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#56 「分断と統合」どちらを選ぶのか

~コスモポリタニズムは過去のものなのか,統合を目指すEUと分離を志向する英米~

21世紀に入って,ネット上で「もし地球が100人の村だったら」という啓発運動が広がりました。もしも世界が100人の村だったら,20人は栄養失調,17人はきれいな水を飲めず,14人は文字が読めず,48人は何らかの形で言論の自由を制限されています。世界が本当に100人の村で,皆がそれぞれ成熟した人間性を持っていたとしたら,そのように不便で理不尽な思いをしている人たちの環境を改善しようとするのは当然のことではないでしょうか。

筆者が中学生のころ,名前は失念しましたが著名な学者が,「コスモポリタニズム=世界市民主義は高邁なようで実現性がなく薄っぺらい」という批判をしていたのを憶えています。その頃は確かに,ナショナリズムに対するアンチテーゼとしての捉えられ方で,その実態は曖昧で内実の乏しいものだったのかもしれません。あれから約半世紀が経ち人口は37億人から77億人と倍増しましたが,モビリティと情報技術の発達で地球は小さくなり地球の裏側の人たちのことも身近に実感できるようになってきています。そいう意味でコスモポリタニズムという考え方は実感を伴ってきた気がします。

ところでこれまでの世界観,オールドエコノミーの根っこには将来に対する不安,端的に言えば,いつか食料がなくなり飢え死にするかもしれないという不安があります。だから食料をストックしなければならない,いな食料だけでなく生活必需品も,またそれを生産する手段を技術を労働力を所有しなければならない,とエスカレートしてきました。つまりオールドエコノミーは「所有」することが基本的価値であり,持つ者と持たざる者の「分断」に至るのは必然です。

それに対してニューエコノミーは,基本的に人類が生きていくには十分な資源が地球にはある,ことを土台としています。これまで,どこの誰に何が不足しているのかが分からなかったけれども,情報技術の進展によりそれらが正確にわかるようになってきた,だからこれからは足りないところに余っているものを分配する仕組みを整備していけばよい,ということになります。

商品やサービスのサプライチェーン情報を入手しているので,その中から自分の価値観に合うものを選択する,全体最適的に統合を志向しているものを選択する,つまりエシカル消費を選択します。消費するということは「使う」ということ,そして「使う」ということは,自分のためにも人のためにも「使う」ことができるということであり,それが「統合」の途にいたる,ということなのです。

未来のことは誰にもわかりませんが,どういう未来を生きていきたいのかは自分で選ぶことができます。人類はこれからコスモポリタンとして生きていくのか,ナショナリストとして生きていくのか,他者への友愛を基とする「統合の途」を選ぶのか,自分の安全と利益を最優先する「分断の途」を選ぶのか,それは私たちに課せられた試金石なのかもしれません。

〔こありん先生チャンネル〕YouTube配信しています@(・●・)@

#経営 #コンサルタント #コスモポリタニズム #エシカル消費 #地球が100人の村だったら

正しいことより「適切なこと」に重きをおく,プラグマティックな実践主義コンサルタントです。経営の鬼門はヒトとカネ,理屈ではなく現実を好転させることをモットーとしています。 お問い合わせは,https://prop-fc.com/mail/mail.html