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大きめのゴム手袋

一年近いうつ病闘病生活を終えて復職したのは、去年の秋のこと。

休職前の、多くの社員が息をひそめて働いていた大きな部署を離れて、会社の隅っこの、来ない電車をいつまでも待ち続ける無人駅のような、しかしどこかほっとする小さな部屋が、私の新しい職場だった。

最初の一ヶ月は、同僚から「とりあえずゆっくりしていて」と言われ、部署のちょっとした雑用を除いては、本当に大した仕事もせず、パソコン上で過去のデータを眺めたり、電話当番をしたりして暮らしていた。しかしたったそれだけでも骨は折れるもので、会社からは毎日首の痛みという嬉しくないお土産を持って帰ってきていた。

当初から任され、そして今も続いているこまごました仕事の一つに、給湯室の管理がある。
電気ポットに水を入れる、ゴミ箱の点検、三角コーナーのネット取り替え、布巾やタオルの洗濯などである。
今でこそ、新型コロナウイルスの流行により共同利用の布巾やタオルは置かなくなってしまったのだが、復職当時は、布類を取り替え、使用済みをたらいに入れハイターで消毒し、洗って干すという作業が毎週月曜日のルーティンワークだった。

ある日、いつものようにこの作業をこなしていた時、気付いたことがあった。
給湯室備えつけのゴム手袋は、誰が使っても良いようにかなり大きめである。そのため、身体の割に小さいと言われる私の手でも、ぶかぶかしつつ、無理なく作業できるサイズだった。

「ゴム手袋はぴったりサイズのものを買わなくて良いんだ!むしろ大きめを買えば外すのも楽なんだ!」

当たり前じゃないかと笑われるかもしれない。しかし病気を経て戻ってきた私にとっては、本当に目が開かれる思いのする気づきだったのである。

私は自宅での水仕事でもゴム手袋を使っている。素手で洗剤を扱うとすぐに手肌が荒れてしまうからだ。しかし自宅で使うゴム手袋は、蒸れるし手にかいた汗でぴったりくっついてしまうしで、外す時はちょっとした格闘技のよう。

それは何故か。
答えは簡単だ。病気をする前の私はいつも、自分の手にぴったりはまる、遊びのないサイズのゴム手袋しか買っていなかったからだ。
そして遊びがないのはゴム手袋のサイズばかりではなかった。三十分每に見ていた腕時計(勿論時間は三十分しか経っていないのに)、仕事の後のスケジュール(大抵まっすぐ家へ帰っていた)、お金の使い方(欲しいものもあまり買わなかった)など…
生活の全てにおいて、自分の皮膚の外側をぴっちりゴム手袋が覆っていたようなものだったと思う。自分で自分を狭いゴム手袋の中に追いやって呼吸困難にしていた、その結果としてのうつ病発症だったのだ。

洗面台の下のストックコーナーを覗いてみたら、あの頃の私がまだ一組…ピンク色をしたあいつが…眠っていた。
手が小さい知人に差し上げるのも良いが、あの頃の戒めとしていましばらく、この小さめのゴム手袋を使うのも「手」かもしれない。

🍩食べたい‼️