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#34 エシカル消費って何だ?

~時代は所有からシェアへ,使用するということが軸となる価値観~

最近,カーシェアやシェアハウスなどのシェアリングエコノミーサービスが増えてきており,「時代は所有からシェアへ」というようなフレーズをよく目にするようになりました。その中で,ものを個人的に所有するのではなくみんなで共有する,というようなコンテキストがあるように思います。ところで,共有とはみんなで所有するということ,また共産とはみんなが生産したものを国家が所有するということであり,いずれも誰かが何かを所有している,という概念なのだと思います。

筆者はシェアという言葉に少し違った感覚を持っていて,それは何かというと,軸足が「所有」から「使用」に移ってきているのではないか,と感じているということなのです。もともと,原始生活においては(多分)自然は所有するのもではなくただそこに在るものであり,それをみんなで「使っていた」だけなんだと思います。ルソーの不平等起源説ではないですが,誰かが安定的生産(農耕)のために土地などを所有することを始め富が生まれるようになったのでしょう。そしてITによって貧富の格差がかつてないほど広がり,Fintechで財が単に通帳の上の数字でしかなくなりつつある(とまでいうと語弊がありますが)現代,もはや「富」に重みをもったモノとしての実感が沸かなくなってくるのではないでしょうか。

ところで,教科書的なマーケティングコンセプトの変遷を詳解するのは避けるとして,現代は社会的なニーズに合致したモノでなければ受け入れられない(社会志向マーケティング)という,エシカル=倫理的な消費の考え方に変わってきています。私見ですが,エシカル消費という価値観においては所有の意識はかなり希薄なのではないか,と感じます。

東南アジアなどに行くと「おまえは万年筆を2本持ってるだろう,俺は1本も持っていないからもう1本の方をくれ」というような要求をされることがあるそうです。確かに,ひとりが万年筆を2本持ってて1本しか使われていない状態よりも,2本の万年筆を2人で使っている状態のほうが活性化しているわけですよね。

松下幸之助翁は「公園の水を誰も所有しようと思わないのは水が無尽蔵だからだ,したがって企業の使命はモノを水のように生産することである」というようなことを言ったそうです。モノが公園の水のようになれば,誰も所有しようという気にならないでしょう。

筆者の人生のタイムリミットからして,人の意識が所有から使用に遷移する最後まで見ることは叶わないでしょうが,時代は確実にそのように動いているのだろうなと感じる今日この頃です。

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#ビジネス #エッセイ #マクロ経済 #シェアエコノミーサービス #マーケティング・コンセプト


正しいことより「適切なこと」に重きをおく,プラグマティックな実践主義コンサルタントです。経営の鬼門はヒトとカネ,理屈ではなく現実を好転させることをモットーとしています。 お問い合わせは,https://prop-fc.com/mail/mail.html