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事務職リモートの難しさ

同じチームに、育休明けの先輩がいる。
彼女は責任感が強く所謂仕事ができる人なのだと思う。
だけど最近、その責任感の強さゆえの行動が、果たして正しいのかわからなくなっている。

先週子供の体調が悪く、彼女は週の半分会社に来られなかった。
その間にやる予定でいたものや締め切りなど、時間が経てば経つほどやることが貯まっていく。
私は、こられない状態ならそれはこられる状態の私たちでカバーすればいいと思っていた。
でも、彼女は家からリモートで仕事を裁いていた。
恐らくその家から仕事をしている時間は、休暇として計上されているにも関わらず。

責任感が強いのはいいことだと思う。
彼女がそうしてくれているおかげで助かることも勿論ある。
だけど、休みとしている時間、働いていないことになっている時間に、働いてくれてしまっていることが問題に感じる。
家から働くことができる業務なら、リモートでやっているのだから仕事をしている時間として計上すればそれで解決するとは思うものの、事務職の性質上そこには課題があるのだろう。

事務系の仕事は成果が見えるわけではない。
年俸制や成果主義なら時間と労働力の扱い方は気にならないのかもしれないけれど、残業代支給有休有限の場所にいるなら、ここは結構問題点だと思うのだ。
かといって、サボろうと思う人がいたらいくらでもサボれてしまうのが現実だ。
成果が見えにくいからこそ、様子がわからないからこそ。
やることをやっていればいいとは言っても、そこを図るのがなかなか難しい。

私は前職がデスクトップパソコン2台使用、システム専用端末も使って、会社の外に出たら仕事に関する連絡は一切見られないのが当たり前の世界にいた。
労働組合の活動の時間はたとえ15分であっても業務から控除するよう言われていたし、昼休みを20分短くとったら時間外休憩を減らさないとおかしいという価値観を持っていた。
その日の業務はその日のうちにやるものがほとんどで、休みをとったら必ずそれを誰かがやっておいてくれる構造だったから、休みをとることで仕事が溜まるという感覚すらわからなかった。
業務内外で時間が明確に区別されていたしそれ以外に方法がない場所にいたからこそ、それが普通で当たり前だと思っていたのだけど、仕事を持ち出せてしまう環境というのは境界線が曖昧になっていってしまう。
かといって正論を押しても性善説に基づくしかなくて、それをどう図りましょうかといったら、解決策はなかなか見当たらない。

持ち運べる仕事なら、持ち出せるようになったらいい。
それは理想だけど、ただそれによって不正がまかり通るようになるのは絶対に違う。
私は今でも以前の価値観を引きずっているから、業務時間内はきっかり働くけれど有休として計上している時間には貸与iPhoneすら全く見ない。
ただ、それで仕事が溜まってしまって却って自分の首を絞めることもあるのだと、そんなことも実感としてわかってきた。
それにチーム内でフォローし過ぎてしまうことで、相手の居場所感や自負を奪ってしまう可能性もあるような気もしている。

持ち運べる仕事を持ち運ぶなら、その時間は仕事の時間として計上してほしい。
間違ったことは言ってないとは思うのだけど、理想論はどこまで現実に引き寄せられるだろうか。

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