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人を想う気持ちが自分を変える

                                  こんにちは。yukiです!
 私は都内の大学に通うごく普通の大学1年生です。普段は、大学で経営学を学んでいます。そんなごく普通の大学生である私は夏休みに沖縄県の渡嘉敷島という離島に3週間行きました。そこで、決してお金に変えられない一生の”出会い”と”経験”を得ることができました。渡嘉敷島では、自分でもビックリしてしまうような素敵な経験をできました。これは夢ではないかと何度思ったことでしょう。この文献は心の底から温まるものになっています。私自身、この文献を何度も何度も読み返してこの出来事を思い出しています(笑)。この文献を通して”旅”での出会いや経験の素晴らしさを知っていただけると幸いです。旅に出たいと思っていいただけると私は非常に嬉しいです! それでは、ご覧になってください。どうぞ!


あなたは、これまでの人生の中で「大切な"誰か"を想うことがこんなにも自分を変えてくれるのか」という事を実感したことはありますか?

2019.8.26。私は幼馴染のRと共に沖縄県の渡嘉敷島を去った。那覇へと向かう帰りのフェリーの中、私は涙が止まらなかった。

自分でも"なぜ泣いているんだろう"と思うほど驚いたことだった。「最後に泣いたのはいつだろう」と振り返ってみると、高校3年時のサッカーの最後の大会で敗れた時だった。

私は幼稚園の頃からボールを蹴っていた。ボールを蹴らない日はほぼ一日もなかったと自信をもって言えるほどサッカーが大好きだった。

小学校に入学しても生活はサッカー中心のもので週7で練習に励んでいた。月曜から木曜は毎朝7時から自主練をして、その後に小学校に通う。学校が終われば、そのまま午後練が始まるという生活スタイルだった。金曜日はオフだったが、みんなで集まってサッカーをしていた。土日は試合というサッカーバカのような生活も今思えば懐かしく思える。

そんな努力が功を成したのか小学4年時から選抜に選ばれたり、大会で成績が出るようになった。小学6年時には湘南ベルマーレのアカデミー組織に合格し週1でチームを離れレベルの高い選手達と共にボールを蹴った。また、神奈川県選抜にも選ばれキャプテンとして試合に出場したりもした。また、新聞に個人掲載で載ったり、藤沢市からは小学年代における優秀選手に選ばれたりと順風満帆のサッカー人生を送っていた。

中学時の進路を決めなければいけない時期。私は、地元の中学に進学しJリーグの下部組織でサッカーを続けようと考えていた。川崎フロンターレ、横浜Fマリノス、横浜Fc、湘南ベルマーレと神奈川県には4つものチームがあった。

湘南ベルマーレ小田原から内定は貰えたものの私の中では4チームの中では最も優先順位が低いチームだった。そんな中、お父さんの知り合いの息子が入団したチームのセレクションを受けることを勧められた。そのチームの名は「東急sレイエス」。神奈川でも指折りの強豪街クラブであった。私は5次試験まであるセレクションをなんとか合格した。

私は"湘南ベルマーレ小田原"と"東急sレイエス"を天秤にかけて東急sレイエスへの入団を決めた。入団後にセレクションを受けに来た選手は約500人と聞き、とても驚いたのを今でも覚えている(笑)。東急sレイエスは非常にレベルが高く思うように試合に絡めない日々が続いた。私は初めて挫折を経験した。体の成長が遅くチームではいつも前から2.3番目の身長で細身だった。クラブからは「フィジカル的に苦しいかもしれないが技術はあるから、これからのために技術を高めろ」と言われ続けた。この言葉を聞いたときは本当に辛かった。この体では全国レベルでは通じないと言われてるように感じたからだ。サッカーは好きだけどチームでの練習が苦痛にすら感じていた時期もあった。

個人とは裏腹にチームは常に関東トップレベルで、関東大会準優勝、全国大会出場と成績を残していった。

私は小さい頃からプロサッカー選手になることを目指していたため高校の進路はプロへと繋がりやすいサッカーの強豪校に進むことを第一に考えていた。しかし、思ったように中学年代では個人的に活躍できなかったため強豪校からは声がかからなかった。私は高卒プロへの道を諦めた。そんな時、文武両道を高いレベルでこなす法政二高の練習会に参加し、高校からも「来てほしい」と声をかけてもらった。中学年代では、思うように活躍できなかった私は"必要"とされることが嬉しく入学を決めた。入学後は体も大きくなり活躍できるようになった。神奈川県リーグ6位、インターハイ予選ベスト8と悪くない成績を残した。

大学で体育会に入るというのも選択肢の1つだった。しかし、法政大学サッカー部は全国トップを走る部活で入部すら厳しいチームだった。

仮に入れたとしても出れないなら意味がないと思っていた私は、関東大学2部リーグの立教大学への練習会へ参加した。そこでゴールも決めてポジティブな返事を得られた。大学からは「勉学の成績が足りるのであれば是非来てほしい」と報告を受けた。 

私は、行くことを8割決めかけていたが英語の成績が足りないことを直前に知らされ破断となり私のサッカー人生は幕を閉じた。そして、法政大学経営学部へと進学した。

話を戻そう。私は人生をかけた15年間のサッカー人生の最後の大会で泣いた時ぶりに泣いたのだ。それも、たったの3週間での渡嘉敷島での生活でだ。2019.8.6。私とRは高速船に揺られながら渡嘉敷島へとやってきた。

事前に緑の服を着たスタッフが迎えに来ているから声をかけてくれと言われていたため船の上から、そのスタッフの事を私たちは探していた。そして、見つけた。

一人で立っている小柄で焼けた猫顔の一人の女性を。私達は見つけ、指をさして「あの人じゃね」と話していた。船を降りると確かにその人がこれからお世話になるスタッフだった。

第一印象は優しそうな島暮らしの猫顔お姉さん。タイプだった。迎えに来てくれていた軽自動車に荷物を詰め軽く会話を済まし車を走らせ1分で到着。「いや歩けるわ」。そう思った事はなかったことにしよう。

猫顔のお姉さんは私達に「スタッフ今揃っているから挨拶しようか」と言ってきた。言われるがままに事務所に入り挨拶した。そこで友達の従兄弟と出会ったり、なんとも奇跡的な出会いも経験した。他にも4人ほどスタッフがいた。

次の日から沖縄は台風が直撃する予報であったため、さっそく友達の従兄弟に海へと連れて行ってもらった。台風前という事もあり、海は少し濁っていたがこれから沖縄での生活が始まるのかと身にしみて感じワクワクしたのを今でも覚えている。

予報通り、台風は私達が到着したと同時に渡嘉敷島に直撃した。民宿とレンタカーの補助業務のお仕事をお手伝いすることになっていたため、仕事はお休みとなった。

食事は冷蔵庫の中の食材を使って自炊との事で人生で初めてと言ってよい自炊生活をスタートさせた。料理は3週間で少しは出来るようになったと感じている。野菜炒めを作れるようになったからだ(笑)。

仕事が始まり、民宿でのベットメイキングや風呂、トイレ掃除、洗濯など様々な事を初めて出会った女のスタッフに優しく教えてもらった。また、話を進める中で猫顔お姉さんはフィリピンのハーフだという事を教えてくれた。そして、「"マラミン・サラマポー"という言葉を覚えれば私とは仲良くなれる」と言った。

その後に調べたら"ありがとう"という意味を持つフィリピン語だった。そんなこんなで猫顔お姉さんとは仲良くなっていった。レンタカーの仕事も、スタッフのみなさんが優しく教えてくれてストレスなく仕事を行うことができた。ストレスが溜まるどころか仕事をしていたいと思えるほどみなさんの優しさに私は心を打たれていた。

スタッフの中には、THE海の男。と言わんばかりの40代のスタッフや猫好きの海の女、ワンピースで例えるなら"白ひげ"と言わざるを得ない社長さん、友達の従兄弟の兄貴みたいな大阪の兄ちゃん、体がとにかく大きいジャンボさん、かっこよくて優しいヒロキさん、年下の男扱いに慣れてない20代前半の島暮らし姉ちゃん、通称白ひげ(社長)の息子さん、そして一番お世話になった初めて出会ったスタッフの猫顔お姉さん。などたくさんの個性あふれるスタッフがいた。私は渡嘉敷島で出会った全ての人を死ぬまで忘れない。

私達の渡嘉敷島での生活スタイルは8時半から17時まで仕事をして速攻で潜りに行くというものだった。海に入らない日は台風の日を除けば1日もなかった。渡嘉敷島は慶良間諸島と言われる世界でも有数の自然豊かな島だ。

慶良間諸島周辺の海は慶良間ブルーと言われたりもしている。海の中の景色は、色鮮やかな魚達がサンゴ礁を囲むように泳いでいて、それは1日の疲れを忘れさせるほどの絶景だった。クマノミやスズメダイなど沢山の熱帯魚をこの目で見ることができた。

また、私達が泳いでいた渡嘉敷久ビーチはウミガメが頻繁に出るビーチでもあり海の綺麗さは私が経験してきた中でもトップクラスのものだった。 実際にウミガメを見ることもできた。

そんな幸せな毎日を送る中で、私は恋をした。相手は私達を迎えにきてくれた猫顔スタッフ。19歳の私は今まで同年代の人しか好きになったことがなかったのに6つ上の女性を好きになった。

バイト先の上司とは言わないまでも、仕事上の目上の人に恋するなんて。何度こう思ったことだろう。しかも6つ上。沖縄に住んでる人。先のことを考えたら19歳の大学生がこの人と恋愛関係になるのは難しいのに、そんな事は考えないほど好きになっていた。自分でも驚くほど好きだった。

基本的には仕事で関わるだけであったため仕事が終わらないでほしい日もあったりした。私と猫顔お姉さんは基本的に民宿の仕事と事務所でのレンタカーの受付が主な仕事だった。そのため、二人でいる時間が他の人と比べると多かった。そこで、たくさんのお話をして仲を深めていった。仕事中は、常に猫顔お姉さんが何をしているか見ていた。荷物を持っていたら可能な限り全て受け取った。私は好きな人のためなら尽くせるタイプだとさえ感じた。たぶん、周りの人も私が猫顔お姉さんの事を気になっていた事は気づいていたと思う。

THE海の男は、猫顔お姉さんと物凄く仲が良かった。自分の気持ちは、友達の従兄弟とRにだけ伝えていた。阿波連で3人でご飯を食べている時、Rと友達の従兄弟から「絶対あの二人なんかあるぞ」など様々な意見を聞いた。正直、私もあの二人の信頼関係には何かあるなと感じていた。

結論、「そんなことを推測して考えたところで好きな気持ちは変わらない」と思い、仕事の最終日に告白することを決めた。渡嘉敷島での生活は毎日があっという間だった。仕事も覚え、日を重ねるごとにスタッフの方々と仲良くなっていき、帰りの日が近づくにつれて「帰りたくないな」と何度思ったことか分からない。

船に乗ってボートシュノーケルに連れて行ってもらったり、猫顔お姉さんとヨガをしたり、寝起きドッキリで生クリームを顔に投げつけたこと、カラオケでバカ騒ぎしたこと、THE海の男に海を案内してもらったり、ご飯にたくさん連れて行ってもらったり、車の上で寝転がって満天の星空を見上げたり、原付で島を1周したり、船釣りをしたり、阿波連のビーチで携帯を海底に落としてきた事、BBQに参加させてもらったこと、浜辺で歌ったこと、展望台の頂上で"オレンジ"を熱唱したこと。と思い出は数え切れない。

素敵な出会いがあれば別れがあることを私は改めて痛感した。私は島を出る最終日の前日の夜、星空を眺めながら告白することを決めていた。

最終日の二日前なった。この日は仕事をする最終日であった。この日は、朝から告白する相手の猫顔お姉さんに僕達は怒られた。内容は、食器の管理に関することだった。「告白する前日の朝にまじかよ」と思いながら、私は自分たちがやっていたことの"未熟さ"を心の底から感じ、落ち込んでいた。「絶対にガキだと思われてるんだろな」と思った。

その日の仕事内容は、Rは阿波連支店での勤務、猫好きの海の女は事務所でレンタカーの仕事、私と猫顔お姉さんは二人で民宿の仕事をするという割り振りだった。「おいおい、怒られてテンションガタ落ちの俺を捕まえて一日、説教食わせるつもりかよ。これじゃあ告白できねーじゃん」と思いながら、仕事は始まった。

私は怒られて少し気まずさがあったため、仕事内容を聞きもしないで一人で食器洗いをしていた。すると、猫顔お姉さんが来てこう言った。「THE海の男がユーキの事褒めてたよ!」と。私はTHE海の男に沢山の人生相談をしたり、海の事を教えてもらったりとお世話になっていた。しかし、褒められる事は何もしていなく、むしろシュノーケル中にサメを見つけ興奮して水深30メートルの方まで行ったりなど様々な迷惑をかけていた。

そのため、とっさに「え、なんで?」と言った。すると猫顔お姉さんは「あいつには強い意志を感じる。絶対に将来大きくなる。って言ってたよ」と言った。私はその言葉を聞き涙を流した。

サッカーに挫折し全てを失い意味もわからない勉強を大学でして、"自分なにやってるんだろう"と思いながら島に来たため、なんか嬉しかった。告白する相手に泣いてるところなんて見せられないと思った私は外へと逃げた。外で座り込んで泣いていると猫顔お姉さんは追ってきた。目線を合わせてきてこう言った。「涙は隠すものじゃないよ。だって、その涙は嬉し涙でしょ」と。嬉し涙なのかなんなのかは分からなかった。けど、この言葉を聞き涙は加速して地面へと落ちて行った。

そんなことを繰り返し、なんやかんで食器洗いを終え少し気持ちも晴れて二人で洗濯物を干すことになった。2階のテラスのような広いスペースに洗濯物を干す事はすごく気持ちがよかった。

そんな気持ちを共有しながら洗濯物を干した。私はどうしても確認しておかなければいけない事があった。それは"結婚"しているかという事だ。猫顔お姉さんは指輪をしていたのだ。友達の従兄弟は以前、猫顔お姉さんと話した時に夫がいるというような話をしたと言っていたのだ。

私は「彼氏いるんですか?」とさりげなく聞いた。すると、猫顔お姉さんもさりげなく「いないよ」と言ってきた。どこか安心した気持ちになった。私はすぐさま「薬指の指輪はなんですか?」と聞いた。すると、猫顔お姉さんは「親友から貰ったのをつけているだけ」と言った。私はものすごく安心した。そんな話をしていると洗濯物を干し終えた。

すると、猫顔お姉さんが「タピオカでも飲み行こうか」と誘ってきた。阿波連で渡嘉敷島に来てから友達になった神奈川からの二人組がタピオカを販売していたのだ。仕事中にタピオカ買いに行って良いのかとか思いながらも車を走らせた。二人での車内は幸せだった。好きな人といることはこんなにも楽しいのかと久々の感情を思い出した。阿波連に着くとタピオカは売ってなかった。なんと、船が止まっていたため営業を休んでいたのだ。

しかし、友達に連絡し1時間後に販売すると言ってくれたため暇つぶしにドライブすることになった。阿波連の近くの海が見える坂にクルマを停め私は車を離れ10分ほど海を眺めた。「明日、告るのかよ俺、てか、明後日帰るのかよ俺ら」この二つだけで頭はいっぱいだった。そんなこんなで時間を潰しタピオカを買って渡嘉敷に帰った。この時間が一番幸せだったかもしれない。

渡嘉敷に帰り、干した洗濯物も乾き、二人で話しながら取り入れた。そして、二人でスタッフみんなの昼ごはんを作った。メニューはゴーヤをたくさん使った炒め物のようなもの。

午後は適当に洗濯物をたたみレンタカーの事務作業の補助をして終えた。すごく楽しい1日だったのを覚えている。仕事が終わりRも帰ってきていつものように海へ行った。そして、夕飯はハーフタイムというオススメされていたアメリカチックなお店へ二人で行った。

元々、タピオカ販売してる友達も来る予定だったが来なかったため二人になった。そこでは、明日俺が告ること、これからの事、将来のこと、お互いへの気持ちなど過去にない熱い話をした。Rは俺のことを分かっているなと感じた。そんなこんなで22時を過ぎ、渡嘉敷に帰った。明日が来ることに緊張しつつオリオンビール片手に部屋の前に寝転がって星を1時間眺めて寝た。

島を出る前日になった。この日は休み。仕事は昨日の時点で終わりだった。この日は、午前中にツーリングして、午後は社長さんとTHE海の男に船を出してもらい儀志布へと連れていって行ってもらった。そして、泳いだ。

そこは私の人生の中で一番綺麗な海だった。「最終日にこんな景色見せられたら帰れねえよ」と思いながら海を探索した。この日の夜は僕達二人が手料理を振る舞う会になっていた。私達は野菜炒めを作ることに張り切っていた。しかし、那覇からピザ職人が来ているということと重なり夕飯はピザパーティーになった。しかし、僕達の手料理を食べたいと言ってくれて焼きそばを振る舞うことになった。

料理を作っている段階から私はどう誘い出すかで頭がいっぱいだった。そんなことを考えているといつのまにかパーティーは始まった。酒のペースも早まる。「おいおい、告る前に酔いつぶれんなよ」と思いながらも楽しく時間は経過していった。会が終わり解散の流れになり、私は2階の海が見える溜まり場のようなところで音楽をかけながら様子を伺った。

すると、スタッフが出てきて続々と帰り始めた。猫顔お姉さんも出てきたが、「もう今日むり、寝る」と言い階段を登り部屋へ向かった。ここで逃したら一生後悔すると思い強引に誘った。しかし、粘り強く「用事があるなら朝の5時に集合にしよ」と言われ、「酔ってるしそうするか」と思い、「分かりました」と答えると猫顔お姉さんは部屋へと入っていった。

私は、"終わった"と感じていた。起きるわけがないと思った。LINEで「5時に堤防にいます」と送り「分かった」と返事が来た。私はいつものように星を見てから眠りについた。

迎えた最終日4時半。私はまだ暗い中、歯を磨き顔を洗い髪を濡らして堤防へと向かった。予想は的中した。5時を過ぎても来なくてLINEで「堤防で寝てるので起きたら声かけてください」とだけ送った。6時まで来るかもと思いながら起きてはいたが疲れもあり堤防の上で目を閉じた。7時半、携帯が震えた。猫顔お姉さんから電話が来た。「ごめん、今起きた。今どこにいる?」と言われ「堤防で寝てます」と答えたら。

5分後、猫顔お姉さんが来た。これから告るのかと思うと緊張していても立ってもいられなくて「海の方まで散歩しません?」と散歩へと誘った。海を目の前に座り私は話に入った。告白する予定で誘ったのに、私の口からは感謝の言葉しか出てこなかった。

感謝の気持ちを述べると、猫顔お姉さんはこう言った。「私は、先輩にしてもらって嬉しかったことをしているだけのただの自己満。」だと。その言葉で私の涙腺はやられ始めた。その後に、私とRの印象について言い始めてきて私はさらに泣いた。私は、「俺らのことガキだと思ってたでしょ?」と聞いた。すると、猫顔お姉さんは「ガキだと思ったことなんて一度もないよ。こっちにきて仕事含めていきなり出来るわけがないじゃん。出来ないが当たり前。私こそ二人からエネルギーたくさん貰ったんだよ。それは若いからとかじゃなくて、二人からね」と。私は大泣きした。 

帰りたくないと本気で思った。そんな事をしていると話は終わりかけていた。肝心の告白を忘れていた。私は「やばい何してんだ」と思い気持ちを伝えた。「好きだ」と、しっかり。しかし、付き合ってくださいとも私は言わず「好きだ」と。たぶん、人として好きになった部分が大きいんだと思う。告白して相手の気持ちも聞けて、私はポジティブに島を出れることになった。朝の8時半。部屋へ戻り部屋の掃除をした。そして、最終日の島を全力で楽しんだ。

帰りのフェリーが近づいた。私は色紙を密かに作っていてお別れの時にお菓子の中に紛れ込ませ色紙を渡した。そして、スタッフと島にお別れを告げた。そして、集合写真を撮った。みんなの前で猫顔お姉さんを誘うことが出来なくて私はツーショットを取り逃がした。仕方ないと思いつつ港へと向かった。「お見送りに行く」とは言ってくれてはいたものの仕事が忙しそうだったから諦めていた。船に乗り込む時間となった。これでお別れかと思い船に乗り込んだ。

荷物を置き、フェリーの屋上で島を眺めていると「タロー、ユーキー」と女性の声が聞こえた。港を見下ろすと、そこにはスタッフが4名見送りに来てくれていた。私は走って港へと降りた。最後にスタッフと話し、Rの気遣いによりツーショットを撮った。別れ際、ハガキを渡された。ただのウミガメの写真が印刷されたハガキだと思った。船の時間になり、船のスタッフに船に乗るよう指示された。そして、私達は船に乗り込んだ。船の上から見えなくなるまで私達もスタッフの方々も手を振り続けた。

島を離れハガキを見るとメッセージが書かれていた。猫顔お姉さんからはこう書かれていた。「イイ男になれよ!期待してる!」と。私は涙を流した。たったの3週間だったけど、島の人たちを愛することができたし、なにより猫顔お姉さんの事を心の底から好きになった。今振り返ると、猫顔お姉さんとの仕事中はどんなに重い荷物ですら私が全て運んでいたし、負担にさせる事はさせまいと私は猫顔お姉さんを想い働いた。

ここでの3週間は自分でもびっくりするほど誰かの為にと思いながら常に動いた。人を想うことが自分の言動をここまで変えるのかと心の底から感じた。

この精神は今後にも役立つと思い神奈川に帰ってからも誰かの為にと思い動いている。渡嘉敷島へと行ってよかった。心の底から私は感じている。ここで私は人の温もりの暖かさだったり誰かを想い動くことの与えてくれるエネルギーの大きさを学んだ。この経験を僕は文章に残そうと決めた。タイトルは「人を想う気持ちが自分を変える」。このタイトルの真意は、決して猫顔お姉さんへの気持ちではない。私は、猫顔お姉さん含め島の人を心の底から愛した。たったの3週間だけど、この人達の記憶に残ることを成し遂げたいと思っていた。その気持ちが自分を動かしたと強く感じた。人を愛することの素晴らしさを痛感した。私は島に来るまでは自分のことが嫌いだった。しかし、誰かを愛して動いてる自分を少しだけ好きになった気がする。神奈川に帰ってから周りの人を大切にして愛し、少しでも好きな自分でいたいと思った。私は絶対に島に戻ると固く誓った!また会う日まで!

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▪️2000/06/16 ▪️神奈川県藤沢市育ち/都内の大学に通う大学1年▪️サッカー/フットサル/旅▪️instagram/y_19shiiitaran

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コメント (6)
なんというか・・・ただただ、心がいっぱいになりました、
上手く表現ができなくてごめんなさい。
あたたかさと、生きている美しさが伝わってくるnoteをありがとうございました。

人を想うことって、素晴らしいんですよね。
生きていて、色々なことがあっても、やはり私もそう思います。
magenta-hikariさん!コメントありがとうございます!生きてるって素晴らしいですよね。たくさんの出会いがあって様々な人と関われて。猫顔お姉さんには、「俺なりの幸せな生き方を見つけてね」と言われました。今は、それを探している最中です!
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僕も今日よりnoteデビューです。ぜひ宜しければ見てください🙇
私は渡嘉敷島出身です。
高校進学のため15歳で島を離れてから大人になるにつれて、子どもの頃に見えていた島とのギャップをだんだん感じるようになって、苦しくなることもありました。この記事を読んで、改めて自分の故郷を誇りに思うことができました。ありがとうございます。😊
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