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「お菓子な絵本」11.陰謀

11.陰謀



「実に痛快な幕切れでしたね」
 ひとりごとを言いながら真秀は白のルークを手に取り、ジャンドゥヤ王子の最後の手、「d3」を指した。
 チェック・メイト。
『お菓子な絵本』にはジャンドゥヤ・アルジャンテ戦の詳細が克明に記されていたので、ストーリーと同時進行で駒を動かしていた真秀に、試合運びは手に取るように伝わってきた。高学年になってから始めたチェスの知識は今や相当なもので、趣味の範囲といえども、すでに父親と対等に渡り合えるほどに腕をあげていた。

 シュヴァルツ家には様々なチェスのコレクションがあった。

 アーサー王のチェス。木製彫刻のアーサーや円卓の騎士らが、チェス盤の上で騎士道精神にのっとったトーナメントを華麗に繰り広げる。
 家臣の裏切りによって破滅へと追い込まれたとされるアーサー王であったが、少なくともチェスの世界においては、味方の駒による裏切り行為は皆無である。騎士たちは最後まで王に対する忠誠を守って戦い抜く。

 チェス盤に戦略地図が描かれている「ワーテルローの戦い」。ナポレオンと、対するウェリントン公爵をキングとする駒は、22金とスターリングシルバーによる重厚な仕上げ。
 ナポレオンは生涯にわたりチェスのとりこであったといわれるが、史上最高の戦略家といえども、ことチェスに関しては残された譜を見る限り、さほどセンスはなかったようだ。

 繊細なカッティングを施されたヴェネチアンガラスのチェスセットは、クリアとブルーの駒が鏡状の盤にきらびやかに映し出される。

 同盟軍と帝国軍のキャラクター対戦が楽しめるSTAR WARS や、往年のTVシリーズ STAR TREKに登場していた三次元立体チェスは、小遣いをはたいて海外通販で取り寄せたもの。

 そして真秀が今回使用したのは一番のお気に入り、世界チェス連盟公認のチェスセット。シンプルかつ壮麗な木製の駒の、比類なき美しさ。大方のチェスファンは白と黒の駒の、とりわけナイトの駒の美しさに魅せられてチェスの世界に足を踏み入れるものであるが、真秀もまた例外ではなかった。

 チェス盤をベッドから脇の机の上へ、そっと運ぶ。しばらくはこうして飾っておこう。

── 決着が早くついて良かった ──。

 ジャンドゥヤ王子の完璧な勝利に酔いながら真秀は思った。もしあの時ぼくが、ギフトが贈り物じゃないってことを、彼に伝えなかったら──

 思ってから、がく然とした。それがどんなにバカげた考えであるか。

「ありえない。読み手の思考が本の中の人物に伝わるなんて、あるわけがない」

 だけどあの時点でそう感じたのは確かだった。
 熱くなりすぎたんだ。悪い癖だ。夢中になりすぎて、物語にすっかり同化してしまったんだ。
 真秀はベッドに戻り、恐る恐る「お菓子な絵本」に手を伸ばした。


   ※   ※   ※


「解散」
 隊長の八つ当たりを、緊張しつつ待ち受けていた警備隊のメンバーにそれだけ言うと、アルジャンテはさっさと城に入って行った。途中でキングの黒マントが乱暴に地面に叩き付けられる。

 どやされるのを覚悟していたマシュマロ・ホワイトと、その先輩ダックワーズは、顔を見合わせ胸をなでおろした。難は免れた。隊長は後になってわざわざ呼び出し、ぐちぐち説教をたれるような陰険なタイプではないのだ。

 マシュマロはキャンディの中身のことも気になっていた。先輩に、夜警当番こそはしっかりやり遂げると誓うと、王子の様子を伺いに行った。

 王子はベンチの陰で王室護衛隊長と何やらひそひそやっている。

「これは……ひどい」
 ベルガー護衛隊長がうろたえていた。

 草むらに投げ捨ててあった白クイーンの冠。ルビー色のゼリーはぐちゃりとくずれ、原形をとどめない状態。周囲の雑草は劇薬でもかけられたかのように無惨にしおれ、変色していた。

 かがみこみ、状況を分析する王子の脇でベルガーは続けた。
「彼女は大丈夫だったのですか? あの、マドレーヌさまお付きの女性は」

「ああ。問題は狙いが誰だったか、ということだ」

「もし、妻がこれをかぶっていたら。それとも王子、あなたが本当にクイーンを演じる羽目になっていたら。そして試合が長期戦になっていたら?」
 恐ろしさのあまり、言葉が続かない。

「暗殺未遂。ということですか?」

 いきなり第三者から声がかかり、二人ははっと振り返った。黒ナイト役の警備隊員が、いつの間にかそこにいた。

「このことは他言無用に」

 王子の厳しい表情にマシュマロは慌てた。
「すみません。立ち聞きするつもりでは……。ただ、人の命がかかっていると聞いていたものですから」

 ベルガーの疑惑を察して王子は言った。
「彼なら大丈夫。何しろクビを覚悟で危険を知らせてくれたのだからね」

「やはり試合中に何かあったのですね。あのナイトのミスは作戦だったわけか」

 感心するベルガーに対し、マシュマロはきまり悪そうに、しかし正直に答えた。
「いえ……。あれは、本当にドジっただけです」

 呆れて、というより感心して、ジャンドゥヤはまじまじと警備隊員を見た。
「きみは大物になれるよ」

 王子はベルガーに、かろうじて原形を保っている黒クイーンの冠のほうを静かに手渡した。ゼリーの部分を上に向けておかないと、今にもくずれてしまいそうだった。

「帰って鑑識に回してくれ。大至急。毒が流れないよう慎重に。なるべく冷やして運ぶといい」

「こちらの冠にも毒が? では両クイーンとも狙われていたということですか」

「白のほうはカムフラージュにすぎなかろう。おそらく本命は──」

「わたしが狙いだったってわけ?」

 どこから声が聞こえてきたのか最初はわからなかった。マドレーヌが木の上にいるなど、誰も予想だにしなかったから。

 彼女はするすると、器用に木から降りてきた。飾り立てた黒クイーンの扮装はすっかりとかれていた。さらりとした白いドレスについた木の葉を払いながら、視線は草むらの無惨な冠に釘付けになる。

「またお昼寝ですか、お嬢さま」という、いつもの皮肉まじりの冗談など、とても言える雰囲気ではなかった。
 うかつだった! ジャンドゥヤは思い切り後悔した。マドレーヌに聞かれてしまったとは。夢中になるあまり、気配に気づかなかった。

「わたしもああなってたかも? それに、ニーナをあぶない目に?」
 涙があふれそうになって、マドレーヌはその場から逃げ出した。城を取り囲む広大な庭園の方向へ足早に去っていく。

 ジャンドゥヤはとっさにあとを追いそうになったが、理性が彼をその場に踏み留まらせた。マシュマロの腕をつかんで問いただす。

「彼女が今日、黒のクイーンを演じることを、きみは知っていた?」

「ぼくは何も……。ただ、通りすがりの女性からキャンディの包みを預かっただけで……」

「イエスか!? ノーか!?」

「イ、イエス」

 王子の静かな気迫に、マシュマロはたじろいだ。この方は……。プリンス・ザ・スウィートなんて言われてるけど、とんでもない。いざとなると、アルジャンテ隊長よりはるかにコワそうだ。

「となると、城中の者が知っていたと考えるべきだろう。犯人の特定は難しいな」

 マシュマロは自分が疑われたのではないとわかって、ひとまずほっとした。

「今回の件で警備隊を追い出されるようなことがあったら、グラス・ロワイヤル城にくるといい。いつでも歓迎するよ」

「光栄です」
 マシュマロ・ホワイトはさっと敬礼して応えた。

 ジャンドゥヤはベルガーに白クイーンの冠も回収して先に帰るよう指示してから、自分はもうしばらくここに残ると告げた。
「やり残したことが、あるから」



 陰謀は深く、確実に進行していた。

 カイザー・ゼンメル城の内堀にかかる、東橋。三人の工作員──、改め警備隊員が人目をはばかりながら巧妙な細工を仕掛けていた。

「よし、これでいい。これで絶対にバレない」

 落とし穴の留め金を掛け終えると、リーダー格のサバイヨンは満足げにうなずきながら立ち上がった。三歩下がって仕事のでき具合を確かめる。

「本当にやるのか? 他の誰かがここを通ることはないんだろうね」

 マシュマロにナイト役を譲ったダックワーズの姿も見える。

「王子以外の誰も通らんよ。通行禁止区域なんだから」

 東側の庭園の、マドレーヌの部屋に面した一角は立ち入り禁止となっていた。マドレーヌ嬢の静かな眠りを妨げるものは、何人たりとも許されないのだ。

「じゃあ、なんで王子は通れるのさ」
「あのはちゃめちゃ王子に、この世のルールなど通用するものか!」 
「だったら、ここを通るとも限らないじゃないか」
「王子は必ず通るんだよ。マドレーヌさまの部屋を見上げて、無言のあいさつをしていくのさ。彼女が眠っていても、起きていても。部屋に居ても居なくても、いつも必ず、ここを通る」
「当のマドレーヌさまがこの橋を渡るということは?」
「マドレーヌ嬢なら大丈夫。彼女がついてるから」
 サバイヨンは声をひそめた。
「もともと彼女のアイディアなんだ。隊長に恥をかかせた王子に、ひと泡ふかせてやれってさ」

「ふうん。おっかない人だね」
 肩をすくめ、ダックワーズは橋の真ん中へと歩みを進めた。
「よし、落とし穴が確実に機能するか試してみよう」

 サバイヨンが即座に彼の衿首をつかんで引き戻した。
「よせ! 死ぬ気か!?」
「な、何?」
「毒入りだぞ。ここの水は。忘れたのか?」
「毒? 堀の水に毒が?」
「警備隊員が、そんなことも知らないのか」

 だから水鳥がいないのか。ダックワーズが長らく不思議に思っていた謎が解明される。それにしても、
「どうしてそんな恐ろしいこと……」
「ルドルフ公さ。理由はひとつ。敵の進入を阻止する為」

 この平和な世の中の、どこにそんな敵がいるというのか。カイザー・ゼンメル城に敵が侵攻してくるなどと、ルドルフ公は本気で考えているのか。ダックワーズは蒼白になった。

「パラノイア……か」
「何だって」

 ダックワーズは手短かに説明した。

「自分が暗殺されるんじゃないかとか、世界は吸血鬼に支配されてるとかいった被害妄想にとりつかれてる精神状態のことさ」
「ルドルフ公がそうだと?」
「しっ。声が高い」

 ダックワーズは声のトーンを一段低くする。

「パラノイアがやっかいなのは、その妄想がいたって論理的だということなんだ。自分を取り巻くあらゆる事柄が、明確な意味を持って妄想に結びついていく。だけど人格に異常をきたすなんてことはないから、本人はおろか周りの人間も誰も、症状に気づかない」

「おい、その辺でやめとけ。おれたちはそのルドルフ殿に仕えてる身なんだぜ」
 サバイヨンが周囲を見回しながら警告する。
「行こう。じきに王子が来る」

「ちょっと待った。王子はどうなるんだ。いたずらではすまないぞ、こんなこと。れっきとした殺人じゃないか」
 毒入りと知った以上、放ってはおけない。ダックワーズは猛然と抗議した。

「いいか。毒は日に数回、定期的に混入されるんだ。時間帯によっては薄まることもある」
 サバイヨンが、まあまあと、ダックワーズの肩を叩いて落ち着かせようとする。

 が、相棒のヌーガットが余計なことを言って追い討ちをかけた。
「致死量に達することも、ある。ただし落ちた奴が水を飲めば、の話だがね」

「とにかく、王子にひと泡ふかせてやればいいんだ。あとは彼の命運次第さ」

 二人の警備隊員は、うろたえるダックワーズの肩をまあまあと抱くようにして、その場から連れ去った。



12.「白の庭で」に 続く……



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