現代アートはよくわからない
先日、横浜トリエンナーレ2017に行ってきた。
ちょうど『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』を読んでから行ったので、VTS(=Visual Thinking Strategy)を意識してみようと思っていた。
VTSはビジュアルアートを見て、感じて、言葉にすることを徹底する。
実践できていたかというと、思ったよりできなかった。とりあえずわかったのは、思考のクセ。
パッと見、なんだかよくわからない現代アートを前にすると、自分の思考のクセが出てくると思う。
私はその作品がどういう素材でできてるか、どうやって作ったのかが気になる。いつも作品を見ながら製作過程を想像する。(たぶんどこかで、自分で作ってみたいという意識があるんだと思う)
一緒に観た友人は、解説があまりなくて不満そうだったのだけど、アーティストがなぜその作品を作ったのか、どういう意図があるのかが気になるらしい。
でも結局、現代アートそのものはよくわからなかった。笑
身体感覚を取り戻す
横浜トリエンナーレを見ていて思ったのは、私が小さいころ見てきたアートとくらべて、絵画や写真、彫刻などのオブジェ以外の表現が格段に増えたこと。
現代アートが過去に例を見ないほど多様な表現形態やメディウムを有していることは、鑑賞者の、身体感覚の欠落感を補おうとする欲望の反映でもあります。その場所に実際に行って、体験してみないとわからない「現場性」は、現代アート鑑賞における大切な要素です。
––––– 長谷川祐子『「なぜ?」から始める現代アート』
たしかに。
メディアの発達によって、その場にいなくても世界中のあらゆる物事を「見る」ことができるようになった。
仕事でも普段の生活でも「見る」ことばかりが多くなってきた。
そして、いつしか溢れる視覚体験は、身体の実感、心の実感を伴わなくなったわけだ。
インスタレーションやワークショップなど鑑賞者の身体ごとアートに入っていく作品が多くなったのは、忘れかけた身体感覚を取り戻すひとつの動きなのかもしれない。
アーティストたちが重要だと思っているのは、人々がアートと出会う場で過ごす時間と体験の質です。
––––– 長谷川祐子『「なぜ?」から始める現代アート』
ホワイトキューブと呼ばれる、真っ白な空間の中で作品と対峙していた時代から、作品そのものの中へ入り込む鑑賞へ。
アートとの向き合いかたを変えなきゃならないのは当然なのかも。
正直本を読んだあともいまだに現代アートはわからない。わからないけどわからないなりに身体でなにか感じればいいと思う。たぶんそのほうが、わかった気でいるよりだいぶマシだと思う。
アートには、そこに込められた意味や、象徴されている形を読み取ったり、それについて解釈する楽しみのほかに、ダイレクトに自然につながる知覚を呼び覚まし、日常から解放してくれるという、重要なはたらきがあるのです。
––––– 長谷川祐子『「なぜ?」から始める現代アート』
ちなみに本書を書いてるのは、東京都現代美術館(MOT)キュレーターの長谷川祐子さん。
紹介されているアーティストは、草間彌生、村上隆、オラファー・エリアソン、ジェームズ・タレル、エルネスト・ネト、蔡國強など。
個人的には
草間彌生の話、おもしろかったな。
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