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「お菓子な絵本」 6.鷹は舞い降りた


6. 鷹は舞い降りた



 狩りに参加すべく待機していた全員が即座にひざまずき、王子に敬意を表した。

 たった今まで悪口を言っていたアルジャンテでさえも、そうせざるを得ない空気が王子を取り巻いていた。創造者の息子としての、そして王子としての威厳。その華麗にして突飛な行動で、どんなに周囲を振り回そうとも、軽口をたたこうとも、アホっぽい歌を口ずさもうとも、宿命的について回る威厳が、彼にはあった。
               
 ブレッター・タイクの森の管理小屋に置いてあった間に合わせの衣装でさえも、ジャンドゥヤはさりげなく完璧に着こなしていた。
 衿の大きく空いた白いシャツ。胸元でさらりと結ばれた、瞳の色と美しく調和しているグリーンのスカーフに、紋章入りの金のカフスボタンが洒落ている。大きめの茶色のベストのラフさ加減──これはブレッター・タイクからの借りものであったが──、その下からチラリとのぞく伝説の〈星の剣〉。シンプルな狩猟用の帽子──これも借りもの──と、少々乱れ気味の髪型は、金髪の輝きをかえって引き立てている。

 王子はこのうえなく優雅なお辞儀をしてから、皆に立ち上がるよう促した。

 まったくもって、ジャンドゥヤ王子は非の打ちどころがなかった──口さえ開かなければ──。
              
「何やら決闘でもおっぱじまりそうな勢いだったけど」
 張り詰めていたその場の雰囲気が、あっけらかんとしたジャンドゥヤの口調で一気に崩れ去る。
「そんなエネルギーは狩りにぶつけて発散してしまいましょ~う。ウサギちゃんをいっぱーい捕まえたほうが勝ち! とかね」

 屈託なく笑うジャンドゥヤ。実は大いに真面目な意見であったのだが、警備隊の連中はどうも薄らバカにされている気分になってくる。一方、王室護衛隊のほうは王子ののんびりムードにすっかり巻き込まれ、皆一様に目を細めて笑みを浮かべているありさまだ。

 ぺルル・アルジャンテがむっとして口を開きかけたので、マドレーヌはとっさに角笛を吹き鳴らした。

 狩りの始まりだ。

 アルジャンテ率いる突撃隊、いや警備隊が真っ先に馬にまたがり、駆け出していった。続いて近隣諸公の招待客の面々。カイザー・ゼンメル城の主だった者たち。

 王室護衛隊のメンバーはジャンドゥヤ王子のかたわらに静かに控えていた。

「いつもながらありがたいとは思っている。きみたちが職務に忠実なのは結構だよ。だけどねえ」
 ジャンドゥヤは遠慮がちに、しかし楽しそうに続ける。
「自分の身は自分で守れるよ。諸君には別の任務をご用意しましたからね」

 ジャンドゥヤがベルガー護衛隊長に耳打ちし、隊長は笑いをかみ殺して確認する。

「本当によろしいのですね」    
「ああ、抜かりなく頼む。バレたら相当おっかないことになるからな」

 指示はすばやく隊員らに伝達され、一行は先陣を追って森へ突入して行った。その場に居残った隊長に、もう一つ指令が出される。隊長はマドレーヌにちらりと視線を投げた。

「わかりました。おまかせ下さい」
 今度は大真面目に胸を張って答える。しかし、ジャンドゥヤがさりげなくかばっている左手の様子に、顔色が変わった。
「ジャンドゥヤさま! どうされたのです? このひどいあざは!」

 ジャンドゥヤはしまった、と思いながら手を引っ込めた。だがベルガーのプロの目は、それが剣で激しく叩かれた傷に違いないと見抜いていた。

「ああ、嘆かわしい。お美しい手が。怪我ひとつされることのないよう、幼い頃からお守りして参りましたのに。あなたはいつだって我々を振り切って危険な冒険に身を投じようとなさる。……昨夜だって、どんなに心配しましたことか」

「すまなかった。ベルガー隊長」

 涙ぐんでいるベルガーの様子に王子は迷った。彼には〈黒すぐり〉の正体を打ち明けるべきだろうか? しかしそうなると、いっそう心配をかけることになりそうだ。

 理由を語れそうにない王子の心中を察したベルガーは、これ以上は追求しないことにした。しかし、いったいどこの誰が、剣の腕にかけては無敵のジャンドゥヤさまに傷を負わせたりできるのだ? 見えぬ敵に対しての怒りを、隊長はやっとの思いで抑えるのだった。

「ところで王子殿。差し出がましいようですが、狩りの服装にしては、あまりに軽装すぎますぞ。着替えが用意してあります故、なにとぞお召し替えを。いつどこから矢が飛んでくるとも知れないのですから」

「連中のクロスボウはよろいだって貫き通す。どんな格好をしていようが、矢が当たればそれまでさ」

 ベルガーが卒倒しかけたのでジャンドゥヤは慌てて付け加えた。

「大丈夫。ちゃんと避けるからって」

 カイザー・ゼンメル城警備隊の最新兵器、クロスボウ(石弓)。一般的なロングボウ(長弓)より射程距離や速度は劣るが、何より狙いがつけやすい。その強烈な破壊力によって、さほど訓練を積んでいない素人であろうと、名のある騎士を簡単に打ち倒せる危険な武器だ。
    
 そろそろあの悪名高きクロスボウを葬り去るべきだな。ジャンドゥヤは考えた。何か良い手はないものか……。そのとき、ジャンドゥヤは黒すぐりになりきっていた。が、鳴り渡る角笛の音に思考が中断された。

 見るとマドレーヌが一人、角笛を夢中で吹きまくっている。いつもの白いドレス姿ではなく、狩猟用の乗馬服に身を包んだ、なかなか勇ましくも可愛い出で立ちだ。

 くすっと、ジャンドゥヤは微笑んだ。

 笑われていることに気づいたマドレーヌは、角笛を吹こうとふくらました頬をいっそうふくらました。

「そりゃあ、あなたのフルートほど芸術的ではないでしょうけど、これでも音楽的に吹いてたつもりなんですけどね」

「じゅうぶん音楽的でしたよ。ただ、角笛がご趣味とは知らなかったなあ」

「かくれんぼの趣味よりはましでしょ? 人が悪いわ。ジャンドゥヤさまったら。あなたの護衛隊と我が警備隊のいがみ合いを高みの見物だなんて」

「早く到着しすぎたので眠っていたら、登場のタイミングを逸してしまっただけのことさ」

「あら、絶妙のタイミングでしたよ。それにしても、お昼寝の趣味もお持ちだったとわね」

「どうやらぼくたち、趣味が合いそうですね」
 ジャンドゥヤは嬉しそうに笑った。からかうつもりではなかったが、調子にのってつい口が滑った。
「ところでまくらはどうしたのです? お気に入りのまくらは」

 マドレーヌはつーんと無視して、
「いつの間にか二人だけになってしまったみたいね」
 と、愛馬にまたがり駆け出した。
「お先に、ジャンドゥヤさま!」

── 二人きりでもなさそうですよ ──。

 王子は走ってゆくマドレーヌの姿を目で追った。

 案の定、一人だけ戻ってこっそり木陰で待機していたアルジャンテ警備隊長が、さらにそのあとからベルガー護衛隊長が、そっと馬を走らせ付いていった。

「きみは狩りに参加しないの?」
 ジャンドゥヤは背後の茂みに潜み続けていた人物に、振り返らずに尋ねた。

「はい。少々込み入った事情がありまして」

「困ったことでも? 無茶しないでくれよ。何かあったらいつだって城に戻って良いのだからね」

「それには及びませぬ。マドレーヌさまを狙う人物の正体を突き止めるまでは、カイザー・ゼンメル城にとどまる覚悟ゆえ」

「きみが潜入してくれて、どれだけ心強いことか」
 王子はしみじみと感謝した。
「で、このところは?」

「事前に防ぎましたので、マドレーヌさまは気づいておられないのですが、今月に入って、既に二件ありました。散歩コースの落石と、毒針の仕組まれた指輪。城の中心部に自由に出入りできる、彼女の身近な人物に違いありません」

 王子はきつい表情で唇をかんだ。

「警備隊には?」

「知らせてあります」
 彼女は胸元から小さくたたまれた紙片を取り出した。
「絞り込んだ容疑者のリストを作成しましたので、身元調査をお願いできますでしょうか」

「情報部に照会してみよう。二日待ってくれ。いつもの連絡方法で」

「助かります。ところで昨晩のご活躍、我々〈黒すぐり団〉一同も、心から誇りに思っております」

「大げさな。黒すぐり団のスパイ網あってのことなのに」

「それもこれも、すべてはマドレーヌさまの〈夢日記〉あってのこと」

「おっと!」
 ジャンドゥヤが鋭く反応した。
「そのことは口にするな」

「うかつでした」
「文書もダメだ。たとえ暗号文でもだ」

 マドレーヌが実際の出来事を、同時進行の夢で透視できることは、誰もが知っている。しかしその能力が犯罪の捜査に秘密裡に利用されていると世間に知れたら、彼女はいっそう危険な立場に追い込まれるだろう。

「我々しか知らない。いいな」
「もう一人」
「何だって?」王子がきっと振り返る。
「当のマドレーヌさまです」

 衝撃のあまり、ジャンドゥヤは天を仰いだ。「何故バレた? だから人の日記を盗み見するのは──」

「恐れながら殿下、わたしが読むのは犯罪の部分だけ。そしてそれは彼女も今や承知のはずです」

「きみが盗み見している夢でも見たのだろうか」

「あるいは。わたしが見始めた頃から個人的内容が描かれなくなりましたから。以来こちらも正体がバレぬよう、彼女が眠っている頃合は諜報活動を慎むよう心がけております」

「気づかれている証拠はあるのか?」

「例えば先日の日記。〈ロリポップ城〉、これはテュイ-ル城の誤りですが、『銃、火薬、爆弾。城内ロリポップだらけ』、これは我々も察知して予め解除しておいた、至る所に仕掛けられたブービートラップの意味。こうしたなぐり書きの後に、しっかりした文字で『気をつけて』とありました」

「メッセージというわけか? 黒すぐり団への」
        
「あるいは黒すぐりさま個人への」
 彼女は背後から歩みより、王子の左手に薬草をそっとのせた。
「殿下、わたくしからもお願い申し上げます。どうか金輪際あのような無茶はなさらぬよう」

 王子は戸惑った。
「まずいぞ。誰か戻ってきたら、きみの正体を勘ぐられる」

「すぐに済みますから」
 手際よく包帯が巻かれていく。その隙間に暗号化された容疑者リストも包み込まれる。

「キーワードは?」
「シュヴァルツ」
「シュヴァルツ……。わかった」
「それと、当のマドレーヌさまですが、今朝はあと一歩のところで黒すぐりの素顔を見破るところだったそうですよ」

 ジャンドゥヤの頬がぽっと紅くなった。

「お気をつけあそばせ。では、わたくしはこれにて」
「馬はある?」
「いいえ。抜け道を通って参りましたので」
「ならオイゼビウスに乗って帰るといい。城までは結構距離があるからね」

 王子は待機していた白馬、オイゼビウスに合図を送った。気品と落ち着きのある美しい馬が、彼女のもとへ優雅に歩み寄る。

「光栄です。殿下」

「こちらもちょうど都合がいいのだ。フロレスタン!」

 どこからともなく黒馬フロレスタンが、待ってましたとばかりに駆けつけてきた。

「さあ、ひと暴れするか!」

 フロレスタンの背中の鞄から、ジャンドゥヤは〈黒すぐり〉の衣装を取り出した。




 鷹は枝にとまり、オレンジ色の瞳でじっと見据えていた。
 犬が吠えている。そろそろ出てくる頃だろう。ウサギか? キツネか? 

── ウサギだ! ──

 猟犬に追いたてられたウサギが茂みから飛び出してきた。鷹は大きく羽ばたくと、翼をすぼめて急降下した。と、何かが猛烈なすばやさで転がり込んできて獲物をかっさらった。

 人間だ! 人間がウサギを抱えて走り去っていくではないか。おかしい。いつもなら矢で射るはずなのに──。
 彼は戸惑いながら上空を旋回した。

 下方ではやはり獲物を失った犬たちが、やたら吠えたてている。遅れてやってきたのは馬に乗った人間たち。

「確かに追い込んだのに!」
「今日の獲物はすばしっこすぎる」
「奴だ! 奴が横取りしたんだ!」
 誰かが鷹を見上げて恨めしそうに叫んだ。
「いつもそうなんだ。我々がウサギやキツネを狩り出すことを、奴は知ってるんだ」

 別の人間が否定する。
「いや、よく見ろ。あの鷹は何も捕まえてやしない」

「ではウサギはどこに消えたのだ?」


 そう、何かがおかしい。何かが起きている。いつもの狩りとは様子が違う。
 そのとき鷹の耳に、彼だけが聞き分けることのできる遠い呼び声が聞こえてきた。

── 巣に何かあったらしい! ──

 彼は急旋回して、木々の間を忍者のごとく飛んでいった。


 作戦名【鷹は舞い降りた】

 王子から王室護衛隊に出された秘密指令はこうだ。

 本日の狩猟を徹底的に妨害せよ。
 鷹のごとく獲物を奪取し、保護すること。
 いかなる動物の命も粗末にしてはならない。

 ただし、警備隊のクロスボウには用心せよ。

 同時に、ケーニッヒス・ベルガー隊長じきじきに出された指令は、

「マドレーヌ嬢の護衛」であった。



7.「黒すぐりあらわる」に 続く……




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