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現場の勢いが作物に乗る

先日、オーストリアでピアノの調律師をしている日本人の方の番組をYou Tubeで大変興味深く拝見しました。

内容は、ぜひ上記のYou Tubeをご覧になっていただいて・・・

ザックリ説明しますと、

調律師の方が、普通一般で言うキチンと調律/調整を行ったピアノに対してピアニストが「こんなにバランスがとれてキレイな音が出るピアノでは私は美しい音楽を作れない」と文句を言って来た、戸惑った・・・というようなものです。三種類の話が語られています。

ピアニストのグレン・グールドが、ピアノに変な加工をしたりするのも、そういう意味があるのでしょうね。チェリストのパブロ・カザルスも、ストラディバリウスは良すぎて自分には合わない、みたいな事を言っていたのを読んだ事があります。

「白兵戦を戦う自分にとって、良いもの、武器になるもの」が欲しいわけで、それはAさんが最高だとして使っているものはBさんだと最低だという事も起こります。

それは、一流プロの世界独自の話で、それは分野を問わずあります。

そういうところが「面白いところ」「味わい部分」なのですが、仕事でやっている人ですら、そういう事が分かる人が少ない気がします。

「極限の世界で使えるものと、通常の世界で使いやすいものは違う」

という事です。

上記のピアノの調律の事とは少しズレますが、似たような話を書いてみます。

(上記のYou Tubeの動画をご覧になっていただいてから読んでいただいた方が分かりやすいと思います)

私は若い頃、イタリア料理の一流店でコックをしておりました。シェフは天才的なシェフでしたので、ついて行くのは大変でしたが・・・私は暴れ馬に繋がれた子供のような状態でした・・・

私はセカンドで、普段はストーブ前で火を使う料理全般を作ったり、仕入れ全般を管理したり、シェフが出張で店にいない時は、私が短期に調理場を任されて運営したり、という立場でした。

シェフが良く言っていたのは

「調理場が一体となって回っている時の料理は、多少味にブレが出たとしても、それは関係無く勢いがあって美味いものなんだ」

という事。

もちろん、味のブレといってもプロのブレですから僅かなものです。

だから、白兵戦状態の調理場で、戦闘がこちらに有利に上手く回っている状態で下っ端のコックがレベルの低いミスすると、その「回転」が崩れるのでシェフは物凄く怒るのです。一秒の狂いがその麗しい「激しい回転」を止めてしまうからです。

シェフはその臨場感をとても大切にしておりました。小規模店だったから、可能な手法ではありますが・・・

使う道具やいろいろなシステムも「どうしてこういう風にしているんだろう?」と疑問なものも多いのですが、それは小規模店ゆえの「シェフ自身がやりやすいシステムと道具立て」なのですね。小規模店では大規模店と違い「シェフは監督であり直接調理しない」という事はなく、シェフ自身も実際に調理しますので。

私がまだ技術や先読みが甘い状態では、ただ作業に追われているだけなので、そのような「高度な一体感・回転」を体感・理解出来ませんでしたが、技術が上がり、先読み出来るようになると、だんだん分かるようになりました。また、その「超絶忙しい調理場が一体になって無駄無く機能し回っている状態の独特の高揚感」が料理人、いや、モノづくりの人たちにとって何物にも代えがたい喜び体験なのも分かって来ました。

そうですね・・・バンド演奏において、全員が調子良くメンバーと音で対話出来ていて、数秒後の事も予見出来てしまい、お互いに増幅させ合うあの感じというか。

そういう時は、多少リズムが狂っても、音が外れても、その音楽にはゾクッとする何かが乗っているのです。そのはみ出す部分が正に創作の美味しさなのです。素晴らしいバンドのとても出来の良い神降りライブ版の、あのはみ出した凄さみたいな感じ・・・

素晴らしいテクニックを持っている人が、激しい精神的高揚のために多少演奏が荒れたり、リズムが前のめり気味になったりブレたりする事がありますが、それで音楽的に悪くなる事はなく「その歪みは表現上の必然」なのです。

ただ、これも「演奏者の内側に聴こえている音楽」と「聴衆が聴いている音楽にズレがある」場合もあり、そういう時には奏者は最高!と感じたのに聴衆は今ひとつと思っていたり、奏者は今日はダメだった・・・と落ち込んでいたら、聴衆から大絶賛なんて事も起こるのがややこしいところです・・・

それはともかく、

例えば、賄いの時に、丁寧に、しっかりとつくった料理は間違いの無い美味しさで「レ点方式」で言えば100点の味になります。「うん、コレで良し」という感じです。

しかし、戦場のような調理場でかつ調理場全体がキチンと回っている時に、オーダーミスなどで料理が戻って来てしまったものの味をチェックしてみると「賄いの時に丁寧に作った料理と全然違う」のです。「激しく回転し、かつ機能している調理場から産まれた料理」の方は、香りも味も輪郭が立っていて華やかな味わいです。

ちょっと分かりにくい例えかも知れませんが、賄いの時に丁寧につくった料理は野球のピッチャーの投球で言えば「置きにいった球」なんですね。キャッチャーが要求した球種を、キャッチャーが構えたところにキチンと投げました、というだけの球。ちゃんと対戦するバッターの苦手な厳しいコースに投げてはいるけども、勢いの無い球なので、優れたバッターには打たれてしまったり、見極められスルーされたりします。

しかし「調理場全体が高速で回っている状態の時の料理」は「キレッキレの勢いがある球」で、それはキャッチャーが構えた所から打たれやすいコースに外れたとしても打たれないのです。

一流プロの演奏家はそういうレベルの世界で生きているわけですから、そういう世界で自分に答えてくれるピアノの調整が欲しいわけですね。それはただバランスが取れていて、程よいレスポンスで、音程も正確で、というだけではダメなのです。いわゆるゾーンに入っている時に頼れる「自分の武器」になるようなものが欲しいわけです。

調理場では、物凄いスピードで物事が処理されて行きますから、イチイチレシピや手順を思い出しながら作りません。全ては事前に体と頭に叩き込まれているものを無意識に放出する状態で無いと調理場では間に合わないからです。

そのような状態でさらにもう一歩、激しい現場の圧力で突き上げられ、その激しさを乗りこなせているような状態だからこそ「その場の勢いが料理に乗る」わけです。

これは、料理に限らず「何かを産み出す現場」では起こる事で、その渦中の人になった経験のある人たちは、その喜びを知っている人たちです。

そういう場にふさわしい「道具やシステム」が確かにあります。

そういう仕事にはゴルゴ13に出てくるガンスミス「デイブ・マッカートニー」のような人が必要なのですね。

ただ、プロであってもある程度のレベル以上でないと、それを知りません。それを体験した事のある人はプロでも少ないのです。

なので、私がどこかの料理店に行った際に、たまたま料理の話になり、

「調理場が激しく回っていて、かつキチンと機能している状態で出来た料理の輪郭は立って華があります・・・素材の一つ一つの輪郭も立っていています。そういう時は味が多少薄くても濃くても(プロのレベルなのでそのブレは小さいのですが)美味しいですよね。そういう時の料理は突き抜けたものになりますね。むしろヒマな時に丁寧につくった料理がこもった味わいになってしまったり・・・」

という話をすると

「はあ?何言ってんだコイツ?味がブレちゃうのはプロじゃねえだろ?料理に勢いが乗る?何それ?知ったかぶったウザいヤツ・・・」

という態度をされる事が多いです。

なので、そういう話は外であまりしないようにしております。


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