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大好きな本を断捨離してみた

断捨離好きの私が唯一捨てれなかった本たちに手を出してみた話。

本が大好きで、でっかい本棚のお家に住みたかった

私は本が大好きで、幼少期から今まで、かなりの量の本を読んできた方だと思う。
床から天井までずらりと本が並ぶようなそんなお家に住みたいと夢見ていた。梯子で上の方の本をとって、そこに座って読んだり、そういうのに憧れていた。

とはいえ大人になってみると、こんなにも地震の多い国でそういう建築物を建てるのはどうかと思ってみたり、本をある程度清潔に保管するって案外難しいなと気づいたりして、そんな夢は次第に薄れていった。

大学生、一人暮らしで断捨離に目覚める

大学3年生の頃、貯めたお金と奨学金で1人暮らしを始めた。
最初はニトリで安い家具をたくさん揃えて、それっぽくなったお部屋にウキウキしていた。

だけど、家具やモノがあればあるほど、掃除や片付けの手間が増えることにすぐに気づいた。

1人暮らしで誰かがやってくれるわけでもない家事をこれ以上増やしたくもないし、散らかった部屋だとなんだか気持ちがザワザワする。

ちょうどその頃、インスタなどでmami dotさんのような「ミニマリスト」といわれる人たちの発信が目立つようになった。(いや、私がそういう検索をしたからそうなったのかもだけど)

そういう投稿に感化され、私は断捨離を始めた。

最初はベッド、その次にテレビ、ソファー、お洋服、、やり始めると、こんなにもいらないものがあるとは驚いた。

モノが減ったお部屋で過ごすのは気持ちがよかったし、何より管理する手間が格段に減って、自分が何に時間を割きたいのか、もっとシャープに考えられるようになった。

以来、基本的には何事もミニマル思考がベースになっている。

本を保管する意味

さて、やっと表題の件に。

私は本が大好きで、どれだけ断捨離してもまた増えるし、「なんか捨てたくない」の気持ちがずっとあって、結局手元には選りすぐりの50冊くらいが常にあるような状況だった。

でも改めて考えてみると、そうやって大事に並べた本の中でも、1年の間で手にとって読むものはたった数冊だったりする。

まして私の持っている本は絶版しているような希少価値の高いモノでもなく、いつでも買える、借りられる本がほとんど。

引っ越しをしてからは扉が閉まるタイプの本棚になったので、背表紙すらほとんど見ていない期間も長い。

私は固執しているのだろうか。

多分、「忘れたくない」だと思う。
「いつか読み返して思い出したい」だと思う。

そういう安心感のために、私は本を保管している。

だけど、と思う。

本当に忘れたくないことや、大切なことは、言葉そのままじゃなくても、心が覚えているものだと最近は思うようになった。

逆に、数年して忘れちゃうような言葉は、その時必要な言葉ではないし、きっと必要な時にまた巡り会える。

あの日、あの人にもらった言葉。
あの時、あの子がかけてくれた言葉。
あの場所で、読んだあの言葉。

忘れたくないそれらは、たとえすべてがクリアではなくとも、心でちゃんと覚えている。

し、それくらいでいいとも思う。

すべて正しく覚えたいなら機械に頼ったほうが確実だから。

「なんとなく、あの言葉よかったなあ」っていう後味と一緒に覚えておけるのが、私たち人間の特権だから。

そう思うと、私個人があえて本を保管する必要はないなと、凝り固まった思考を手放すことができた。

(あ、でも現在勉強中の資格や語学の本はさすがに忘れちゃ困るので捨ててない!笑)

娘の絵本を集め出した

とはいえ、自分の本は捨てても、娘の本が増え始めたのは事実。
でも、これは意味のある保管だと感じる。

娘にはできる限り絵本の読み聞かせをしてあげたいし、破いてもかじっても、放り投げても安心な「自分の本」をたくさん与えたい。(まだかじれる歯も生えてないし、放り投げるスキルもない0ちゃいだけど笑)

お気に入りを本棚に並べる幸せもたくさん感じてほしい。
所有の安心感もきっと必要なことだから。

いつか娘が大人になる時、必要がなくなったら捨ててもいいし、誰かに譲ってもいい。ずっとずっと大切にしてもいい。

大事なのは、モノが多いか少ないかじゃなくって、大切にできるモノを大切にできる範囲で所有することなのかなと思う。


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