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加齢で審美眼や観察眼は成長しても仕事は劣化していることもある。中年以降はその自覚が必要

いろいろな仕事において、中年になると、蓄積された経験から自分の仕事に関することに限定した審美眼や観察眼はかなりのレベルに成熟している場合が多いように思います。

ただし、それはあくまで自分が関わっている仕事周辺の話であって、他の分野の審美眼や観察眼があるわけではないことが殆どなのですが、どうしても中年以降は自分のキャリアに自負を持ってしまい「全てにおいて自分は審美眼や観察眼のある人、そしてビジネスにも精通している人」と勘違いし勝ちで、そのような態度で仕事をされると、いろいろな場でかなり迷惑だったり、そういう態度を傍から観ると不愉快だったり、恥ずかしかったりします・・・

審美眼や、観察眼、そして批評の資質や才能が元々あり、それを体系的に長年訓練した人なら、分野をまたいで精度高く理解する人もいますが(もしくは天才)何かのプロだからといって、他の分野のことの良し悪しの核心部分や、具体的な詳細を分かるようには、なかなかなれないものです。

「誰でも自分の好みは言える」これは確かです。

ただし、それは良し悪しや、有用・無用の客観的な話ではありません。

そこを間違える人は多いようです。

例えば何かのものづくりのプロで自分なりの価値観があったとしても、そのまま評論家として成り立つわけではない、というようなものです。

何かの仕事でそれなりに経験があり「全てにおいて自分は審美眼や観察眼のある人、そしてビジネスにも精通していると勘違いしている人」は、自分の仕事そのものは「その素晴らしい審美眼や観察眼と同じレベルには成長していない」か、むしろ劣ることが多いようです。

経験年数の長い仕事人であっても、経験で成長した審美眼や観察眼とイメージ力と、自らの仕事自体が同じレベルでしっかりつながっている事は珍しいのです。実務的な仕事の成長は、ゆっくり訪れるものだからです。

審美眼や観察眼とイメージ力と、自らの仕事自体が高度なレベルでつながっている人は、最低でも一流の人です。

人は、自分の精神の内部の矛盾に鈍感なものです。もしくは、見ないようにしています。人は面倒なことは見ないようにするのです。精神的に傷つくのも避けます。

そんなわけで「他人の仕事には厳しく、自分の仕事には甘い査定をする」ことが、中年以降は増えて来ます。自分自身はそうは思っていないのですけどね(だから余計にタチが悪い)体力が落ちてくると、だいたいそうなって来ます。

他人のアラは良く観えるし、その改善点はある程度アドバイス出来るけども、では自分でそれをやるとなると「当事者ゆえの視野狭窄が起こる」し「観察眼ほど自分の実務能力が無い(しかし自覚は無い)」ので、やっぱり傍から眺めていた時に想定したイメージ通りには出来ないのです。

しかし、自分自身の実力なら出来ると思い込んでいるので、そういう人は進行具合や結果が悪いと他人や環境のせいにして、現場を混乱させるのは良くあることです。

中年になると現場の人では無くなることが多く、自分が現場にいた頃の記憶が伝説化され、脳内に「オレ様という超人」が産まれます。その「妄想の超人」と、現在の現場のスタッフを比べて、自分の若い頃はこんなことをやった、あんなことやった、なのに今どきの若いヤツは何だ、と批判します。

そういう人はマネージメント力は皆無で現場に丸投げして、そのくせ、その結果に文句を言ったり、的外れな指示を出して益々現場を混乱させるだけだったりします。

逆に、小さい現場では、なんでも自分でやってしまう上司がいて、それで部下が成長しないで、オレ様がいないとみんなダメなんだから、オレは100人力だ!とご満悦な人もいてそれはそれで迷惑です。ワンマンで回すから、大きな結果も得られないしマンネリになり・・・もちろん、こういう人もマネージメント力は皆無です。

若い現場の人たちは、そういう上司のふるまいに、白け、疲弊します。

それなりに経験のあるものづくりの場合・・・

創作的・技術的に行き詰まっているけども、それに無自覚な場合は(←これは本当に良くあります)ただの堂々巡りの作業をしているだけになっています。

そうなると肉体の劣化によって、仕事も当然劣化します。そして、若い頃のようなスピードで仕上げられなくなりますし、体力の低下でひとつの作業に対しての粘りが無くなり、若い頃のような仕上げになっていないのに自分の苦痛度で仕事の出来を量って客観的な結果を観ず「まあ、こんなもんだろ、これでも割増でやってやったんだ」というノリになります。・・・現状維持出来ていればかなり良い方です。

審美眼や観察眼、仕事に対する理解は肉体の劣化があっても成長し、その劣化は遅く来るので、両者の乖離がどんどん大きくなり、余計にその人の混乱が増します。

さらに想定を上回る肉体のパーツの劣化に手を焼きます。老眼、四十肩五十肩、更年期(男女共に)によるあらゆる体調不良、精神の揺れ動き・・・

中年から初老の肉体の変化と精神の揺れ動きは、思春期のそれよりも大きいかも知れません。

中年以降の人たちをあらゆることが襲います。もう、大混乱です。

また、自分の価値観と自己評価だけが暴走し大きくなり、妄想としてどんどん膨らんでしまうことも多いものです。しかもその価値観は、強い承認欲求やコンプレックスで歪んでいます。

そういう人は、この人はいったいどこの世界に生きているんだ?この人は、そんな実績は無いはずなのに・・・なんて人になります。

手仕事の世界はプロスポーツほど激しくはないですが、同じく肉体を酷使する分野なので、経験が長い、年長である、ということは良い仕事を約束しません。一定の時期を超えると誰にでも「現役としては厳しくなる時が来る」のです。

キチンと節制している人や、個体として特別優れた人は、肉体よりも劣化しにくい審美眼や観察眼やイメージ力をさらに磨き、強固に構築するので、その審美眼や観察眼やイメージ力は劣化せず、死ぬまで成長を続けます。

それらの「磨き上げた肉体以外の部分」で自らの肉体が担当する仕事の技術の劣化を把握し、まだ伸ばせるものは伸ばし、切り捨てるものは切り捨て無駄を省き、加齢で肉体的には出来なくなる事が増えるのを逆手に取って、本当にやるべきことだけにエネルギーを集約し、自らの仕事を洗練させて行きます。

そんな自己管理能力と実行力のある人は大海の一滴です。

また、中年になって来ると他人が自分の欠点や問題を指摘してくれなくなります。

こんなこともあります。

部下が中年の上司から「オレはもう中年だからなかなか人が意見を言ってくれなくなって来てね、だから、遠慮なく意見を言って欲しい」と言われたので、遠慮がちに目に余るところを少し指摘したら、その中年上司は怒り出し、いろいろな人に「〇〇ちゃんにこんなこと言われちゃったよ〜アイツもエラくなったもんだよなあ〜!」なんて悪く言いふらされて「常識の無い部下」ということにされたりします。酷い罠です。

だからそういう人には、余計に誰も何も言ってくれなくなります。

しかし、普通一般の集団では、そういう迷惑な中年上司は沢山いるのでなかなか更迭されることもなく、なんとなく同じポジションに長年いたりします。

「プライドが高く、他人の仕事にケチをつけてばかりいる人間」はいろいろな場所に沢山います。

それは老害です。

老害は、老人だけにあるのではなく、若い人でも立場が上になると起こします。

他人の行為に口ばかり出し、自分は何もしないか、やっても的外れなことばかりやったり、指示したり・・・権力のある年長者なら、一度決まったことを、ちゃぶ台返しして周りを大混乱させたり、そういう非生産的な行為によって自分の存在感をアピールしてご満悦な「とにかく迷惑で邪魔なオッサンやジイさん」は、本当に多いです。

そしてそういう老害は「自分で時間と労力と予算を無駄に使わせていながら、何でもっと低予算でもっと素早く出来ないんだ!」と怒るわけです。いや、アンタのせいだから、なのですけどね。

若い人たちは、そういう老害の言うことを聴く必要はありません。参考になりませんし、面倒に巻き込まれます。若くても、中年でも充分に老害化している人がいますので、その手の人たちとは距離を置いた方が良いです。

なぜならそういう人のその症状は治らないからです。

そのような老害自身が、若い頃に、上司からそういうことをされて心底ウンザリしただろうに、自分がその立場になると同じことを創意工夫してあらゆるパターンでやるようになるのです。

これは、ものづくりに限らず、人間の特性なのだと思います。

社会ではどうやってもそういう迷惑な上司と仕事をしなければならないことも多いわけですが、どうにか距離を取る、少なくとも精神的な距離を取ることが大切だと思います。

パワハラ、モラハラ、仕事の妨害をしてくる場合は、それなりに強行な手を打つか、そういう会社は辞める、そういう取引先とは取引しないで済むようにする、とにかくそういう現場からは離れた方が良いと思います。

それはとてもむづかしいことでもありますが、そこで無駄にする時間とエネルギーを考えるとどうにかした方が良い・・・

と、初老のわたくしは思います。

まあ、中年の劣化や老害について書きましたが、私自身も自分のいろいろな劣化に手を焼く毎日を送っております。


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