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編集の仕事は拡張できるのか(仕事10年振り返り)

法人化してちょうど2年、あっという間でした。フリーランスで8年と合わせて、独立して10年、ほんとあっという間過ぎました。次の10年もほんとすぐに過ぎそうで怖い。とりあえず法人決算と個人の確定申告が待っているなか……この10年を書籍の編集という軸で振り返ってみました。

雑誌、ウェブ……じゃなくて書籍の編集

この一年は自分より10個くらい下の人たちと仕事したり話したりする機会が多くて、刺激的な1年でした。10年ってあっという間なので、自分が親しんできたカルチャー界隈が、大きく変わってきていることにも自覚できなかった。雑誌を読む人もいないし、音楽とか映画とか、僕らにとって水や空気みたいなものを、同じように若い世代も接しているというのは大きな間違いだと気づいた。デジタルネイティブの人たちのカルチャーは、僕らが先行世代から受け継いできたようなカルチャーの洗礼を受けてないし、興味もない人が結構いる。「Youtuberのように(自己表現として)雑誌を作りたかった」と言う人と出会って、雷が落ちた気分でした。僕らは、編集は裏方に徹するのが美学だったから。

一方で紙媒体の同業者と話すと、その10年の変化に気づいてない。どちらも相手のことを知らなくて、こうやって文化は断絶してしまうんだろうな、と感じて、自分でイベントやったり本つくるときは意識的に両方の人を呼ぶようにしている。もちろん、トークやっても話が合うわけがないんだけど、少なくとも他者にリスペクトや好奇心を抱けるまともな人であれば、自分の知らない世界を「知らなかった」と思うことができる。予定調和な座談会、ラインナップを並べても、自分たちの世界がシュリンクしてくだけですよ。

割と、書籍編集出身で独立してやっている人も珍しいと思う。雑誌編集とウェブ編集が比べられる機会はこの10年多かったし、初期はウェブ編集はすごく下に見られてた。でもそこに書籍編集が絡むことがあまりなくて、「本当は書籍編集って重要なんだぜ」と思いながらやってきたところがあります。

佐藤卓巳さんが『メディア社会』(岩波新書)でこんなことを書いている。

いわゆるメディア研究において「書物」は特殊な媒体である。そもそも「本はメディアではない」という議論も存在する。メディアという言葉が第一次大戦後に広告関係の業界用語として「広告媒体」の意味で新聞・雑誌・ラジオを指して使われ始めた

最近はローカルメディアの人、もしくはちょっとアート業界の人っていうイメージしか持たれてないけれど、自分のアイデンティティは書籍編集。書籍編集って今も昔も地味で目立たないけど、僕が気になる編集者は基本的にみな書籍編集者だし、広告もなく純粋な販売売り上げだけで勝負する書籍の仕事には共感するし、書籍編集者って本当に縁の下の力持ちなので、「みんないい仕事しているな」って思いながら見ている。

この10年で作った本リスト(一部)

この10年の自分の仕事を振り返ってみても、やっぱり本を作ってばかりでした。例えばこんなのを作ってきました。

前職から続いてる方向性で、素人の創造性みたいなものに依然と興味がある。『秘密基地の作り方』は後述の著書にも繋がる、割と売れた本です。横井軍平本も前職で手がけてるのから2冊目。

一方で、もともと前職でアート系の本を作っていた関係で、展覧会図録も作っていましたが、2012年くらいからブームになりつつあった芸術祭の本を作ることで、芸術祭の運営に関わる機会が増えた。これがローカルに興味を持つきっかけでもあった。会社員だと、どうしても「観光客」としてしか地域と関われない。これはローカル系のメディアも全部そうで、結局、よそ者で東京マインドの編集者やライターが地方に行っても何もわかったことにならない。でもフリーになると、一つの地域に1年とか2年とか関わる。そうすると半分住んでる人の気持ちになれるので、見えてくる世界が変わる。

これは、自分がアートプロジェクトに興味を持つきっかけになった本。今年制作する「アートプロジェクトの10年本」もこのラインで作っていきます。

美術館カタログはこのあたり。

後者もカタログでありながら、刊行当時からすったもんだがあって、展覧会終了前後に発行された不遇の本ですが、市場でも耐えられる本づくりを心がけたこともあり、初版が版元在庫切れでずっと推移していたところ、今年のあいちトリエンナーレがきっかけで3年ぶりに重版した本。

展覧会に見にくるお客さんがお土産感覚で買ってかえるものではなく、一般書店で手にとっても大丈夫な本にするというのは、これはイレギュラーで出版社在籍中に作ったボイスの本ですが、この頃から問題意識を持ってやってきました。一応貼っときます。

素人の創造性という自分のテーマと、東京からは見えないローカル、というテーマがかけ合わさったのが、自分の著書であるこの2冊。

結局、東京にいる人ってほとんど地方から出てきている人なんですよね。自分が憧れた雑誌、メディア業界に属して、恵比寿あたりで呑んだり、東京生活を謳歌しているので、食らい尽くされた東京インナーでいまだにネタを探し続けている。あるいは東京にいる、同世代の「わかる人」たちからのタレコミがネタになる。僕は東京生まれ東京育ちなので、もちろん、中学・高校時代から中央線だったので東京カルチャーの恩恵はめちゃ受けてるけど、そんなに東京に興味がもうない。むしろ地方の面白さって誰も注目してなかったので、あえてそっちに向かっているだけ。

一昨年は『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)の台湾版出版記念ツアーで台湾に行きました。

去年は『ローカルメディアの仕事術』の台湾版が出たし、シンガポールに呼ばれてアジアのアートブックを出しているアーティストやパブリッシャーに混ざってシンポに出させてもらったのはめちゃ大きな経験でした。日本語話者が増えている(外国人労働者)のに日本語読者(本を読む人)がどんどん減っている時代に、国内だけで活動していてはやばい(書籍編集者的に)。そういう意味でアジアは新しい活動フィールドになりそう。英語はまだまだまずい状況だけど、日本のローカルの問題はアジアでは今後役に立つ。そんなことを感じた2019でした。

もてはやされる「編集」の仕事は拡張できるのか?

今年は本何冊出せるかな、アートプロジェクトの10年本は2021年刊行なので、支援してくださったみなさまにはお待たせして恐縮ですが、今年中は難しいかもしれない。基本、書籍は企画してから出すまで1年はかかるので、自分がいま書いてる連載だとか今年スタートする連載が書籍化できれば御の字、といったところでしょうか。

「編集」っていう言葉がもてはやされすぎていて、本当に意味がわからない。むしろ広告屋に食い物にされて、末端価格でやっている人が多すぎ。広告屋はアリバイとしての冊子やウェブがあればいいので、コンテンツのディテールにそれほど興味を持たないし、コストがかかりすぎるので手を付けない。そこを、「自分が関わるものは妥協できない」とする編集屋がコスト度外視でアサインされ、使い捨てられている現状がある。

依頼する側も「編集」っていう言葉が一番わからない。費目に入る意味がわからない。でも都市の「編集」が必要だ、とかまちの「編集」が必要だ、とか感覚で思っているだけ。この構図はなんとかしたいなと思うわけです。

最近はほとんど本を作ることも減ったしプロジェクトをつくることばかりになってきたけど、紙からスタートした編集者として(とはいえそれは雑誌ではなく書籍)、自分ができることをする年にしたいと思う。

編集とは目に見えてわかりやすい、たとえばCMのような「面」をつくる仕事ではない、対象に感情移入し、心の機微を同期させ、ともに迷う無駄な時間を過ごす仕事だと思う。本当はそういう人を自治体も企業も必要としている。出版マーケットがシュリンクするなかで、そこを飛び出して本当に「編集」しているなという人=つまりリスペクトしている人の一人が牧野伊三夫さんなんですが、一般的には広告の人っていうイメージがあるかもなぁ。

牧野さんは『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)でも取材した「雲のうえ」の編集委員。そして飛騨産業の「飛騨」の立ち上げに関わったり、その縁で同じく林業のまちである日田に関わり、弁当メディア「きこりめし」の立ち上げに関わった人。他にも広告の仕事とかいろいろしてるんだけど、ローカルへの関わり方が本当にすごい。呑み。しつこくくらいつく。自分がよいと思うものを作るために、行政的な慣習を「人対人」のコミュニケーションで壊していく=たらしこんでいく。

広告屋がコンペ取れて浮かれてる様子がSNSで叩かれてたりしてたのを見るけど、予算が取れたらゴール(収益の見込みが立つ)ではないんです。予算が取れてからスタート。アウトプットのクオリティに執着すること。でもアウトプットのクオリティに心血を注ぐ紙の(物理的な成果主義)世代の感覚って、手っ取り早く観光客増やしたい自治体や商品を売りたい企業には理解できない感覚なんだろうと思う。

最近、城崎温泉の「本と温泉」プロジェクトのアシスタント募集の記事がでてたけど、「本と温泉」もまさにそんな物理的アウトプットに心血を注ぐプロジェクトで、こういうのが「本物の編集者の仕事」なんだと思う。とりあえずバズったり自分の名前を売ることが第一条件の人たちには、アウトプットに命かけることの意義って理解できないんだろうなぁ。昨年末クローズした「地域の編集ーローカルメディアのコミュニケーションデザイン」のオープニングトークで、本と温泉に関わるBACHの幅允孝さんを呼んだけど、聞いている人は「これがものづくり=編集」なんだと感銘を受けて帰ってもらえたと思う。

市長と温泉に入ってお酒を呑むところから始まり、出来上がったモノを既存の価値観に囚われずどう流通させるかまで考える。物理的アウトプット主義者は、モノ以外の全ての波及効果(あるいは、出来上がる前のプロセス=関わる人のモチベーションのマネジメント)まですべて責任を持つ。こういう感覚持っている人、本当に少なくなった。

オウンドメディアの次を見据えて

プロジェクトの全体に責任を持つ、というのはつまり今の言葉でいうとUXデザインということになる。それは面として見えるユーザーだけではなく、関わる人全員の経験(experience)に関与するということ。これが書籍編集的マインドなんですよ。企画から流通、イベントまで。書籍は3年くらいは話題に上がるから、3年後どのように読まれているかまで考えながらつくらなくちゃいけない。企画段階から考えると4年くらいは面倒を見る。こういうマインドって、単年度の成果を求める自治体や企業にはない。単年度で地域が変わるわけないし、企業のブランド価値が上がるわけがない。

信陽堂編集室が編集に関わっている、近江八幡の「ラコリーナ」も7年続いてる。経営者の矜恃といいますか、10年続けてやっと実が出るのがブランディング。去年はウェブのオウンドメディアが軒並み潰れた年でした。苦労した人もいると思うけど、自治体もそう。プロポーザル主義で、安心の大手代理店に頼むから予算執行の段階で縁が切れる。10年後を見越した政策、企業戦略を持っているところって今、どれくらいあるんでしょうか。流行りに乗って、流行と一緒に潰れていくオウンドメディアを見ていて思うのは、「ああ、いつの時代も長いものに巻かれる人たちばかりなんだな、依頼する側も作る側も」ということ。

どうせ自治体職員の権力のある年配の人たちは、本も読まないしネットも見ないし、なんなら新聞も読んでないだろうから、あらゆる情報に疎いんだと思う。経営者は新聞は読んでるし勉強はしてるけど。そういう意味では、逆プロポーザル仕掛けている公共R不動産は今年も注目したい。

2017年の北九州のリノベーションスクールにユニットマスターとして参加してから、公共分野におけるリノベスクールや公共Rの取り組みには本当にリスペクトしかない。リノベスクールでの経験があっての、弊社がいま取り組んでいるLOCAL MEME Projectがある。

ちなみに、R不動産の馬場正尊さんも元々編集者だし、狭いウェブメディア内コンテンツや流通の閉ざされた出版の世界で「いいもの」をつくるだけでなく、「いいもの」を平面から立体へとスライドさせていく編集者の仕事はリスペクトしかないし(でも多くの編集者は上で取り上げた牧野さんや幅さん、馬場さんを「編集者」として見てないと思うけど)、自分も末席ながら、そんな編集者(的存在)として今後も挑戦していきたいと思う2020です。

直近の宣伝としては、京都で借りた事務所でスタートするワークショップと、今年も絶賛続いている連載です。

これからの時代は広告に紐づいたメディア(バズらせたり、なんやかんやで広告貼り付けること)から、コミュニティに根付いたメディア(Community Based Media)に注目が集まる時代です。ぜひアップデートチェックしてみてください。

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編集者、合同会社 千十一編集室 代表。著書に『大人が作る秘密基地』 『ローカルメディアのつくりかた』、編著に『あたらしい「路上」のつくりかた』『ローカルメディアの仕事術』などがある。山下陽光、下道基行とともに「新しい骨董」の活動も。http://sen-to-ichi.com

コメント1件

必ず「呑む」工程が入っている(それを入れないと次工程に進めない)ところが地方の、というか古い日本の限界を作っていると思いました
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