【ReConstruction】 #1 アンビエントについて
ちょこちょことライター業を数年続けていたのだが、人生の転機に伴いすこし離れてしまった。
しかし「何かを書く」ということから離れたくない、やっぱり何かを書きたいと言う思いからせっかくなのでnoteで書いてみることにした。
そこで過去自分が書いた記事に関連した”今”の自分の想いや考えをつらつら書いていきたいと思う。
過去自分が残したことを再構成(ReConstruction)していきたい。
書き”続ける”ことが大事なのでできれば何回か。
さて、そんな第1回目のテーマはアンビエント、環境音楽について。
リイシューをメインとするレーベル「Light in the Attic」が日本のアンビエント(環境音楽)をフィーチャーしたコンピレーションアルバムで、2019年2月にリリースされた「Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990」を本記事では紹介している。ちなみにこのアルバムはその後2020年グラミー賞の最優秀ヒストリカル・アルバム賞部門にノミネートされちょっと世界を騒がせた逸品である。
本記事ではあくまでも紹介/レビューという形なのでそこまで自分のことを書くことはしなかったが、改めて自分にとってのアンビエントとは何なのかを述べたいと思う。
第1部:アンビエントとは
そもそもアンビエントとはなにか。
日本語に訳せば環境音楽。
ハイパー平易に述べるならばBGMではないだろうか。
始祖はジムノペディやジュ・トゥ・ヴなどでも有名なエリック・サティ。
彼は「家具の音楽(musique d'ameublement)」と呼ばれる作品を書いたが、それこそがアンビエント・ミュージックが産声を上げた瞬間ではないだろうか。
これは決して家具を描いた音楽なのではなく、まさに「家具」として使われるべき音楽として書かれた。
初演の際はサティ自身が聴衆に「(聴かないで)おしゃべりを続けて!」と言ったとか。
聞くことを目的としない音楽、聴かないことで意味をなす音楽。
このコンセプトに出会った時、僕の人生は大きく変わったのかもしれない。
「家具」の如く生活の一部として存在する音楽、これはまさにエンタメが飽和し多忙な現代人に必要なモノなのでは無いだろうかと思い至る。
さて、アンビエント・ミュージックはその後完全に華開いたのはブライアン・イーノ登場の時である。
至上の名盤「Ambient 1: Music for Airports」をはじめとする作品群を明示的にアンビエント・ミュージックと名付け世に解き放った彼の偉業は、文字通り世界を変えたと言えると思う。
その思想はその後クラブミュージックの世界や商業音楽の世界、あるいはアートの世界に波及し今日にも脈々とそれは続いている。
そして日本でもその音楽は見事に華開き、その歴史を編纂したのがこの「Kankyō Ongaku」というわけである。
廃盤となった無印良品最初の店内BGM集「 MUJI BGM1980-2000」にも収録された細野晴臣楽曲をはじめ、日本のアンビエントミュージックが一堂に会し様々なアプローチを一覧で見られる/聴ける最高の企画だ。(配信版は盤に比べて収録曲は少ない)
また本アルバムのリリース後、芦川聡や尾島由郎、吉村弘のアルバムが次々と再発され日本産アンビエントがいかに評価されているのかがよくわかる。
アンビエント・ミュージックは派生した文脈によっては「ニューエイジ」であったり「ポストクラシカル」「ヒーリング」なんかと混同・同一視される。
ここではその詳細はあまりふれないが、祖を同じくして派生した先に誰がいるのか自分なりに調べてみるのも楽しいだろう。
第2部:僕にとってのアンビエント
駆け足でアンビエント・ミュージックに関して説明したがこんどは僕がなぜこの音楽に惹かれるのかを述べてみる。
第1に先でも述べた「聴くことを目的にしない」というコンセプトである。
「音楽は耳で感じる」だ、「俺の音楽を聴け」だ、そんな押し付けがましい圧がどうも苦手で、聴き手の受動性に依存しないところにある種の気高さを感じるのである。そしてそれは同時に聴覚だけの刺激に止まらず「空間/空気感」の創成を行なっているところが最大の魅力なのである。前述のイーノ「Ambient 1」はまさに清らかな音に対し空港の空気感を感じられるし、以降の作品も音が充満した部屋そのものが美しくなる。良質な音楽は音だけの感動だけではなく空気を変え得る、それを可能にするのはアンビエント・ミュージックなのだと思う。
そして第2に目的意識が非常に高いところにある。自分で音楽を作っていて意識していることでもあるのだが「その音楽は何のために存在するのか」という問いは音楽に対して避けられない。アンビエントはたとえば「それが流れる空間」のため、時には「聞く人の気持ちを変える(購買欲を促進する、急いで行動するなど)ため」など強い目的意識を帯びている。同時にその目的を推敲するための創意工夫がちりばめられているというのが価値なのである。
「空間創成力」と「強い目的意識」、その二つが明確に存在するから僕はこの音楽に惹かれるのである。
忙しない日常を生き、現代人はかつてほど「音楽を聴く」ことに集中できる時間を持てなくなってきた。
そんな日常の隙間時間に「”聞け”という圧」がなく、そっと生活に寄り添ってくれる音楽だからこそ、僕らに必要な音楽なのだと信じている。