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物語では足りない

商品を「物語」で売れ、ということが盛んに言われていますが、私はどうもそれに違和感を感じるのです。

自分の仕事の分野に関しては「物語では足りない」という感じです。

日常品の範囲のものなら、モノと軽い関わりなので、物語を添付して、その商品と物語をどんどん消費して行くということで良いのかも知れません。

しかし高価格、高付加価値の「ブランド」や「作家のキャラクターの成立」となると「物語」ではダメで「姿勢」や「考え方」というものがキチンと伝わらないとダメだと思うわけです。物語では軽すぎる感じなんですね。

そのブランドや作家性を、テレビ番組や雑誌で特集する、ということなら「ちょっといい話的物語」でも良いのですが、それはあくまで「物語を消費している」のであって、その物語を楽しんだら満足、で終わってしまうのです。

「へー、そういうのがあるんだぁ」でおしまい。

そのブランドや作家の作品の存在や姿勢を受け入れ、購入する、という行動とは関係が無いようなのです。

ブランドや作家ものは「その制作姿勢に尊敬を持って賛同してもらう」こと、そして「精神的・感覚的に人々を牽引する役割がある存在(イメージだけだとしても)」と思ってもらう必要があるように思います。

「物語」よりも実物の方にずっと精神的に刺激があるもの、高揚させるもの。刺さるものでないとダメなんですね。

でも日本だと、人間らしく(?)ノンビリしている感じのものが「嘘がない本物」「純粋なもの」とされてウケたりする傾向がありますが。。。

有名で世襲の場合は、既にブランドなので、その家族の物語や、その家族の歴史の紹介は、有効です。

何にしても、一般的に必要とされる「安い物語に収まるもの」は、どんなに市場価格が高くても権威でも「創作的にはその程度」ですから、そういう視点でモノを観てみると、モノの本質がわかりやすいと思います。

素晴らしい作品は、人間がモノに添付した物語を超えるからです。

私が否定する「陳腐な物語」というのは「なんだか感動的だったり、ちょっといい話っぽいけど、モノと実は関係の無いお話」のことであって【モノそのものが持つ物語性】は全く否定しないどころか、それは精度高く解説し、伝達するべきものだと思っています。

それは、人間の思考とは関係なく、モノそのものが持つ、自然物が持つものと同質のもので、人がモノに添付する「モノと関係あるかのように語られるモノと関係のない物語」よりも遥かに幅や深さがあるのです。

人はそこからいろいろな物事を発見し、新しい次へ向かうことが出来るのです。

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