おいしいプリンのお店があってね

「あの坂の上に美味しいプリンのお店があってね、仕事終わりに行くといつも売り切れているの」
そう言われたお店のことを、私は知らなかった。
坂の上にプリン屋さんがあることも知らなかったし、そもそも坂の上に行ったことすらない。
そのお店はプリン好きの間では有名で、なかなか購入することができないらしい。

「そんなに人気だったら、もっと早い時間に行かないとですね」
そうねぇーと言って、会話がひとつの段落を終える。
おいしいプリンのお店の話は、3分もしないで終了してしまった。
目の前の人が振ってくれる話題に、私は全然上手い返答ができないことを、もう何度も繰り返してしまっていた。

こういう他愛無い会話が、苦手だ。
何が正解かわからなくて、頑張って答えを出しても数秒後にまた同じターンがまわってきてしまう。
それを数秒のうちに上手く打ち返せないと、最早返すタイミングを見失ってしまう。
日常会話はなんて難しいんだろう。

答えを、求めている。
今この場で求められていることや、相手の意図しているものはなんだろうと、考えている。
だけど模範解答は誰も教えてくれなくて、自分で答えを見つけていかなければいけない。

「凪のお暇」を見ていて、たまに答える言葉を選んでいるシーンが出てくる。
回答のパターンとしての文字列が並べれらている中から、数秒間の迷いの後何かひとつを選び取って口に出す。
正解がどれかわからないから、これでいいのか少しびくびくしながら。
あぁ正解を求めることって、空気を読むことなんだなと感じた。

空気を読むことに迷いが生じるのはきっとわからないことがあるからで、わからないことが明確になることによって正解が選びやすくなることは往々にしてあるように思う。
求められていることと違うものを選びたくないとか、相手の感覚と違うことを言いたくないとか。
だけどまず一旦必要なのは、自分が何をどう思ってどうしたいか、だ。
選びたいものと選ぶべきものがきっとあるのに、選びたいものがないせいで余計選ぶことができなくなってしまう。

ここまで書いてみたけれど、ところで「プリンの美味しいお店があってね」の答えの正解は、結局一体なんだっただろうか。

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