この人生を生きて。心は男、身体は女
僕はLGBTトランスジェンダー鈴木優希。1980年生まれ。愛知県名古屋市で鈴木家の次女として生を受けた。
生まれた時は、「女」だった。
ただ物心ついてからずっと自分が女であることに違和感があった。
気持ちは確実に「男」だった。好きになるのも女の子。そしてそれは、同性愛ではなく男として「異性として」女の子が好きだった。遊びは、いつもラジコンか野球。ままごと遊びでもやりたかったのはお父さん役。
お母さんが買ってくる可愛いフリフリの服は着たくなかった。スカートなんてまっぴらごめん。
・・・明らかに人と違う。それはわかっていたけど、幼すぎた僕には自分が「女の子」として存在していることに対して、どうすることも出来なかった。
小さい頃は甲子園に行ってプロ野球選手になるのが夢だった。
でもそれは「女」では不可能な時代。
そこから僕の諦めの人生は始まる。
好きな人に好きという事も出来ない。人の目が気になる。
自分らしく生きたいけど、学校が全てだった当時。いじめられることが怖くて、ありのままの気持ちをさらけ出すことは出来なかった。
だから好きな人がいても、友達が精一杯。
男の子に対しても、「なりたい姿」で「されたい扱い」をされていることが羨ましくて「嫉妬」
自分を偽り、人を妬む。
今の僕の人生の指針である「全て自己責任」からは程遠く、こんな風に生まれてきた自分は悲劇のヒロインであり、全ては産んだ親、わかってくれない周りのせいにしていた。
性同一性障害で生まれた、【かわいそうな自分】に酔っていた。
この頃の経験からわかった事。
それは、
人のせいにしていても何も解決しない。
解決しない=自分が辛いまま
だということ。
逃げても一瞬楽になるだけ。人生は一瞬ではなく、続いていく。
若さも命自体も無限ではない、貴重な時間。
自分を変えることが近道だった
人のせいにしていても何も変わらない。僕の人生は僕しか変えられない。自分と向き合うこと。それが大事なんだ。
それに気が付いたのはかなり時間が経ってからだった。
散々に遠回りをした。もっと早くそこに気付いていたら…後悔もトラウマも星の数。沢山の人を、特に家族を僕は傷つけてしまった。
どんなに後悔したって時は戻らない。どんなに願ってもあの頃には戻れない。
だから僕は今の自分に出来ることをしていくしかない。と考えている。
性別違和を越えて思う事
もちろん身体を変えた事(ガイドラインに沿った性別適合手術による)で男の戸籍になったことが大きいが、そこにいくまでの途中段階である
・子宮卵巣を取る事で「生理」がなくなったこと。一ヶ月に一度「女」を自覚する一週間がなくなったこと。
・胸オペにより谷間がなくなって、好きな服を着られるようになったこと。
・改名によって「英理子」から「優希」になれたこと。
そのひとつひとつが僕を精神的に楽にしてくれた。肉体的には現在も後遺症に悩まされているが、天秤には欠けれないものがそこにはある。
物心ついてからずっと悩んできた「性別違和」
それが治療によってなくなった。治療が全て。そう思っている方もいるかもしれないが、
大切だったのはその道順
だったような気がしている。
治療をする為に親へのカミングアウトをした。実際、この頃の一番のネックだった問題であり、それは決して簡単なものではなかった。
それを越えただけですごく楽になった。人に言う、家族に言う。認めてもらう。認めてもらえなくても、知ってもらう。ただそれだけで世界は変わる。
名前、胸、生理、戸籍
自分がどこまでを求めるか?
途中で「楽」になれたら、それ以上にリスクを背負う必要はない。
治療の終わりは自分で決めていい。僕はそう思っている。
僕は性格的に最後までやることが、勝ちであり価値だと思い込んでいたがそうではない。性格も人それぞれ。LGBTは少数派だからひとまとめにされてしまうけど、僕たちにだって「それぞれ」違っていい。
自分の求めるものを知る為にも治療はじっくり。考える時間を取りながら進めていく。もうここで良い。と思えたらそこが自分の治療の終わりでいい。
またどうしても!と思うタイミングで進むことだってできる。
今の我が国はLGBT絶賛擁護中であり、これから僕たち当事者はどんどん生きやすくなっていくと思うが、あまり簡単に進めるようになってしまうと考える時間が少なくなる不安を感じる。身体を変えることによって後のリスクのあるトランスジェンダーは特にリスクを伴う治療には慎重になって欲しい。
この人生をこれまで生きて
悩んだ。辛かった。悔やんだ。
こんな風に生まれなければ…
男に生まれたかった。色んな感情はもちろんある。
今だって考えてしまうこともある。
でも昔のようには悩まない。それはこの人生でも沢山良い事を経験することが出来たからだ。
愛される喜び、人との繋がり、社会との繋がり、やりがい。
生きていく上でLGBTQ、セクシャリティも性別も関係ない事を知った。
性同一性障害であることでたどり着けた発想もあるのだと思う。
出来ないことに目を向けない。やれる事を考える。
人のせいにしない。自分と向き合う。
これからの人生。もっと予想もつかないことが起きるだろう。そしてそれはきっと良い事ばかりじゃない。
でも僕は、一度きりのこの人生をなんとか生きる。
最期の時に「よく頑張ったね」と顔をなでてもらえる、そんな人生にしたい。
そう思っている。
2022.7.19(火)LGBT社会人交流会「BRUSH UP」第10回無事終了。沢山のご参加ありがとうございました!