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結局ママ友がゼロでは生きていけなかった話

1年ほど前、こんなコラムを書いた。

この記事を書いたのは離婚する2ヶ月前、都内から横浜に引っ越す3ヶ月前である。

この時の自分に巨大なメガホンを向けて叫んでやりたい。


「カッコつけてんじゃねーーよ!!!!!!!!!」


結論から申し上げましょう。


ママ友がゼロでも生きていけるのは、ありとあらゆる地域の情報を自分一人で巧みに操り、強靭なメンタルと折れない心をお持ちの強い方であって
私みたいなイカメンタル(=イカのようなぬるぬる、ふにゃふにゃしたメンタル)の人間には到底無理だった。


あんなに嫌だった保育園のママグループライン・・・
ママになった学生時代の友達のグループライン・・・


退室するんじゃなかったorz...


私の個人的な見解ですが、
特定のコミュニティに所属して上手く周囲とやっていける人と、
(私のように)特定のコミュニティが煩わしくなる人がいて

ひとり親になる前は、意固地になっていた部分も強く
周りに自分の相談をすることを避けていました。

そもそも私の所属していたあらゆるコミュニティで(特に母親になった人同士のコミュニティ)わざわざ自分の家庭の困ったこと、自分の抱えている悩みをおおっぴらに話す人はおらず(親密な関係でない限りなかなか難しいですよね)大抵起きるパターンとして、お互いにふんわり綺麗な部分だけを見せ合って、上っ面の言葉でお互いの容姿や子供のことを褒め合うことに、私は妙に違和感を感じていたのでした。

私のことを誰も理解してくれないんじゃないか、
馬鹿にされるんじゃないか、侮辱されるんじゃないか、見下されるんじゃないか、と思うことが多く
悩みをさらけ出したとしても、傷つくような言葉をかけられるのも嫌だと思った私は周りと繋がることに疲れていき、
楽しくもないのに作り笑いをしたり、気を使ったり、常識的に振る舞うことに疲れていき、どんどん自ら孤立していったのです。


数ヶ月後、人間関係を遮断したことをひどく後悔する日々が訪れるなんて
その時は露知らず・・・


この頃の自分の家庭はというと、
外からはしあわせに、順調に見えていても、心臓が動いていないというか、動かなくなった時計のように何かが機能していなかったように思えます。そしてその機能していないことを見て見ぬふりをして時計を使い続けているような感覚。

そんな壊れた時計のような家庭のことを誰にも相談できずにいた私は

一人で離婚を決意して、一人で引越し先を探して、時間をかけながら、じわじわと離婚に踏み込んでいくのですが、

その間相談した人は一人もいません。

みんな、家族も、ほぼほぼ事後報告。
報告していない人もいます、たくさん。


家庭が壊れているという相談を周りの知り合いにすると


「離婚したら子供がかわいそう。」


「(不倫相手と)隠しながら上手くやりなよ〜」


「なんだかんだ離婚する気ないんじゃないの?」


と、今思い返せばなんともまあ
手前勝手な言葉が返ってくること。
その当時、素直に鵜呑みにして落ち込んでいた自分の頭を優しく撫でて

「いいんだよ、君は間違ったこと言ってるんじゃないよ」と抱きしめてあげたい。

不思議なことに



「あなたはどうしたいの?」



って誰も私の気持ちを聞かないんですよね。



無論、私の相談相手の人選ミスですが


当時は、家庭のことを相談したことによって理解してもらえた、聞いてもらえたと気分になれたことは一度もなく、一人で抱え込んで、一人で処理をするのが妥当だと考え始めていました。もちろん、ママ友になんて絶対言えません。
みんな、返す言葉に困るでしょうから。

気まずそうにされて、不要なアドバイスをされるくらいならもう言わない方がマシです。


そう。

「もうママ友なんていらん!!!!!!!!!!!!」


と岩のように腕組んで


「わしは一歩も動かんぞおおおお!!!!!」

と言い張る昭和の頑固ジジイのごとく


「ママ友なんかゼロでも生きていける!!!!!!!!!!!!!!」


と誓った・・・


はずが・・・


「だれが

だあああああずううううげええええてえええええ!!!!!!」(たすけてー)


と心の中で私の魂がおもむろに叫び始めたのは
離婚から10ヶ月くらい経った頃でしょうか


ことの始まりは、私の息子が保育園の帰りにまっすぐ家に帰りたがらず
保育園の同じ時間に迎えに来たお友達と遊びたい、○○くんのおうちに行きたい、公園に行ったら、全然知らないお友達に話しかけ始めるなど
ヒューマンコンタクト(人間との関わり合い)を急激に求め始めたことから始まりました。


ヒューマンコンタクトに疲れた母親の私と
ヒューマンコンタクトが欲しくてたまらない息子。


しかも、息子が通う横浜の保育園には車で通う親子ばかり。
保育園から車に飛び乗り、ピューーーーンとお家へ帰ってしまい
帰りに公園でなんか遊べません。まず、コロナでゆっくり話せません。
歩道で話してると通行人に怒られるのでなんとなく解散が余儀なくされます。


家の近くに同じ保育園の子がいるのかもわかりません。

この保育園の帰りにお友達と遊びたいけど遊ぶ相手がいない問題

結構大変でした。

4歳の息子は家に帰りたがらず、とにかく誰かと遊びたがっていました。

(今はアニメを観たり、レゴなど一人で遊ぶことも楽しめますが
息子はきっと引越したてで、きちんとひとり親でも母親業をこなさねばと意気込み、疲れ果て、殺伐とした雰囲気の我が家が居心地悪かったのでしょう)

息子があまりにも人と遊びたがっているのを見て
どうしても息子の遊び相手、遊べる場所を作ってあげたいと思うと同時に
それには自分が動かないと何も変わらないと自覚し始めたのでした。


しかし、気持ちとは裏腹に

全然知らない同じクラスのお友達の親に向かって「あなたのおうちに遊びに行ってもいいですか?」
なんて聞く勇気は私にはなく、

はたまた、「うち(私たち親子の住処であるエレベーターのない、子供部屋の床がギシギシ言うような、夏は蚊の溜まり場か!と突っ込みたくなるくらい自転車置き場に蚊が襲ってくるO型の人間にはとても勧められない、立派な一軒家に囲まれた中にポツンと潜んでいる黄色いボロアパート)に遊びに来ませんか?」なんて呼んで、「ああ、第三者が来るなんて久しぶりだから家が変に匂うかどうかもわからない」なんて考えながら全然知らない親子を招き入れる自信なんて到底なかった。

お母さんたちと会話をしようとしても、暑いか寒いの天気の話題か、子供の着ている服が可愛いとコメントするくらいにしか膨らまない。自分のコミュニケーション能力の問題なのか、質問力の問題なのか、相手の問題なのか、ケミストリーの問題なのか、もはや今もわからないが、全然盛り上がるお母さんが見あたらない。そもそも、保育園は迎えの時間がそれぞれ違うので、出会うお母さんの絶対数が限られ、

ほぼほぼみんな車で遠い我が家に(兄弟と)帰っていくではないですか。


都内の保育園に通っていた時はこんな現象なかったのにねえ、土地でだいぶ違うのねえ、あたしゃびっくりしましたよ〜(樹木希林風)

それでも、めげずと

今度考えついたのは習い事。


エネルギーも体力も全て有り余って持て余していた息子に
習い事を始めさせれば、仲良くなれる親子や一緒に遊べる親子が見つかるかもしれない!と前向きに始めた。


が、しかし


みんな習い事が終わった瞬間、


目も合わせず一目散にどこかへ帰ってしまう



ちんたら井戸端会議をしている人や、この後フードコートでご飯なんてどうですか?なんてノリの親子なんて周りにはいなかった。

頑張って、息子と同じ習い事のクラスの親と迎えに時間が重なり、挨拶をしてみるも、挨拶で終わる。どこから通ってるのか、どのくらい通っているのか、子供は幼稚園なのか保育園なのか、全然会話が進まなかった。
個人情報にみんなうるさいのか?
私は信頼できない人間に見えるのか?
とにかく切なかった。
相手にこちらと話す気がないのが8000パーセント伝わってくる。
別に相手が悪いのではない。正直なところ、お相手のママさんの気持ちはとてもよくわかる。


だって、

私もそうだったもん。
そこまで他のお母さんと関わりたくないって思ったことあったもん。


反省した。
因果応報とはこういうことかしら、なんて。


あんなに人と繋がることにうんざりしていた私が、こんなに繋がることに必死になるなんて、コミュニティから抜け出したいと思っていたのに、コミュニティに属したいと願うなんて、笑ってしまうほど、見事に誰とも関わらず一人で生きるということの難しさ、寂しさ、愚かさを痛感したのであった。


安心してほしい、

今は色々な方々の助けがあって、お友達ができたり、
落ち着いてきている。

きっと、一人でもできている人もいることだろう。


ただ、私が言いたいのは、
「私は」ママ友がゼロだと生きていけなかった、ということが

証明されたというお話でした。


Love, Yvonne

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