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(東京が雨の日にだけ更新) 床に塗り込めた“今”と雨

夕べのテレビで見た天気予報は外れだな

朝の7時。心の中で呟いた。

建物裏の通用口から出て,空を見る。泥のように重そうな雲が頭の上を覆っているものの、顔には何も当たらない。

マンホールの蓋も傷だらけのアスファルト道も、おろしたての新品よろしくテカテカと光って、もう雨は此処を通り過ぎたぞ、と教えてくれていた。「・・この雨は、夜から明日土曜の明け方にかけ、夜通し続く見込みです」と、笑顔と頭頂部の明るい気象予報士が昨日の夕方に言っていたことは、中途半端に当たったわけだ。

左手の指に食い込むほど重いリュックを、数秒見つめる。底に寝そべり続けている古い折り畳み傘を出すまでもない。出番はしばらく無いだろう。開くと少しだけ赤い錆の匂いがする、ユニクロで買った傘は、持ち主同様に潤いがなく、乾いている。

今日することは、もう”帰る”ことしかない。

スライドドアがでこぼこの粗末な社用車(トヨタのハイエース)と、これまた粗末な道具一式の片づけは、全てアルバイト学生コンビに任せ、一足先に上がることにした。

駅までの道をいく。分厚く固い長靴のソールが、土踏まずに僅かな痛みをリズミカルに与え続ける。

タバコをジャンパーの胸ポケットから取り出す。ふと見ると右手の人差し指の爪が固く、テラテラと光っていた。
床をコーティングするワックス剤は、モップを持つ利き手よりも毛糸のように太い毛に絡みついたゴミを拾い上げる右手についてしまう。(自分にとってこの右手は、サポート役というより雑用係だ)もちろん、手を石鹸で洗えばある程度は落ちる。だが俺たち清掃員は戦闘員だ。汚れだけでなく時間とも戦わなければいけない。そんな時には自分のことなどすべてが後回しだ。

時々、今回のように夜のうちに清掃作業を完了しなければいけない現場がある。イベント会場など人の出入りが多い場所に多いが、学校(今回のは金持ちの子供が通う私立高校だ)というのは少し珍しかった。

「別に土曜で子供らはいないんだから、昼間やっても同じだろうによ」

100回くらいあったような気がする。実際、朝になっても生徒も先生も誰もこない。部活の朝練もないらしい。ここの子供はモヤシだな、と思う。


荒れた指先とポケット内部のフリース生地が擦れ、ザリッとした音を立てる。その感触も気にせず、ジャンパーのポケットに手を滑り込ませた。

ワックスの清潔感のある匂いが、全く清潔感のない中年男に纏わりついている。それとも鼻腔にこびりついているのだろうか。現場だろうが家だろうが、いつでも匂って落ちやしない。


世界は誰かの仕事でできている というCMのコピーを思い出す。
とてもいい言葉だ。”誰か”には、自分も入れてもらえているはずだと思えるから。

ちなみにこの仕事は、普通存在そのものを認識されないものだ。陰に徹するという表現では生温いほどに、存在感がない。それでいい。
何故なら汚れもゴミも”無い”状態に価値が”有る”から。その”無”くすことを生業とする俺たちは、見えないほうがいい。存在感が無いというよりも、そもそもあると知られていない。それが理想であり、この仕事に就くものとしての矜持だとも思う。
矜持・・・矜持か。


金のために仕事をしよう、稼ぐことだけを考えて生きよう、と決めた時期があった。楽しみも、やりがいも、周りからの評価も一旦見えないところへ追いやって。それを『割り切り』だと思った。いや,思いたがっていた時期。

稼いだ金で楽しいことをすればいい、満足を買えばいい、と。

そんな風に過ごした時間で、通帳の残金を増やした。家にある物も増えた。食うものも増え、腹の周りの肉も浮き輪のようになった。その分消えていっては、また貯まった。

生きることは泡のようだ、という文言が何かであったように思う。且つ消え且つ結びて・・・だったか。誰の俳句だったろう。俳句だったかな?古文の授業だった気はする。


泡のようだという感覚は、とてもよくわかる。そしてただの泡には、楽しさはない。排水溝に流れていくだけ。今日の現場は高校の廊下とトイレだった。ガキどもの付けた汚れを洗い、磨き,見栄えをよくしてやった。

床にワックスと一緒に、若さへの嫉妬も塗り込んでいた自分がいた。廊下は憎たらしいほど長かった。前にも後ろにも。


「やりがいや楽しさを求めよう」「今からだって遅くないよ」
昔の自分が身体の中のどこかで言った気がした。“あの頃”の破片が、残渣が、まだ残っているらしい。


そうだ。片付けをして会社を出る時、俺の分のタイムカードを切るようにと、あいつらに言うのを忘れたなぁ。電話をしようか・・・。いやそれも面倒だ。LINEを送っておけばいい。大人なんだからわかるだろう。

「大人なんだから」というセリフは、他人や社会に対してはスルリと口から出るのに自分自身に対しては全く出てこない。
都合の良い期待を勝手にする悪癖は、子供のころから変わらない。大抵その期待は裏切られ、悲惨な結末を迎えるのに。飽きず懲りずに生きてきた。

サイズの大きい長靴は、歩くたびに指先を上に持ち上げなければならない。若いころは平気だったが、今は甲とふくらはぎに疲れと痛みが残る・・。老いるという実感は、実に人を落ち込ませるな・・。

傘を持つ左手の指にも、ワックスが付いているのが目に入った。こちらもテラテラと光っている。それを見て、「今、生きていて、自分の手を見ている」と、おかしな確認をしている自分に気づく。



・・いつのまにか傘を持っていた。

そしていつの間にか雨が降り、いつの間にか駅前まで来ていた。

ジャンパーについた水滴を手で払いながら思った。雨はいつでも時間を奪う。俺はぼーっと生きている。そして明日もきっと同じ。明後日もその先も。

いつかまとめて返してくれる日が来るのだろうか。


改札で男子高校生とすれ違った。彼は凛とした表情で、スタスタと歩いていった。その清らかさに、胸の奥を細く長い針で刺されたように感じた。

スマホを取り出した手を見る。指についていたワックスは雨水に触れたせいで溶け、もうさっきまでのように、下品に光ってすらくれなくなっていた。


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