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人望や人の信用は行動による実績よりも資質の要素が強い気がする

人個人の「人望」や「人として信用される」というのは、日々の行いの誠実さとは実はあまり関係なく、元々の資質として人望や信用が薄い人は、どんなに誠実に他人に貢献し続けても人望は得られないし、信用されても、何かの小さい失策で全壊してしまうような脆い信用しか得られない、というのが私の今までの経験で得た事実であります。

例えば、その人のサポートが無いと組織が回らないような、表には出ていないけども重要な立場の人に、その功績に応じた人望があるわけでも信用があるわけでもない、ということは良くあります。

逆にたいしたことをしていなくても、人の期待を裏切り続けても、人望や信用を失わず、ずっと人々から愛され期待され、尊敬され続ける人もいます。

実際、傲慢さのない非常に仕事が出来る人で、マネージメントも巧みで組織や部下に利益を与え続けているのに、なぜかリーダーとして尊敬されない人がいます。そのような普段はミスをしない人が、ちょっとしたミスをすると糾弾されて、あっという間に信用を失います。人望は最初からあまりありません。

リーダーとして、失敗が多いし、思いつきで動いて皆に迷惑をかける人だし、人格者でも無いし、組織や部下に不利益を与えていてもリーダーとして慕われ、人望のある人もいます。もちろんあまりに酷い不利益を出せば立ち行かなくなりますし、責任を取らなければなりませんが、そこそこぐらいの実績があればなんとなくOK、失敗してもまた取り返してくれるだろうという感じで許されます。(しかし、実際に取り返せたことは殆どない)

そういう人は「元々リーダーとしての雰囲気を持っている」人。

リーダーとしての力量はともかく「いかにもそれらしい感じ」を持っているというか・・・

その雰囲気は、ある程度までは意図的な演出で作り出すことが可能ですが、やはり元から持っている人の方が強いようです。

そんなこんなで、人望や人としての信用は「行動や実績よりもその人の生まれ持った資質による」のだなあと再度確認してしまいます。

何かやってくれそうな雰囲気を持っていて、誠実そうで信用出来そうな詐欺師は人を騙すのではなく、元々もっているその資質によって大きな詐欺も可能にする感じ・・・本当の詐欺師は全く詐欺師に観えませんからね。

人は、自分が期待した人が活躍するとそれを強く記憶しますが、期待していなかった人が活躍した場合は記憶しません。期待されない人の場合は相当な活躍を繰り返して、やっと多少覚えてもらえる程度です。その信用も何かちょっとした失策で消えてしまうぐらいに脆いものでしかありません。

しかし、期待してる人の活躍は割増で人々に記憶され、失策は何度も許されます。「その人の活躍を観たい」からです。また、期待している人が活躍すると嬉しいからです。

リーダーや信用される人は「期待される資質を持っている人」でもあるのかも知れません。

もちろん、人望も実力もあって結果も抜きん出ている人もいます。

何にしても、わたくしは、人望のある人は、羨ましく思います。

もちろん、組織を下支えする有能な人にキチンと評価を与える評価システムを持っている組織や、人はおりますが、それは少ないように思います。


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