怒りはいらんだろ
以前、団塊の世代かもう少し上世代の、アート寄りの陶器を作る有名陶芸作家さんが
「最近の若者たちの作品には怒りが無いね」
などと批判しているのをビデオか本で眼にしましたが、私は単純にそういうのは「めんどくせー」と思うので、反発すら感じませんが、こうは思います。
アートに別に爆発も怒りもいらないし、まして食事に使う器ならそんな情念が入ったものを使って飯食いたくないな、と。まあ、その人はアート系?の作品も沢山作られていたようなので、作品にそういうメッセージのようなものが必要だとしているのかも知れませんが・・・
ファッションデザイナーさんでもそういう事を言う人がいましたね・・・そういう「怒り」が創作の源だとするのがカッコよかった世代なのでしょうね。
新しい創作には怒りとか、新しい思想とかが無いと本物じゃない、という時代があったのは理解出来るのですが、しかしそれが創作の本質ではないのは、歴史を観れば分かると思います。怒りや悲しみが創作の起点になる事はありますが、それは単にキッカケであって、本質ではありません。
しかし、未だに
「芸術は爆発だ!」
「工芸は芸術の下の存在」
「職人の進化系が作家」
「秀才の進化系が天才」
「商売が関係ない純粋な創作が芸術」
その他その他
などと思っている人が、作り手にも、メディアにも評論家にも工芸/美術愛好家にも多いのに驚きます。
そういう心理的な枠から自由なのが創作だと思うのですが。そして、創作には分野はありません。分野で優劣つける精神は創作的ではありません。
私は怠惰な人間なので、こうでなければアートじゃないみたいな「思想」を眼や耳にすると
「めんどくせえなぁ・・・」
と思うのですが、しかし作品が良ければ、それはそれで作品だけは評価します。
それが本当に素晴らしければ、激賞しますし、欲しいと思いますし、いろいろな人がその素晴らしさを体験出来ると良いなあと思います。
制作物の美と制作者の思想はイコールではない・・・関係が無いからです。
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