見出し画像

#49 リアルの価値

~肉体は魂の乗り物なのか,リアルとリアリティについて考える~

ジャミロクワイの "Virtual Insanity”(仮想狂気)という歌が流行ったのは1990年代の終わり,もう20年も前のことでしょうか。またその頃には,キアヌ・リーブス主演の映画「マトリックス」も話題になりました。これなどはまさにバーチャル世界の話で,リアルな肉体は生命維持装置の中で「生ける屍」のように管理されています。VR(ヴァーチャル・リアリティ)の究極は,まさにマトリックスの世界なのかもしれません。

時代の流れや来るべき未来の姿をとらえるアンテナは,ビジネスマンに多い左脳型よりアーチストに多い右脳型の方が鋭いと言われています。20年前にクリエイターたちが感じていたヴァーチャルな世界=仮想現実が,ここ数年で急速に進展してきています。コロナ禍でリモートな働き方やヴァーチャルなコミュニケーションがどんどん現実化している今,これからの時代がどうなるのかを見極めることは,ビジネスにおいても重要なファクターとなるでしょう。

そうはいっても,全てがマトリックスのような世界になるというのではなく,やはり「リアルはリアルとしての価値」が残る部分もあるのではないかと思います。これからの商品やサービスを考える上では,何をどこまでバーチャル化してリアリティを求めるか,そして何を物理的なリアルとして残すのか,という設計が大切なのです。以下,筆者の考えるバーチャル・リアリティリアルの姿を,人間の欲望あるいは人間の基本的な営為から,アイデアフラッシュ的に記しておきます。

〔性欲・生存欲求〕
最近青年層のセックスレス化や独身率の多さが憂慮されているが,性に関する情報が溢れている分,性への憧憬も薄らいでいるのかもしれない。そして,恋愛の2次元化やバーチャル化は進むだろう。さらに,性の処理はバーチャルあるいはAI搭載のアンドロイドなどになり,生殖の営みは人工授精のような機能的なものになるのかもしれない。

〔食欲〕
食は五感を楽しませるモノととらえるか,単に肉体を維持するだけの機能的なモノととらえるかで,取り扱いが180度変わる。前者においてはリアルの価値は変わらないが,後者においては食は宇宙食のようなものになるだろう。ただし,前者においても音や風景といった五感を刺激する媒介がバーチャルになっていくということは考えられる。

〔物欲・所有欲〕
モノに対する考え方が「所有」から「使用」に変わる可能性がある。リモートなライフスタイルでは大都市での生活が不要になり,都市部の不動産価値が下落する。バーチャルライフを維持するためのインフラへの投資は行われるが,空気や水のように公共財としての性格が強くなるかもしれない。そうして個人は所有から使用へと意識を変化させるだろう。

〔社会的・関係性欲求〕
価値観の多様化によって画一的な階級社会から脱却する。ネット社会においては物理的制約を超えたコミュニケーションが成立し,個人はより個別的あるいは1対1の関係性に重きを置くようになる。集団や組織は固定的ではなくフレキシブルなものになるだろう。ただし,プリミティブな肉体的優劣と言った感覚はスポーツの中に残るだろう。

〔自己実現・表現欲求〕
リアルで接触する機会が少なくなり,ヴァーチャル・リアリティでの自分のポジションや影響力に気を遣うようになる。仮想現実の中のアバターとしての自分にアイデンティティを感じる。とはいうものの,リアルで充実しているという「リア充」の価値自体がなくなるわけではなく,ヴァーチャル派とリアル派に志向が分かれるだろう。

〔こありん先生チャンネル〕YouTube配信しています@(・●・)@

#経営 #コンサルタント #ビジネス #エッセイ #ヴァーチャル #VR #アフターコロナ



正しいことより「適切なこと」に重きをおく,プラグマティックな実践主義コンサルタントです。経営の鬼門はヒトとカネ,理屈ではなく現実を好転させることをモットーとしています。 お問い合わせは,https://prop-fc.com/mail/mail.html