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創作全般の覚え書き

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自分の、あるいは社会の創作の話題で反応してしまったことの覚え書き
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#和装

江戸組紐の老舗“中村 正”さんを訪ねました

先日、松戸市内で130年続く江戸組紐の老舗「江戸組紐 中村正」(なかむら しょう)の四代目、中村航太さん(なかむら こうた)さんを訪ねました。 分かりやすく言いますと、現代においては着物を着用するのに使う「帯締め」「羽織紐」などをメインに制作する工房です。(刀の拵えや茶道具系でも組紐は多く使われますので、そのようなものも制作する事があるそうです) 四代目の代表・中村航太さんは工房運営と同時に、ご自分の組紐作品も発表しており、創作活動も盛んにされております。 我がフォリア

「新しさ・伝統・民藝」などの覚え書き

新しさについて 何かの極点に達したものは、両極端の性質を同時に持つ気がします。 円を描くのに、描き始めから描き終わりで線が接すると、その点は、描き始めの地点であり、描き終わりの地点でもあるような感じ・・・ * * * * * * * *  伝統の根幹部分 「伝統」には現実的な実質があります・・・それは伝説や中身の無い権威ではなく、現実です。 だから、現代生活にも機能し続けるわけです。 とはいえ、闇雲に「昔の人はみんな凄かった」と単純に把握するのは良くないと私は考

私は伝統的とされる日本的な色味も、時代によって変わると考えております

このnoteに何度か書いております通り、私は日本的な色味というのは「わずかな濁りや茶色成分を含む、湿度のある色」と考えております。 これは、私の実際の創作上の経験や、伝統のものや現代日本にある“モノや現象”への観察によるもので、どこかの誰かの意見ではありません。ですので、他の人はそう考えないかも知れませんが・・・ そもそも、色は絶対のものではなく、眼や脳が違えば、見えている色は人によってかなり違うものですし、何かの色を見た残像で、今見ている色は変わってしまうものです。味や

手作りという魔法は無い

私は、現代において「手で作る必然のあるもの」によって「いわゆる手工芸品」では到達出来ない創作性を「現出」させ、美をたたえているものを作りたいと思っています。 昔から、最上品はそうでした。 それは手作りだから良いとかそういうことは関係なく、良いのです。 昔の工芸品の素晴らしいものを、天然素材だから、手作りだから、苦労して作ったから、技術が素晴らしいからとか、そういう面で感動する人はいないと思います。 それは理由なく人々の心を打つものだから、飽きられることもなく長年ずっと

月が好きです

私の制作する作品には、割と頻繁に月が出てきます。 私の月への嗜好は、中学生の頃からです。 当時、多いに影響を受けた「ピンククラウド」というバンドが、曲や、バンドに関するデザインに良く月を使っていたので、単純にそれに影響されて何かをつくる際に月をからめるようになりました。 その後、私は日本文化に根ざした創作を仕事にするようになり、自分自身の日本の創作物の研究の結果「日本の創作物は太陽よりも月をベースに出来上がっている」という考えを持つようになりました。 お天道様に対する

強みでは無いところを押し出しても・・・

今回は、キモノの良さを伝えるのは難しいですな、という話題であります。 例えば キモノ姿でスポーツをして動画を撮り「キモノでもこんなに動けるよ!みんなも気軽にキモノを着ようよ!」という主張の動画を観ると、わたくし、その人のキモノ愛には心打たれるも、 「いや、スポーツするには、動きやすい衣類の方がいいと思うぞ。洋服でもより動きやすいモノをチョイスするんだから。ついでに言うと履き物もそうだな。安全面からいってもそうだろ?」 と、単純に思うのであります。 「キモノでも工夫次

濁りが無いと美味しそうに見えない

私は良く、日本的な色には微妙な濁りがある、と主張しておりますが、布だけではなく、文化全般において、そう思っています。 日本どころか、諸国文化により違いはあれど、これは文化的人造物の一般論としてそうだとも・・・(日本のものは特に独自の湿度のある濁り要素が特性だと思っております) 例えば、昔の日本の磁器の肌あいや色には、少し濁りがあります。そのような器だとどんな飲食物と合わせても美味しそうに感じさせますが、新しい廉価な量産品に多い(安いものが悪いという意味ではありません)素材

私はいわゆる呉服から着物や帯を作りません

私は、和装染色品の制作をメインに生業としておりますが「呉服臭いキモノ」「衣桁に飾るキモノの形をした絵のようなキモノ」が苦手です。 ではなぜ私が着物や帯、その他和装品を個人作家的なアプローチで制作しているかといえば、まず、日本文化が好きな事、和装そのものは美しいと思う事、自分に染色作品の制作に適正がある事、和装品を制作するための染色技法の扱いにも適正があった事からです。 テキスタイルデザイナーという方向は、最初から選択肢に上がりませんでした。私は高卒なのでテキスタイル会社の

伝統とは直接対峙するのが良いのです

自分のつくる和装の柄で「これがもし、洋服の柄としてついていたらどうか?」ということは良く考えます。「現代の洋服に置き換えたらダサいかも知れないけども呉服だからこれが伝統で正義」みたいな流れで私は制作しません。 伝統柄を扱う際にも、いろいろ考えます。 2000年代になってから増えた、呉服のいわゆる伝統柄を薄味にして「シュっ!」とさせたものが現代的な呉服という流れには個人的に抗う方向で行きます。 (伝統の本質と繋がっている“和装”ではなくいわゆる呉服臭のする“呉服の価値観”

色と味覚・嗅覚は良く似ています

女性ものの着物の色には、体感として「少し酸味と甘味がある」のが重要と個人的には思っています。ちょっとキュッとするような密度と刺激と潤い、そして品のある甘さが必要。 和装の場合は、和食の酢の物的な酸味。米酢的なうまみと湿度がある酸味で、香りはしとやか。 洋服の場合はピクルスの酸味。ワインビネガーやモルトビネガーの鋭さのある酸味と、華やかな香り。 男性ものだと、基本的には酸味は入れないか、少なくします。酸味が好きな男性だと酸味を多くしますが、それでも女性ものよりは少なくしま

伝統工芸の専門家といっても分からないことは分からないもので

伝統工芸系といっても、分野が違うと「全然分からない」ということは多いものです。 当然私も工芸系の他分野のことの詳細は分かりません。例えば漆を例にしても、同じ伝統工芸系でも染色とは「全く別」なので、ザックリしか分からず具体的なことは体感的には分かりません。 専門家がつくった漆の蒔絵技法のパネルを見たとして、その解説文の専門用語に、さらに簡単な解説までついていても「そういう方法なんだな」とは思いますが、体感的なイメージまでは出来上がりません。 これは「同業の分野違い」でも同

汎用性のあるものは強い個性を持っている

私の制作する着物や帯、その他染色品は、一見、個性的で使いにくい、他のものと合わせにくいのではないか?と思われることが多いようです。 なので「気になるけども、購入に踏み出せない」という方もいらっしゃいます。 しかし、ユーザになられた方々の多くは「これほど汎用性のある着物や帯は無い」とおっしゃって下さいます。 「個性的だけども、いろいろなものと合わせて引き立て合うもの」 というのは一見矛盾することですが、実際には「それが当たり前」なのです。 着物や帯は、基本的にそれ単体

絶対的に正しい色は存在しない

何かを制作するにあたって、そこに使う色はあらゆる選択肢がありますが、私は色というのは、最終的には「コミュニケーションの手段である」と思っています。 色は、その場の光によってまるで違うように見えます。 青が緑になってしまうぐらいに、光で変わります。 それと「眼の個体差」の問題も大きなものです。 人の眼は、それぞれの特性を持っていて、同じ色を同時に見ていても同じように色が見えていないのです。意外なほど個体差があります。 色に関わる仕事をしていると「いかに人によって眼その

プロの仕事に偶然などないですよ

上の写真の布は、イラクサの布に、ロウを使った染色技法で独特のニュアンスを出したものです。 生成りの部分は、何も染めていない布のままで、金茶色のところは、ロウによって文様を染めた部分です。 まるで、硬い樹皮のような味わいが出ていますが、もちろん布ですから柔らかいです。 この仕事では、あえて何も染めていない布の部分を残し、染めることによって、まるで硬い樹皮のような味わいの部分と同時に観ていただくことによって「布の魅力の振り幅を味わっていただく」のを意図しました。布の染まって