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「真面目」の持つイメージ

自分がどれだけふざけたことをこれまでしてきたかといった話をした後で、恋人はでも自分は今仕事に対して真面目だと周囲から言われるし自分でもそう思っているということを誇らし気に語った。
それに対して、私はどこか彼が私の思い描く真面目のイメージにそぐわないように感じてしまい、思うように肯定することができず、言葉にできない違和感の話をした。
きっとあの時彼が求めていたのは「うん、真面目だよね」という同意や肯定で、私の中の真面目の枠組みと彼のイメージがどうも結び付かなくこの違和感の正体を明かそうとすることではなかっただろうから、私のこの回答は「不正解」だ。

それから少し、この違和感の正体について考えた。
それ以上彼とこの会話をすることはなかったけれど、自分の中で納得いく答えが見つからず、わだかまりとして残ってしまったから考え続けていた。
出てきた答えは、私にとって真面目のイメージはネガティブで受け身なものだから、ポジティブで主体的な彼に当てはめる言葉としてしっくりこないのだということだった。
真摯に物事に取り組むという意味合いでは、彼はしっかり真面目だ。

真面目だねと言われて辛いという話を、ここ数年私はよく見かけてきたし、私自身もそういう質の人間だ。
言われた通りのことをきっちりこなして、相手の思うようないい子を体現して、自分をどこかに置いてきてしまう。
その状態が真面目の意味合いに思えていたから、真面目という言葉がとても弱いものとして響く。
この文脈の真面目が悪いことというわけではなくても、真面目だということは自分がないのと同じだというようなイメージを持ってしまっていた。

真面目は悪口ではない。
真面目だと相手に言う人は悪意があって言うのではなくて、誉め言葉として言うことが普通だ。
それを喜ばしいこととして誇らしげに受け取るか、自分がないと言われているように感じてしまい辛くなるか、そのどちらにしても同じ言葉を受け取っている。

本来、真面目はいいことな筈だ。
そこに悩んでいたとしても、真面目だと言われることは一旦その場ではとりあえず、相手の意図としては大抵褒めてくれているのだろう。
悲しくなってしまうのは、その言葉のどの部分に対してなのか、それだけ考えておけば褒められてよかったと思っておくくらいが丁度いいのかもしれない。

言葉のイメージを勝手にネガティブに作り上げて相手を心から肯定できないことは、お互いにとって悲しい。
「正解」だからという理由ではなく心から同じ気持ちで笑えるようにするためにも、全てに対して厳しく見間違えてしまう自分の目線を、一段階落としていくことが必要だ。

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