見出し画像

女っぽいのは性別か性格か?

僕はLGBTのTであるトランスジェンダー。生まれた時は女だったが、今は戸籍を男に変更して生きているFTM。1980年生まれ42歳。

仕事は「自分らしく生きる場所を提供したい」という想いの元、地元名古屋で同じ性別違和の当事者たちを主に雇用したBARを二軒経営している。

恋愛観は男?女?

僕は生まれた時から心は男だった。ままごとよりも野球がしたかったし。スカートよりズボンが履きたかった。当たり前に「男」でいるクラスの男子が疎ましく羨ましかった。

恋愛対象は女の子であり、それは同性愛の感情ではなく「男」として好きだった。だからこそ、女でいる事が苦痛であり、男と認識されたい気持ちを止めることは出来なかった。心の性別である「男」に戸籍を変える為に性同一性障害の治療をする道を選んだ。

そして僕は長い何月をかけて男の戸籍になった。仕事もFTMでいることをオープンにした商売をしているため、セクシャリティがマイナスになる事もなく恵まれた環境で生きている。

先日、会話の中で

女と男は脳が違うという話になった。だからいくら性別を変えて生きていてもお前は考え方が「女」だと。

こればっかりは男脳を体感したことがないから自分では、わからない..(笑)

ただ自分で「女っぽいなぁ」と感じることは多々ある為、そうであればそうかもしれないなーと思った。

教育で変わるのか?


親にカミングアウトした時一番に母が心配したのが「男の子として育ててないから大丈夫かしら?」ということだった。その時はそんなの関係ない。心が男なんだからと気にも留めなかったが、今となると理解できる事もある。

英理子として生まれた僕は、女の子として守られて育ててもらってきたのだと思う。
女扱いされることはとても嫌だったけど、そのかわりに女の子だからという理由で、しなくていいこともあった。
僕はずっと与えられる側であり、守られる側だった。

男となるとそうもいかない。多い荷物は持って当然。女の子を守ってあげること。甲斐性も必要。弱音を吐いてもいけない。仕事でも、恋愛でも責任がある事を知った。

母が心配していたこと。きっとこういうことだったんだ...

たくさん失敗して自分を見つめてここに気が付いた。

狼に育てられた少女の話を思いだす。幼少期の環境によって人は作られる。

教育とは、それ程に影響があるものだと思う。

確かに、男としての教育を僕は受けていない。
心は男だけど、男の付き合い、責任がわからない。与えられ慣れすぎていて与えることに不慣れであり、忍耐も備わっていない。
それでも若い時は無理して「男ぶっていた」

振り返ってみると口ばっかり見た目ばっかりで中身はペラペラだった。
42歳になった今は格好つけるのに疲れてしまって、ありのままの自分で生きている。好きな女の子の前でも無理はしない。女っぽい部分も自分だと受け止めた。

時は戻せないし、誰が悪いわけでもない。そして脳が女だとするのなら、それはそれで仕方のないことだと今は思っている。

性別か性格か?

仕事柄、毎日様々な方と出会いお話をさせて頂く。
男でも女っぽい考え方の人も存在するし、女でも男勝りな人もいる。

性別は関係なくて、それぞれの環境、人生経験の中で作り上げられた性格であるのだと思う。

だから、僕たちLGBTでも同じ。
FTMだから、男っぽい性格でいなければいけないわけではない。
女っぽいわーってところがあっても良いし、それはもはや性格なのだ。

みんなそれぞれで良い。

「〇〇だから△△でなければならない」なんてことは無い。


だから、無理しなくて良い。

母の心配通り、この性格で男として生きるにはわからないことも多いし、生きづらいこともある。

でも、それも自分。

この人生、この僕で、なるべく人には迷惑をかけないように懸命に生きるのみ。


2022.7.19(火)LGBT社会人交流会「BRUSH UP」第10回無事終了。沢山のご参加ありがとうございました!

鈴木優希監修 LGBTに特化したボードゲーム LGBTQセレクトライフ好評販売中!!


鈴木優希のセミナー活動関連のお知らせ、性同一性障害のお子様を持つ親御さんへのメッセージなどLGBTについてのコンテンツを掲載しているオフィシャルサイトもご覧いただけたら嬉しいです。そしてコメントもお気軽にお待ちしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?