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「非日常」は必要だ

高校生くらいのころから夫と出会うくらいまでずっと、「ここではないどこか」に行きたいと漠然と思い続ける人生でした。

学校や仕事、楽しいことがなかったわけではない。
だけどなんでか、「ここではないどこかへ」という憧憬なのか逃避願望なのか、そんなものを抱き続けていました。

なにしろ、日常がなにやらしんどかった。
「消えていなくなりたいと思っていた日々を振り返る」の記事にまとめてますが、高校生くらいから、しんどかった。

小学生のころ、友達とよく「次の電信柱までね」とか言いながら互いのランドセルをいっぱい抱えて持ち合う、みたいなの、しませんでしたか。(最近の方はしないのかしら。そもそも電信柱がないとこもあるか)
ランドセル3つ抱えてつらくても、次の電信柱までと思えばがんばれる。

あれと似た感覚で、一定の間隔で「次の電信柱」を自ら設置しながらなんとか生きていました。
電信柱は、手軽に「ここではないどこか」に行ける、「非日常」体験です。

私にとってのおもな「非日常」は、ライブや舞台、旅行など、自分が大好きなこと。
特にライブには思い入れがありました。

高校生のときに初めてライブというものに行きました。
映像では見ていたけれど、生で味わう感覚はまるで別物。
圧倒され、笑い、踊り、指の先まで細胞ひとつひとつが「楽しい…!」と粒だってくるような。
共に参加している人たちとの、緩やかな結束、団結を感じるのも嬉しくて。
生きてるなぁ、と、どうしようもなく感じました。

大学生から20代になるとさらに行くようになりました。
さえない、しんどい日常を生き抜くために「非日常」が欠かせなかった。
それに生かされていた、と言ってもいい。

30歳近くなるころから、仕事の充実のためかなんなのか、仕事を必死でやりくりしてまではライブに行かなくてもいいか、と気持ちが落ち着くように。
本当に行きたいと思うものにだけ行くようになり、それで満たされるようになったということかもしれません。
それでもやはり、その大切さや大好きな気持ちが薄れることはありませんでした。

今はどうか。
以前よりもだいぶ、日常の暮らしでも楽しい気持ちや充足感を味わえるようになりました。

……だけど、こんなご時世。
周りを大事に思ったり、仕事柄あやういこともあり、友だちと会う回数も激減。
行こうとしていたライブの開催が中止になり、ガックリきたことも。

そんなある日。
なんかあまり元気が出ない、体調もいまいちかも……なんてうだうだしていたときに。
脳内に自分の声が聞こえました。
「あぁ~つまんないつまんないつまんない、つまんないよ!!!」

……お、おぉ?
「友だちとパーッと遅くまでごはん食べに行ってしゃべりまくりたいよ!」
「ライブなんてもうずいぶん行けてないじゃん、パーッと騒ぎたいよ!!!」

おぉ……
穏やかでのどかな優しい日々に満足してると思ってた。けど。
やっぱり君はまだ心の隅にちゃんと眠っていたんだね。

「非日常」体験に救われ続けて生きてきた私。
やっぱり、心の安定には、充実には、あの震えるような細胞まで満たされるような体験が必要なんだ。

不要不急、なんてよく言われてきたけれど。
全然だよ、不要じゃないよ。
早くまたみんなに会いたいよ。

みなさま、よいGWを。

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