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モノづくりを職業に選んだ時点で負け組かも

ここのところ、あえて暗い話題ばかりこのnoteに連投しておりますわたくしでありますが、ではまた一つ(笑)

ビジネスの話題で「週休3日でも生産性は変わらない、むしろ上る」という説がありますが、それは司令を出す側限定の話ではないかと思う、製造業のわたくしであります。(私は手作りの工芸家であろうが画家であろうが製造業の一種だと思っております)

効率はとても大切で、効率の良い洗練された作業工程は、それ自体が良い仕上がりのモノを産み出します。

しかし製造する現場は、どんなに効率化を図っても良品が産まれる摂理以上の作業の短縮をすると質が劣化するので、効率化には限度が必ずあります。

また、どんな事にも「ある程度の余裕」・・・ハンドルの遊びのようなものが必要になります。それすら詰めてしまうと、僅かなミスで大事故になってしまうからです。

ギリギリまで質を高めそれを維持しつつ、より速く沢山作りたいなら、また、より良いものを作りたいと常に模索しながら制作するなら、より沢山の予算や時間や人員が必要になるのは当然です。そこに秘密のコツなんてありません。

アイデアを実作業に落とし込んで改良し、さらにムダを無くし磨き上げていく・・・良品の現物を産み出すには絶対に短縮出来ない時間があります。脳内での計算と物質世界では必ずズレがあります。それを何度も擦り合わせて行き、現実に運営するシステムが普遍性を持つまでに仕上げるのは大変です。

効率性が高いのは良い事だといっても、効率だけを追い求めては新しいものは何も産み出せません。言い古されている事ですが、むしろ遠回りしたからこその新発見も出てきますし・・・(とはいえ、ただ漫然と作業しているだけでは新発見は出来ません。常に問題意識を持って仕事をしていないと・・・)

モノを作る現場での試行錯誤は、思考実験すら時間はかかるし、それを記録し、整理する時間もかかります。モノを作るのは「作るための作業の時間」の前段階の時がとても重要なのです。人間がやる事なので、そこにも体力も資金も必要なのです。

何にしても、時間や予算がかかる時にはちゃんとかけた方が、最終的には効率の良いシステムが出来上がり、良いモノが出来上がります。そこを削ると、何か未処理の問題が残り、それが最後まで尾を引き、結局その部分を修正するために最初から時間と予算をかけるよりも多くの時間と予算がかかってしまう事になります。

「既にある駒をアレコレするのを考えるだけなら、時短は有効」な部分はあるかと思いますが、それにも限度がある事、そして新しい何かを産み出そうとするのにかかる時間、より良いものを産み出す作業をする時間、というというのは短縮出来ないというのは変えられません。

「生産現場では一律に、時短が有効とか時間と大きな予算が必要とか言えない」のです。

どんなに高度な効率良いシステムをつくったとしても、そのシステム上無理のある生産量と納期を突きつけられたら、生産現場の人間が休まずにやるしかありませんし。

そして、現場のものづくりの人々に要求されるのは常に「安く・早く・簡単に儲かる商品」です。

そうしなければビジネスの戦いに勝てないとなれば、現場はやるしかありません。

また、逆に、作業に空きが出来過ぎてしまうと生産ラインを元に戻すのが大変です。そこで働く人達も休息は必要ですが、あまり間が空き過ぎても仕事の勘が鈍りますし、機械を使う場合、機械の調子も悪くなります。

「常に程よく動いている状態」が、良い仕事を長期間産み出す条件だ、というのは言えると思います。そのような環境を常に維持出来るような考え方やシステムづくりが必要です。

また、普段がそういう環境なら、体力や精神力に余力があるので短期間であれば、無理な要求でも質を落とさないで生産出来ます。しかしずっと無理を続ければ、いつか壊れます。当たり前ですね。

生産者を使う方は、相手が壊れるまで酷使して、壊れたら他を使えば良い、と焼畑農法的に考えているところもありますね。彼らは「この条件が飲めないなら、他所にやらせるからいいで。この仕事をやりたいヤツはいくらでもいるんだからな。グフフ・・・」なんてドラマの悪役が言うようなセリフを言うのです。私は何度か言われた事があります。「本当にこういう事、言う人いるんだー・・・」と軽い感動を覚えました。

今のご時世、基本的にモノづくりの現場に職業を得た時点で自ら奴隷階級を選択したことになるのかも知れませんね。笑


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