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私は娘に親にさせてもらっている

昨日、娘が生まれてから初めて娘を大声で怒鳴り、怒った。
正確には、自らの感情をコントロールできず、”叱った”のではなく、”怒ってしまった”のだ。

子どもを叱咤することは、脳の萎縮や思考力の低下、コミュニケーションへ悪影響を与えるリスクがあるため、よっぽどのことを娘にはしないと決めていただけに、自分としてもとてもショックを受けた。

しかしながら、全ての責任が自分だけにあるわけではない。娘は娘で自身の感情をうまくコントロールすることができず、父親の逆鱗に触れたのだ。

とはいえ、歳が26も離れている大人と幼児が同じ次元で感情の起伏を表していることは問題である。
怒りが最大の時は勢いに任せてしまっていたが、冷静に振り返ると自分が行った行動は猛省するべき行動だし、ほんと穴があったら入りたいくらい、恥ずかしくそして涙を流すくらい自分を責める内容だった。

ただ、この猛省が一人の大人を親へ成長させるのだとも感じた。
自身が娘に対しておかしてしまった行動は良くないものであり、和解すべきことだ(反省の意も込めてアンパンマンを贈ろうと思う)。
この反省期間に急激に子どもへの愛を自覚し、親としての行動に責任を持つようになるのだと自身の体験から思えた。

第一子の親は孤独だ。
これまで子育ての経験がない上に共働きだったり、核家族であれば当然周りに相談する人は限られてくる。
その上、我が子の成長に正解は用意されていない。

何が正解で何がいけないのか。これは子の成長と共に、家族で作り上げていくものだと思う。
これから娘は様々な成長過程の中で私たち親と向き合い、時には対立し成長していく。
その成長に合わせて見届けることから対等な関係を築くことへシフトしていく。
そこで親として選択肢を与え、共に向き合い、応援できるようになるため、自分自身もさらに成長していくことが大事だし、
娘が私たちを選んで生まれて来てくれたことに対して恩返しができるように1つでも多くのことで貢献していきたいと思う。

最後に親はこうして子に成長させてもらっているのだと思う。
何か問題に直面して、その行動を振り返り、反省して次に活かす。
この繰り返しが親子のコミュニケーションの中に育まれ、それが外に出ていくのが成長の証なのだと思う。

綺麗にまとめることだけが人生ではない。
できないことばかりだが、そのなかで何を学ぶかが大事だ。

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