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パーマをあてた。もっと力を抜いて生きるために。

先日、人生でほぼ初めて、パーマをあてた。

これまでの人生で、実は1回だけゆるっとしたパーマをあてたことはあったのだけど、ボブヘアだったし、癖毛かな?くらいのほんのりしたパーマで、今回ほどガッツリとショートヘアにくるくるパーマははじめて。

別にカラーもカットもしていたのに、なんでパーマをかけていなかったんだっけ?と思い返すと、「あえてパーマをあてる理由」がなかったんだなということに行き着いた。そして、そういえば毎回髪を切る「理由」があるなと気づいた。

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人によってヘアスタイルを変えることの重要性やきっかけは違うと思うけれど、私は断然「なりたい自分」軸でヘアスタイルを変える派。

かわいいとか、流行ってるとか、そういう軸は全く関係なくて、「意志の強い、ハッキリした感じの女性でいたいから、裾がキュッとしまったショートヘア」「やさしい雰囲気のあるママでいたいから、前髪を作ろう!」みたいな感じでヘアスタイルを選んできた。

もっと遡ると、小学生の頃は、「かわいい(か弱い)女の子」とカテゴライズされることが嫌で、なるべく中世的なベリーショーとやショートカットが多かった。中学生の頃は「優等生感のある、王道の二つ結び」ができる長さにしてみたり、高校生の頃は「自分の世界観をもった人でありたい」と思って、おかっぱのようなキノコヘアにしてみたり、大学生になってからは、「女子大生をエンジョイしたい!」と量産型の茶髪ロングにしてみたり。

その頃のヘアスタイルで、なりたかった自分が浮かび上がる。

そして今回も「なりたい自分」がアップデートされたから「パーマをあてる」という選択をしたのだと思う。

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私の中で、パーマヘアは「ラフに力を抜いた感じ」「他者の干渉を受けない」というイメージがある。(多分「凪のお暇」やキンコン西野さんのイメージが強いから。単純か。笑)

だから多分、今の私は心の底から力を抜いて、他者に干渉しない人なりたかったんだと思う。

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例えばそれは育児

私はどうしても過去の自分の傷の影響で、「愛着形成をちゃんとしたい」というニーズが強く出ているし、「娘の心に傷を与えてしまったら取り返しがつかない」という恐怖感もある。

だからこそ、どうみたって育児に力が入っていると思うし、自分のルールにがんじがらめになる時がある。(娘といる時間の全力具合や、動画は何分とか、日本語と英語のバランスとか、娘と接する時の姿勢や言葉遣いなど)

例えばそれは仕事

「仕事なんだから〜しなきゃ」という意識や、「自分のもったボールに責任を持つ」「誰かに迷惑をかけちゃいけない」の気持ちが強い分、そういう感度が低いと感じる他者への許容度が限りなく低い。「許せない」「ちゃんとしてよ」という気持ちが強くなってしまう。

例えばそれはパートナーシップ。

ビジョン重視、「なりたい私」軸で生きる私は、「なるようになる」「なんとなく平均点でOK」「安定第一」の夫とは価値観が真逆で、時にその違いに絶望しかけることがある。夫の自分の人生への責任感のなさというか、主体性のなさに苛立ちさえ感じてしまうことがある。

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こういうすべての「こうしなきゃ」「こうあるべき」「こうしたい」みたいな強いこだわりは、大きな声となり、大きな力となり、攻撃性を持ち始める。そうじゃない他者を無意識のうちに威圧する。

客観的に見ても「そう力まなくてもいいじゃん」と言いたくなるレベル。

自分に厳しいのは「どうぞご勝手に」という感じだけど、それを他者に強要するのはおかしいし、そんな権利はない。

こういうことに気づいてはいたし、人生の中で何度も軌道修正しようとしてきたけれど、習慣や思考のクセはそう簡単に抜けるものでもなく、何度も同じ課題を行ったり来たりしていたように思う。

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これといったきっかけがあるわけではないけれど、上半期も終わり、下半期に入って、一呼吸置く時間を意図的に取るようにしたこともあって、「そろそろ本腰入れて自分改革に取り組まねば」というムードが高まり、パーマの予約を入れたのが先週のこと。

髪型を変えて人格が変わるなら、誰も困っていないだろうから、これは1つのきっかけに過ぎないことはよーーーくわかっているけれど、この新しいパーマと共に、ちょっとずつ力を抜いていく下半期にしたいな。


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