人生は親ガチャ
近年、この「親ガチャ」という言葉が流行ってますよね!
今回は僕なりに親ガチャについて論じてみようと思います。
率直に申し上げますと僕は人生は親ガチャという考えに同意します。
人々の努力次第で運命は好きなように変えることが出来ます。
しかし、どの親に生まれてくるかは本当にデパートの「ガチャガチャ」みたいなもので、赤ちゃんからすれば選びようがありませんよね。
そもそも親ガチャという言葉が広まった背景には何があったのでしょうか?
日本人独特の同調圧力や自意識の高さで他人と自分を比べる人が増えたのが原因でしょうか?
今の自分に満足できず、自分よりも優れている人をも見かけたら嫉妬する人が増えたのでしょうか?
様々な要因が潜んでいることに変わりはありません。
裕福な家庭に生まれたら子供のころからいろんなおもちゃやゲーム機を買ってもらえるだろうし、容貌が美しい家庭に生まれたら生まれてくる子も美しい確率が高いです。
それは仕方がないことだし、運に委ねられていると思います。
親の年収が高ければ子供のIQが高い、親がブサイクなら子供もブサイクなのは確率論的には容認せざるを得ません。
正直に話すと、この人間界では「顔がよければ人生はイージーゲーム」と言っても過言ではありません。
なぜなら人の第一印象は顔で決まるし視覚的要素が最も多くを占めているからです。異性にもてるのも顔がいい奴、社会で出世しやすいのも顔がいい奴なのは間違いありません。
こんなことを話すと皆様の気持ちを害してしまいますよね、すみません。
しかし、考え方次第ではそのような人を追い抜くことさえできてしまいます!
例えば顔がイケてない芸能人は逆に顔を生かして笑いを生み出したり、頭が悪い学生はスポーツや企業などある分野で特定の能力を発揮したり、人と話すのが苦手な内気な人は絵画や作家としてデビューしたり…
自分のコンプレックスを悲観して、何も行動せず来る日も来る日も落胆する日々を送っていては何も楽しくないし、人生に意義を見出せません。
自分のコンプレックスを客観視して、どうすれば活かすことが出来るのか、何かいい方法はないのか考えを絞ってみてください!
かの心理学者として有名なアドラーの言葉で僕の座右の銘があります↓
「大切なのは何が与えられているかではない。与えられたものをどう使うか」
この言葉を聞くと今でも心が震えますね。本当に真理をついている言葉だと思います。
自分が生まれた環境、才能などに着目するのではなく、今自分に与えられているものを以下に上手く利用するかを考えることの方が重要。
これだけは言えることがあります!
どんなに自分に嫌いなことがあれども、本人の努力次第である水準までは自分の思い通りに作り替えることが出来るということです。
そもそも自分の現状に不満がある人は思考停止の状態に陥っているため他人のせいにする傾向があります。
「こうなったのはこんな家庭に生まれたからだ」とか「自分の幼少期に受けた教育や環境が悪いんだ!」などと原因を全て他人に擦り付けている人がいます。
挙句の果てには「もう私なんて変わることが出来ない」「運命は私を見捨てたんだ」「あの人は私と違って幸せそうだな」という思考になってしまいます…
明らかに思考停止ですね。
何も解決策を見つけ出そうとしていません。
こうなると不平不満を愚痴るだけで現状は一切変わらない上に時間の無駄です。
自分はどうやったら理想の自分に近づけるかを考えて、方法を編み出して着実に努力することが何より大切です。
他人の悪口を言うと心が軽くなった気がしますが、快感は一時的なものであくまで対症療法的な処置に過ぎません。
内心はストレスが溜まっており、罪悪感も残ります。
また、性格もひねくれてしまうのでいいことは何一つありません。
僕も不満はたくさんあります。
しかし、その分だけ感謝することもたくさん存在します。
僕も昔はあの人みたいになりたい、自分はなんて情けないんだと自問自答する毎日でした。
しかし、現在は思考停止にならないように着実に努力しています。
絶対に変えてみせるという強い意志と希望があれば推進力となります。
みなさんも自分の不満を友達に愚痴るだけで時間を浪費するのではなく、客観的に見てどうすればコンプレックスを解消できるか真剣に考えてみてください!
何か反論や言いたいことがあればコメント欄でお書きください!一緒に討論しましょう(^▽^)/
まだまだ記事を投稿していくのでよろしくお願いします(^▽^)/
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