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わたしが障害者に抱いていた偏見と思い込みが覆された話

わたしは週に3日、知的障害者と自閉症の施設で
障害者の作業所をサポートする仕事をしているのですが
気づいたことがたくさんあるのでそれを共有したいと思います
(ちなみに私の住む横浜は障害者を1日に1回は駅で見かけるくらい
障害者も、障害施設も多い街です)


実は、何かしらの形で障害者と関わることがずっとしたいと思っていたわたし。離婚してやりたいことしかやらないと決めたわたしは思い切って
福祉デビュー


そして私が関っている障害者の方々は
会話は全くできないほどの重度の障害を持っています



今回、障害を持つ方と関わるまで
私はずっと偏見を持っていたことに気づきました。



それは彼らのことを心のどこかで「かわいそう」だと
思っていたこと(会話も不可能なほどの重度の障害の方に関してです)

なぜかわいそうかと言うと「普通の生活ができない」「誰かの助けがないと生きていけない」「好きなことができない」「結婚もできない、子供もできない」「好きな仕事ができない」「夢も持てない」


など、健常者の私たちが当たり前にできていることが
できないことが「かわいそう」だと思っていたのです



でも、この考えは彼らと過ごすうちにガラリと変わってきました
なんて自分は上から目線で見ていたのだろうとも呆れたくらいです。




まず、私は彼らといると心がとても穏やかになるのです。
彼らは私のことを「ただの手伝ってくれる人」「そこらへんにいる人」
として見ています(顔を覚えているかも謎です)



私がどういう人間かなんて知ったこっちゃありません
私を評価していないのです。
これがなんとも言えない自由さを感じるのです。
だから私ものびのび自分らしくいられます。




私は心から自由になることが常に理想です。
人の目を気にせず、人の評価を気にせず、
へんな人だと言われても、自分がやりたいことだけをやって
毎日心を自由に過ごすこと、心をしがらみから解放すること



すると
彼らを見ているうちに、不自由に見えていた重度の障害者の方々が
むしろ私には「一番心が自由な人々」に見えてきたのです



彼らは人の目を気にせず、ズボンのチャックが開いてても
気にしてません。(社会性がないのでだらしない、恥ずかしいと言う概念がないのです)



嫌なことは全力、本気、手加減なしで嫌がります



結婚しなきゃいけないというプレッシャーを知りません



もちろん子供を産めなんて思われません



お金がなくてもイケメンじゃなくてもハゲててもモテなくても
気にしません



全く空気を読みません



気を使いません




平気でオナラをかまします(笑)




何が言いたいかと言うと、



結局障害者でも健常者でも
どっちがいい人生かどっちが優れている
どっちが劣っている、どっちが自由で、どっちが不自由か
比べることができない、比べる必要もない
と深く学んだのです



とても良くして下さる職員さんにこの学びを伝えたら
「人間のあるべき姿ってこうなのかなと思いますよね」
とおっしゃっていました。



人と比べるのって本当に無駄なんです。
だって、だれの人生にも自由と不自由、
幸せと不幸せがあるんだから



これを学ばせてくれた利用者さん、職場の皆さん
本当にありがとう。

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