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そんなのもう誰かが思いついているよ

「私の手法こそが最も優れている」

そんなことを言う人がこの世には一定数いる。
100日連続の無料コンテンツをマーケットが求め、その結果の商品化の告知に対しては”タイミングが尚早だ”という。
そういう人はタイミングが後ろにズレていたとしても「勢いがあるうちにマネタイズすべきだった」とか「熱が覚めた頃に告知しても売れないよ」など勝手なことを言い出すのだ。
自分ならきっともっと上手くやれるという幻想を抱いて生きている。

(100日走り切った後のコンテンツの余韻に浸りたかったとか言っている人もいてこのご時世にすごいスピード感だな、と感心したりもしていました。)


そういう人が常に「私の手法こそが最も優れている」と言えるのは「何もしていないから」です。
自分の中に成功した結果や、失敗した体験の積み重ねによる経験値が圧倒的に不足しているため目的が「目の前にある方法論を否定すること」になっているのです。データがないのでどれが良くて、どれが悪いのか、の判断が出来ない。

自分の考える手法と1mmでも誤差があるものは許せないし、そもそも否定することが目的なのでむしろ自分から誤差を作りにいく。

つまり経験値などは必要ではなくて僕らに大事なことは「想像力」であるということです。前述した無料公開コンテンツの収益化のタイミングの遅い早いは正直どちらでも良くて、大事なことは「そのタイミングは既にこの世の誰かが議論し切ってしまったからこの世にそのタイミングで生まれたのだ」ということを想像することですね。

どんな天才でも凡人でも努力家でも全てのアイディアはこの世の誰かが既に思いついていてその上で表現されているし、もしくは消されているのです。

「自分のアイディアこそ誰も思いついていない奇跡の妙案」であることなんて99パーセントない。その議論し尽くされて結果採用されなかったアイディアを「こっちのやり方が神」のように大声で叫んでいても意味がないし、そもそも土俵の外から叫んでいる人の言うことなんて誰も聞いてくれないのです。自分の意見は採用されなかったけど議論し尽くされた挙句に却下されたのだろうと想像することが必要ということです。

ここに僕が書いたこともきっとみんなが思っていることで特に珍しいものでもなんでもない。

僕はその100日間の無料コンテンツにとても楽しませてもらったし、最終回もとても心揺さぶられた。
その人たちが決めたことなら応援する。とても楽しませてもらったからです。この世に発せられたものを除いて等しく無価値なのだから自分の楽しんだものを素直に楽しめばいい。

この世はギブアンドギブだよなぁと感じる。

どうしても否定したいのなら、自分で同じことをやってみたらいいよ。


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