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僕はもう一人じゃないから

目からは涙があふれ出している。
対向車の目線も気にならないくらいに……
カーステレオには一本のカセットテープが入っていた。


僕は高校卒業後、東京の音楽専門学校へ通うため上京した。
引っ込み思案で人見知りのくせに、シンガーソングライターになりたかったのだ。
生徒は皆、希望に満ちてキラキラしていた。

150センチ台と背が低い僕は「普通」の若者に圧倒された。
皆おしゃれに着飾っている。
分からないかもしれないが、背が低いと店にあるどのサイズもまったく合わない。

一年生の秋、それは起こった。
通学のときに校門で話をしている二人の生徒が僕を見て「カッコいい!」と笑った。
明らかに僕の服装を茶化したのだ。

仕方がないのに、ぴったりのサイズもどこにもなく着られないのに。
どうにもできないじゃないか。
僕はそれ以降さらに敏感になり、他人に対してそこしれない恐怖心を抱くようになった。

二年生になると、寮でも食堂、風呂など、人に出会う場所にはなるべく行かないか、人の少ない時間を狙って行くようになった。
寮生活で長く観察していると、「いつ頃は空いている」「今は多い」と分かってくる。

お昼ご飯は寮をそっと抜け出し、人気の少ないコンビニへ買い出し。
近くにはミニストップがあったが、そんな人気のある場所には行けるはずもない。
食事を一日抜くこともあった。

もはや自分と家族以外の人間は攻撃してくる敵だ。
「みんな僕の悪口を言っている…」
そんな妄想を抱き始めていた。

とはいえ、仲の良くしてくれる友人が一人だけいた。
入学時に真っ先に声をかけてくれた人。
卒業後はどこかに部屋を借りて、彼とシェアして東京で暮らす案も出たが、どうしても恐怖は消えることがなく断念。
実家へ戻ることになった。

実家ではほとんど部屋にこもるようになった。
理由を親には話していないので、なぜ仕事をしないのか、仕事を探さないのかと小言をよく言われたものだ。
心配してのことなのだが、それはとても負担だった。

心の不調を隠し通すことは長い年月続いた。
心療内科の門を叩くまでは。


僕は自動車運転免許証の更新をするため、県の交通センターへ行った。
とてつもない人混み。
人の目が突き刺さる恐怖の館だ。
ゴールド免許だったので、講習時間が30分なのは幸いだった。

なんとか更新を済ませ、交通センターの出入り口を通りががった瞬間、

「でっか!」

茶化す声。

何だ、この悔しさは。
何だ、この怒りは。
何だ、この悲しさは。

帰り道、自動車のアクセルを踏む僕は思った。

「このカーブでを直進してあの崖にぶつかれば、楽になれるだろう」

でも踏めなかった。
踏み込めなかった。
死ぬ恐怖と、家族の悲しむ姿が浮かんで。

そのときカーステレオからは中島みゆきとSPEEDの曲が流れていた。

君を映す鏡の中 君を誉める歌はなくても
僕は誉める 君の知らぬ君についていくつでも

あのささやかな人生を良くは言わぬ人もあるだろう
あのささやかな人生を無駄となじる人もあるだろう
でも僕は誉める 君の知らぬ君についていくつでも

中島みゆき「瞬きもせず」より

永遠に汚れない思いがあるなら
愛を止めないで
この世に生まれてきた
命のきらめきを知っているなら
終わりなき旅路へ歩き出そう

SPEED「ALIVE」より

目は涙でいっぱいになりこぼれ落ちた。
とめどなく流れ続けた。
拭っても拭っても追いつかない。

数日間は寝る前も、朝起きたときもポータブルCDプレイヤーで聴き、部屋で一人、嗚咽していた。


あれからいくつの年月が過ぎただろう。
未だ傷は癒えないが、あの時より僕は強くなった。
家族、友人、主治医の支えによって。
ブログ仲間やSNSのフォロワーさんたちにも助けられて。
2022年には素晴らしい音楽家にも出会った。

このnoteは「私だけかもしれないレア体験」というテーマで書いているが、同じような経験は僕だけではないはずだ。
僕はそんな人たちに詩(詞)や歌で寄り添えられたらと思っている。

それどころか、僕を「傷つけた」人にも幸せになってほしいと思っている。
本当に。
僕は小・中学校といじめにも遭った。
それでも怨みなんか捨ててしまった。
そんなものを持っていても自分を苦しめるだけだし、人の幸せを喜べる人でありたいから。

偽善と言われるかもしれない。
驕りかもしれない。
思い上りかもしれない。
でも、この感情を止められないのだ。

僕はいま新たなステップを踏み出そうとしている。
死へと向かうアクセルではなく、希望というアクセルを踏んで。
2023年はきっと良い年になる。
そう信じているから。

@ゆき後輩

いつもありがとうございます。サポートは創作のために役立てたいと思います。