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鬱の原因を言語化するために、「なぜ?」と10回自問してみた


おはようございます、
みがき屋ゆーきです。


現在、移住生活9日目です。


あいかわらず、
鬱で寝込んでいますが、
朝の執筆は
習慣になってるので、
こうして書いています。


うつ状態になって
今日で4日目。


最近の僕にしては
だいぶ長い印象です。


軽躁状態が生じた時は、
休養に徹していれば
2日くらいで
回復するのですが、
今回はもっとかかりそうな予感。


かなり無理を
していたようです。


うつ状態のときって、
何か考えようとすると
必ず自己否定するので、
何も考えないで
ただ寝転がっているのですが、


考えちゃうんですよね。


自分は無能だ、とか
才能がないんだ、とか
色々考えちゃいます。


今も無能感に襲われて
ずーんと沈みました。


考え込むとすぐこれです。


うつ状態の時は
思考しない。


これ、まじ大事。


ではなぜ、
この文章はここまで
打つことができているのか
というと、


考えてないから。


頭の中に流れることを
ただそのままに
書き出しているからです。


思考を介さず、
ただひたすらに
頭の中から出力する。


これをしてるから書けてます。


それは置いておいて、


今日書きたかったのは、
頼り方がわからんね
っていう話です。


人に頼る仕方が
よくわからないんですよ、僕。


生まれてこの方
もう40近くになるのに。


いまだに頼り方がわからない。


どうすれば
力を借りれるのかがわからない。


いや、お願いすればいいことは
わかるんですよ。


そのお願いの仕方が
わからないんですね。


言葉が出てこないんですよ。


どういう言い回しをしたら
いいのかがわからない。


どういう言葉を
使えばいいのかがわからない。


日本語がわからない
みたいな話ですね。


あと、
恥ずかしさもありますかね。


なぜだかわからないけれど、
人に頼むのがはずかしいんです。


はずかしいんですよ。


なぜだかわからないけれど。


だから、
人に頼めなくて、
相談できなくて、
自分の頭の中で
ぐるぐる考え込んじゃって。


よくないなとは思うんですよ。


実際、今、
行き詰まっていますから。


でも、
どこで、誰に、何を、
どう話せばいいのかが
わからないわけなんですね。


そう、
何を
も分かってないんです。


僕は感覚派の人間なので、
言葉で思考せずに
感覚で物事を考えるので、
悩みも感覚的に捉えてるのでした。


なるほど。


だから、
何を伝えればいいのかが
分かっていないのか。


ということは、
これを言語化するところから
始める必要がありますね。


これを書きながら
自己解決してしまいました。


いい感じです。


昨日もそうでしたが、
ノートを開いて
深掘りしようとしたところ
抵抗感が生まれました。


でも、
こうして書くことで
自分の悩みを
深掘りできてます。


代替手段になっています。


すばらしいことです。




では、言語化しましょう。


このやり方はわかっています。


深掘りすればいいのです。


具体的には、
「なぜ?」を10回
問いかけるだけです。


ひたすら問いかけます。


それでは、
実際にやってみましょう。




今うつ状態になっている。
苦しい。


なぜうつ状態になったのか?(1回目)


無理をしたから。


なぜ無理をしたのか?(2回目)


(ここで、ゆーきは考え込みました。)

(めちゃくちゃ考え込んでます。)

(言語化できてなかったみたいです。)

(感覚とか、そういうのを掘り起こしてます。)

(しばらくお待ちください。)


……


無理してでも
やりたかったことがあったから?


なぜ無理してでも
やりたかったのか?(3回目)


どうにかしてでも
なし遂げたかったから?


なぜ、そこまでして
なし遂げたかったのか?(4回目)


夢だから。


昔からの、夢だから。


やってみたいことだから。


なぜ、
そのような夢を抱いたのか?(5回目)


いくつか綺麗事はあるけれど、
それらを排除していうなら、


自分で自由に使える
お金が欲しいから。


親にせがまずに使える
お金が欲しいから。


なぜ
親にせがまずに使える
お金が欲しいのか?(6回目)


せがもうとすると
とても申し訳なく感じて
嫌になるから。


なぜ嫌になるのか?(7回目)


自分のお金を稼ぐ能力の無さを
目の当たりにさせられるから。


なぜそれが嫌なのか?(8回目)


(熟考中……)


自分=無能だという気持ちが
芽生えてくるから。


なぜ
お金を稼げないと、
自分=無能だと
考えてしまうのか?(9回目)


(熟考中……)


お金を稼げないと、
生活することも
遊ぶこともできない。


自分の生活を
自分で支えられないのは
無能以外のなんなのか、
と考えているから。


それ以外の表現が
思い浮かばないから。


なぜ、
無能という表現に至るのか?(10回目)


たぶん、
昔、保護者から
そういうふうに言われたから
なんじゃないかな。


働かざる者食うべからず、
って言われて育ってきたから、
たぶんそれ。


でもさ、
働けないんだよねぇ。


躁うつ病だったり、
人が怖かったりして
働けないんだよ。


保護者、
そういうことを
想定できる人じゃなかった
(うつを怠けという人だった)から、
全然考えてなかったんだろうけど。


働けないんだよ。


うつとかになったら、
働けなくなっちゃうんだよ。


働けない人=無能
じゃないんだよ。


保護者、
もう死んじゃったけど、
わかってほしかったねぇ。


閑話休題。


とりあえず、
10回掘ってみてわかったことは、


保護者の教育から
お金を求める構図が
出来上がっていたということ。


自分の生活費は
自分で稼ぐべきで、
そうできない自分は無能。

親にせがめば
それを目の当たりにして
自己否定に陥るという状況に
なっていた、

ということでした。


客観的に見ると、
病気で働けないのだから、
しょうがなかった。


でも、僕の中では
こういう流れがあって、
お金を稼ぐことに
一種の強迫観念を
覚えていたようです。


というのを
改めて掘ってみた結果、
なんだか
気が楽になってきました。


お金、
無理に稼ごうと
しなくていいんだなって。


確かに
お金は欲しいですけどね。


お金を稼ぐこと以外にも
したいことは
いっぱいありますし。


そのためには
お金が必要ですし。


でも、
稼ごうとすると
無理をしちゃうんですよね。


今、僕が知る方法で
やろうとすると。


おそらく、別の仕方、
自分に合った仕方を知れば
できるんだろうなとは思います。


でも、
それを知らない今は
無理に稼がない方が
身のためのようです。


ホッとしました。


今は稼がない方がいいと
わかって。


無理して
身も心も壊してしまうと
わかったので。


好きなことして
生きていきます。


お金稼ぐことは考えずに。




余談


正直、
生活保護受けたい!


家賃とかいらなくて
月10万円くらいもらえるとか
最高かよ!
って思います。


今、障害年金(月7万円弱)で
生きてるので、
正直、そっちの方が
いい生活ができます。


まあ、
貯金が残ってるので、
申請ができないんですけども。


一応ね、
ここ10年間、
ずーっと生活水準を落として
生きてきたから
家賃さえなければ
7万円で生きていくことは
可能です。


けどさ、
本とか物とかを
買いたいわけなんですよ。


そうすると、
月7万円じゃつらい。


もっとお金が欲しい
って思うのは
当然じゃないですか。


それもあって
稼ぎたいという気持ちが
あったわけですが、

今の僕には
自分に合う稼ぐ方法が
わからないので、
無理をしないと
できなかったわけです。


それをせず、
今よりもいい水準で生きられる
生活保護、いいなぁ。


生活に余裕が出て
気持ちにも余裕が出るなら、
いろんなことに
チャレンジできそうなんですよね。


だから、
生活保護が羨ましい〜!


いいなぁ〜。





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