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「お菓子な絵本」 3.お菓子な絵本

3.お菓子な絵本



 パジャマに着替え、真秀はベッドに潜り込んだ。急激な眠気が襲ってくる。

 ノックとともに母親が水の入ったピッチャーとグラスをトレイに乗せ、そろそろと入ってきた。
「真秀、朝ごはんは?」

 反応なし。朝から眠ってしまうところをみると、やはり体調が思わしくないのだろう。何か食べさせて薬を飲ませれば良かったと、真利江は後悔した。額に手を触れる。熱は一応落ち着いているようだ。いくつになってもあどけない寝顔。

 身じろぎして、真秀がうす目を開けた。

「真秀、何かお腹に入れないと」
「今はいらない。眠いから。何しろ、明日に備えて休むんだからね」
 真秀の声には反抗的な皮肉が込められていた。
「真秀、ごめんね。今日、わたしね」
 遠慮がちに真利江は切り出した。
「わかってるよ。例のイベントでしょ」
「午前中だけなんだけど、大丈夫?」

 真利江は時おり、ボランティアで地域の公民館などに出向いていた。ドイツ仕込みのお菓子作りの指導が主だった。

「寝てるから平気。で、何教えるの? 今回は」
「キルシュ・トルテ」
「さくらんぼ、たっぷりのケーキか。洋酒漬けの。おいしそ。お土産、楽しみにしてるから」

 息子は目を閉じて布団を引き上げた。

「国際交流会館だから、何かあったら電話ちょうだい」
 真利江は心配そうに、もう一度息子の額に手を置くが、すぐさま払いのけられる。
 頑固で、理屈っぽくて、恐ろしく真面目で、──優秀。まったく。ドイツ人と日本人の長所も短所も全部背負い込んで生まれてきたような子だわね。そう思いつつも、絶対的な母親の愛情でもって真利江は真秀を見つめた。
 ふと、いい知れぬ悲しみに彼女の表情が包まれる。
 真利江はそれを振り払うかのようにきびすをかえし、廊下へ出ていった。



── どのくらい眠ったろう? ──

 開け放しの窓から流れ込んできたそよ風に、真秀は起こされた。夢を見てたんだっけ。
 真秀は涙ぐんでいた。
 おとぎ話みたいな景色のまっただ中に、中世風の白亜の城。湖。笛の音。そう、フルートだ。男の子がフルートを吹いてた。不思議なメロディーだったな。
 んー、思い出せない。朝日が輝いてた。あんなに明るくて、きれいで……、でも、すごく哀しげな光景。

 だけど、何がそんなに哀しかったんだ? 

 あいまいな記憶をたどりつつ、真秀の意識は次第に現実モードへ移っていった。気分は以外と良さそうだ。太陽が昇ってきてる。10時か。
「よし! 起きるぞ」
 勢いよく布団を蹴飛ばす。が、台所に降りていって何か物色する気力は、まだなかった。
 とりあえず、本棚でものぞいてみよう。

 木製の文庫用の棚には、すでに廃刊となっている往年の貴重な作品──母親の本棚やドイツの祖父母宅から略奪されてきたもの──から、小遣いをつぎ込んで揃えたロングセラーものまでが、作者ごとに丁寧に分別されている。

 ヴェルヌに始まり、アシモフにクラークといった王道に、レンズマンや火星のシリーズ物、バラードやハインラインの冒険ロマンあふれる長短編、オースン・スコット・カードの連作といったSFを中心に、アリステア・マクリーンにジャック・ヒギンズといった骨太の冒険物が整然と並ぶ。

 ああ、文庫本棚の一角を物色するだけでも日が暮れてしまいそうだ。

 隣のガラス戸本棚にはハードカバーものが収められている。誕生日に、クリスマスに、折にふれて両親などから贈られた、いわゆる愛蔵版の類。ケース入りのアーサー・ランサム冒険全集。カラー挿絵の豪華なC.S.ルイスやトールキンの長大なファンタジー。アンデルセンや賢治の童話の宝石箱。
 おなじみ少年探偵シリーズに、ホームズやルパンの推理全集、『三銃士』に『紅はこべ』、『ゼンダ城の虜』といった、血湧き肉躍る古典の冒険活劇。

 並み居る勇敢な主人公の中でも、とりわけダルタニヤンやパーシー・ブレイクニーのような型破り天才タイプは、真秀の永遠の憧れのヒーロー。
 一方、真秀のバイブル『飛ぶ教室』のマルティン・ターラー、『十五少年漂流記』のブリアンや、「クオレ」のエルネスト・デロッシ、少年探偵小林芳雄のような真面目で無敵、筋金入りの秀才くんは、真秀の分身そのものであり、目標の姿。

 愛すべきエンデや、ケストナーのユーモア三部作に、ロマン派のハイネやホフマンなど、ドイツものは原語でも読むことにしていた。父親とはドイツ語で話しているので、翻訳版の既読、未読を問わず、辞書なしでも大方理解できた。

「鬼の居ぬ間に……」
 具合の悪いときの読書は厳禁だった。感情移入しすぎるから、興奮して熱が上がるのよ、と母親にいつも叱られているものだから。
 実際、真秀は物語の世界をすっかり自分のものにしてしまう才能があった。読書量はさほど多くもなかったが、気に入ったものは隅から隅まで覚えてしまう。同じ物語でも「訳が違う」と、異なった出版社のものを集めるほどのこだわりよう。『十五少年漂流記』だけでも簡単な児童書から、初版のさし絵の復刻版、完訳版まで、何冊もそろえてあった。

 どれにしようかな? ガラス戸を開いて、わくわくしながら手を伸ばして、気づいた。ないはずの本がそこにあった。

『お菓子な絵本』

 何とも奇妙なタイトルだ。

「母さんの本が紛れたかな?」
 それはずしりと手応えのある、重厚な雰囲気の豪華本であった。中世の装飾写本を思わせる、金箔が多用された唐草模様の美しい装丁。分厚い表紙をめくってみる。

 真秀は息をのみ、たじろいだ。

 彼らが生命力を持って、一斉に見つめてきたものだから。
 彼ら-それはお菓子たちだった。本と思ったのは実は箱の仕様で、様々な小さなお菓子が所狭しと並んでいるのだった。ほんのり、甘い香り。
 そして表紙の裏側、つまり箱のふたの部分にはハードカバーの絵本がはめ込まれていた。

「ミニチュア菓子と絵本の詰め合わせってわけか」

 熱のせいで目がくらんだのだ。自分に言い聞かせ、落ち着きを取り戻す。
 すべての包みには、大聖堂のステンドグラスを思わせる贅沢かつ繊細な絵が描かれていた。それぞれに人物や城などの名前が付いている。

 ジャンドゥヤ、マドレーヌ、ロリポップ、ブラウニー……。チョコレートやキャンディらしきものから、焼き菓子まで。

 これはきっと母親の冗談だな、と真秀は判断した。あの人は時々こうして、お勧めの本やプレゼント、父さんが買ってくる外国の珍しいお土産なんかを、サプライズで本棚に隠しといたりするからね。
「ならば、いただくとするか」
 一応、賞味期限を確かめておこう。あちこちひっくり返して眺め回し、ようやく箱側面の片隅に見つけた。

 賞味期限 - 永遠 -

「まったく、何考えてんだか」
 真秀はあきれた。お腹が急にすき始める。そういや朝から何も食べてないんだっけ。風邪なのに、お菓子なんてダメだよね? 思いつつも、もう止まらなかった。

 真っ先に目に付いたのは〈王子ジャンドゥヤ〉。
 チョコレートか。いかにもかっこよさそうな王子さまだ。吹けば飛びそうなほど薄い、金箔とも和紙とも思える包み。王子のイラストを崩さないようそっと開け、一口で食べる。
 なんと、とろけるような味わい! 

 かすかに? 聞こえてくる。どこからか? きらびやかな金属音。そして光。

 ジャンドゥヤは勢いよく剣をさやから抜き、頭上にすっと振りかざす。スター・サファイアの輝く「星の剣」だ。きらめく音とまばゆい光に、剣も王子も包まれて──

 うわっ、何この王子。かっこよすぎ!

 真秀は興奮に頬を染め、凛々しい王子の姿をしばし見つめ……、やがて我に返った。

「何?」

 王子の幻覚を見たような。
 おい真秀。また熱のせいってか? 想像力がすぎるぞ。真秀は自分に言い聞かせた。既に王子のチョコレートは口の中ですっかり溶けていたが、アーモンドの香ばしさや、極上チョコレートのまろやかさはいつまでも残っていた。
 夢チョコ? 幻想チョコ? こんなすごいチョコ、今まで食べたことないぞ。         
 少しの間はこのおいしい余韻を楽しもう。真秀は絵本を調べ始めた。パラパラとページをめくる。美しい絵物語。まずは目次だ。

   黒すぐり
   王子ジャンドゥヤ
   鷹は舞い降りた
   黒すぐりあらわる
   決闘
   人間チェス
   チェック・メイト
   陰謀
   白の庭で
   降ってきた助っ人
   安らかに眠りたけれど
   忍び寄る人影
   第三の人物
   弔いの鐘
   スター・サファイア
   風穴族
   ヴァンパイア伝説
   クリスタルに映るもの
   憧れの星
   塔にこもるマドレーヌ
   パラノイアのなせる業
   黒すぐりさまへ
   鷹は飛び立った
   洞窟の迷い子
   処刑
   捕われの身
   風の唄が聞こえる
   迷宮
   彼は味方だ!
   消えた黒すぐり
   エピローグ


「要するに、王子やスパイの登場する冒険物語ってわけか。こりゃ面白そうだ」

 枕を背に立てベッドにゆったりと座り直し、真秀は物語の世界に入っていった。




4.「黒すぐり」に続く……






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