・( ゚д゚)ハッ!

とにかく、ウチで制作したものは、自分たちでも「作品」と呼ぶ事にしようかな、と思った2021年なのでありました。


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