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【おやすみ前に、お砂糖ひとさじ】ネガティブなことは、悪じゃない

「ほら、もっとポジティブに考えようよ」
「それは信頼されているチャンスじゃない?」
そんなことを言われて余計暗い気持ちになること、ないでしょうか。
ポジティブな言葉は人を元気づけるし前向きになれることも多く、もてはやされる場面も多々ありますが、それが押し付けになっていないか・自分の本心に蓋をする結果となっていないか、注意が必要です。

例えば、大変な仕事を自分だけに任された時。
「自分を頼ってくれている」と思えるなら、それはそれでいいことです。
だけど、本心では「なんで自分だけ」と思うなら、無理に「自分を頼ってくれているんだから」と自分にごり押しするのは、かえって辛くなってしまいます。
自分すら自分に寄り添えないと、誰にも寄り添ってもらえない自分が次第に悲鳴をあげていきます。

自然にポジティブな考えになる人は、それは強いポテンシャルです。
だけど自然にネガティブな考えになる人も、それはそれで同じくらいポテンシャルになると思います。
ポジティブな人にはわからないことが見えるから。
そしてそれは、必要だからこそ進化の過程で淘汰されなかったことだから。

ネガティブになることが悪なわけではなくて、ネガティブになることで自分が苦しくなりすぎてしまうことが悪です。
「嫌だなぁ」と思うなら、嫌だなと思う自分に寄り添って、その感覚をなかったことにしないでください。
そして、もしあなた自身がその時に苦しく感じるなら、ポジティブな言い換えを考えてみてください。
言い換えをしたからそれを飲み込まなくてはいけないわけではないので、そういう見方もできるよね、と知っておきます。
受け入れても、受け入れなくても、大丈夫です。

有名な物事の捉え方に対する考え方に、ドラッカーのコップの水理論があります。
コップに半分入った水を見て、「もう半分しかない」と考えるか、「まだ半分もある」と考えるかというものです。
同じものを見ても、捉え方次第でピンチととるかチャンスととるかが変わってきます。
でもこれ、「もう半分しかない」と思う人の方が水を大切にでき、結果としてチャンスを掴めることもありそうではないでしょうか。
長い歴史を経てもネガティブ思考が人間の中にあり続けているのは、生き物として必要な要素だったからです。

少し余裕が出てきたら、"目の前のできごとがどうか"ではなくて、"目の前のできごとがこの先どうなったら嬉しいか""そうするとその先どんな変化があるか"を考えてみると、自然と無理なくポジティブな未来を描きやすいと思います。
それは"今ここ"の話ではないから。
だから、違和感を減らしながら目の前の苦しさをフラットにして進めたい時は、今ではなく未来に主軸を置いて考えてみてください。

ブレーキも休憩も、必要です。
なんでも"チャンスだ"と思えなくて、大丈夫です。
ただ、苦しすぎてしまうなら調整をした方が自分がラクになれるし、嫌なことに取り組むにしてもその先どうなりたいか考えると、意外と取り組みたいことが出てくることもあります。
本当にどうしても嫌だったら、避ける選択肢について考えたり相談してみるのもありです。
ネガティブは必要な要素だし、それを否定したりなくそうと躍起になる必要はありません。
それ自体は自分の大切な考え方・感じ方の一部として認めて、時にはその先どうなりたいかへ少しだけ目を向けてみてください。

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