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調理から見る自分のタイプ

自分の調理の志向を見ると、自分のことがよくわかる。

例えば、

・好きなカトラリーは何か
・好きな調理方法は何か
・好きな食材は何か
・好きな火加減は何か

わたしは、
箸とスプーンが好きだ。
すくう(救う)ものが良い。
ナイフとフォークが嫌いだ。
切る・刺すは嫌だ。
そもそも、手で食べるのが何より好きである。

煮る・蒸すが好きだ。
素材の水分で調理するのが良い。
焼く・炒める・揚げるが苦手だ。
揚げるのはまだ時々やる。
油だけで調理するのがどうもダメ。

野菜料理と豆料理はできる。
発酵食も好きだ。
というか、調味料作りが好きみたいだ。
肉はどう扱っていいかわからない。
魚はまだどうにか。(おろすのはお魚屋さんで)
肉も魚も基本、生が一番良い。
寄生虫があるので火は通すが、煮るか蒸して終わりである。
全部そのまま入れ込むので、素材には何もしない。
せいぜい酒を振るか麹調味料に漬けるくらい。

好きな火加減は弱火。
強火は基本的にしない。
家庭のガスは強いので、元栓があればそれを弱めて最大にしても中火くらいの火加減にして使う。
強火でパッパと手早く捌いていく男の調理はできない。

これはずっと前からそうである。
こうやってみると、自分の特徴がよくわかる。

自分の調理志向から察するに、

農耕民族タイプだろう。
明らかに、狩猟民族の血ではないんだろうなと思う。
そして侍でもなかったんだろうなと思う。。
(ヨーロッパの戦士だったことはあるが、戦いは好きではなかったよう)

だから、のほほんと争わずにマイペースが程よい。
生き急いで荒いことをすると、エネルギーの消耗しかない。

たくさんの手をかけるものより、簡単でシンプルな方がいい。
攻めの料理より見守りの料理。

火より水。

つまりは調和。

自分のタイプは、こういうところからも見てとることができる。
あなたはどうかな?

パートナーと食事の相性

が合わないと最悪だ。
自分の苦手な調理法や苦手な食事を好む相手の場合、自分にとって調理は苦でしかない。
わたしの場合、食卓の相性は上位1〜2位を争うくらい大事かもしれない。
パートナーが料理を作ってくれる場合、それが自分にも美味しければ最高に幸せだね。

食事は命。命はエネルギーであるから、共有して心地よい人じゃないと一緒にはいられないでしょう?
時には、自分と違うエネルギーを取り込むことで新しい風が自分の中に入り、
新鮮に物事を捉えられたり、目が覚めたように生き生きとできることもある。
苦行のような恋愛でも、それもその時の自分にとっては必要なことだったり、学びがあったりする。
何事も一長一短ではある。
でも毎日毎日一緒が、自分本来のものと違うといつか苦しくなるかも。
自分が自分を生きていけばいくほど、それは明確になると思う。
そこをどう楽しく乗り越えるかで愛の形も変わっていくから楽しいのだけど!

台所のことを「お勝手」

っていうでしょう?
諸説あるけど、
みなさんお勝手にどうぞ」の解釈がわたしは好きです。

勝手気ままに動き回れる場所。
自分の勘所でみんなが好きに楽しくいられる場所。
だから、料理は自分が気ままに踊れるような場所がいい。
そうやって作られた料理にはエネルギーがふんだんに込められている。

逆に、「苦手だな」「失敗したらどうしよう」「まずいって言われないかな」
と思って作った料理にはそのエネルギーが入る。
これは何度も実験した。

子供がいると尚更、飽きないようになんでも食べてくれるように工夫しないといけない。食べてくれるには美味しくないといけない。
大人は味でみる。
子供は大人よりエネルギーに敏感だから、お母さんがどんな気持ちでこのご飯を作ってくれたのかが食卓に全部出る。
だから作る人が、楽しく自分の勘所に従って作っているのが何より大切だと思うのですね。
料理する時には、まず自分を整えてから。

この時に、自分にあった調理・料理に従ってると、
何やらよくわからないオリジナルのレシピでも、みんなが美味しいと言ってくれるものが出来上がる。
(無理に合わせてくれていただけかもしれない)

もちろん、調味料や素材を何を使うかも大事ですし、
食器を洗う洗剤や調理器具なんかでも全部関わります。
でもね、一番大事なのは、自分の好きや楽しいを知っていること。
なんとなく使うのではなく、
「これ好きかな」
「これ肌に合ってるかな」
「これ持った時どう感じるかな」
って自分が感じてることをちゃんと受け取ってあげてみて。

幸せの中に「自分」を入れてあげる

家族や相手のために自分が合わせるのではなく、
「自分も相手も」って考えてやっていくと、自分のことや周りのことがよくわかるようになる。
大切なことは肌感でちゃんとわかるように、みんなできている。
そういう素質をみんな持っている。
それを磨くことで自分を生きることになってくる。

手を使って、足を使って、五感の全てを使って、
今日も目の前のことをやってみて。
やがて、自分の中で何かが見えてくるはず。