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「お菓子な絵本」36.彼は味方だ!

36. 彼は味方だ!



「つまり最初からなかったのだ。最上階の廊下に通じる道なんて」
 やっとの思いで迷宮の建物を抜け出した二人は、隣にそびえ立つ丸い塔へ入った。王子の見解に真秀が補足する。
「だけど外からは廊下が見えてたし、窓もあった。じゃあ、その廊下全体がふさがれてたってわけか。ばかばかしい」

 最終手段として選ばれたのは、マドレーヌの塔に通じる唯一のルートである迷宮の建物の屋上に、隣接する丸い塔の途中の窓から飛び移る方法だった。

「うっ、高い……」
 吹き抜けの階段を見上げ、あまりの高さに真秀はめまいを起こしそうになった。

「だまされるな、ただの目くらまし」
 ジャンドゥヤは真秀の肩を叩いて陽気に励ました。
「迷宮の廊下と同じ。上に行くに従って、周りの柱を細く短く、幅も狭くしてあるだけ。階ごとの高さも少しずつ低くしてある。だから途方もなく高い塔のように見える。それに我々はてっぺんまで行くわけじゃない」
 そこで言葉を切り、真面目な表情で付け加える。

「だが気をつけろ。右回りのらせん階段だ」

「何?」

「塔を守ろうとする者に上から襲われた時、侵入者が不利になるよう設計されている。
 相手は右手の剣を大きく振り回せるが、こちらは右側が狭くなるので、剣を逆手に構えねばならない。振り降ろされる剣を受けとめながらの戦いだから、かなりの防衛力が必要になる」

「ならば大丈夫」
 真秀は剣を抜いて逆手に構え、威勢よくらせん階段を駆け上がった。
「バックハンドは得意なんだ!」

 しかし5階分も登ったかと思う辺りで息が切れてきた。迷宮で張り切りすぎたせいだ。そろそろ例の窓がある頃か……、と油断したとたん、頭上から猛烈な勢いで剣が振り降ろされた。
「うわっ!」
 バックハンドの体勢でとっさに攻撃をかわしたものの、真秀は足を踏み外し階段から転げ落ちた。
「真秀!」
 下から続いてきた王子が支えてくれなかったら、そして真秀が本能的に剣を投げ出していなかったら、とんでもないことになっていただろう。

「ほう? 黒すぐり殿は〈マシュウ〉といわれるのか」

 意地悪なその声には聞き覚えがあった。洞窟での恐怖がよみがえる。
「サバイヨンだ! ジャンドゥヤ、落とし穴もこいつの仕業。最低、最悪の奴だ」
 階段に打ち付けた、肩やひじのかなりの痛みも忘れて真秀は叫んだ。

「わかった」
 王子はゆっくりと剣を抜いた。

 悠然とたたずむその姿に圧倒されたか、サバイヨンはたじろぎ、二、三歩後退した。そして恐れを隠そうとするかのように大声でわめきながら剣を振り降ろした。
 不利なはずの下側でありながら、王子は平然とそれを受け止め、倍の力で跳ね返した。

 本物の騎士どうしの戦いなるものを間近に見て、真秀は心の底から恐怖を感じた。
 力の加減が違いすぎる。一瞬でも気を抜けば命を落とす勢いだ。昨日の風穴族とのちゃんばらが、ほんのお遊びだったことを思い知らされる。

「動けるか?」
 サバイヨンを上へ上へと追い詰めながら、王子が真秀に声をかけた。
「ええ。大丈夫」
「ならば先に行ってくれ。すぐに追いつく」
「了解!」

 真秀は剣を拾い、さやに収めた。戦う二人の下方に例の窓がある。足をかけて身を乗り出す。が、結構な高さではないか。隣の建物の屋上は真下に見えたが、その間、二メートルはありそうだった。
 しかも着地地点、つまりその屋上は淵も低く、人が一人収まるほどの幅しかなかった。見事に飛び移れたとしても、勢い余って向こう側にまっ逆さま、ということになりかねない。大怪我くらいではすまなかろう。

 しかし迷っている猶予はなかった。王子がサバイヨンを振り切って追いついてきたら、自分がじゃまになってしまう。                
 垂直ではなく、斜めに飛ぼう。そうすれば勢い余って落ちることもないだろう。
 真秀は自分が完全無敵な黒すぐりになったつもりで集中し、呼吸を整え、冷静に飛び降りた。
 次の瞬間、自分が逆さまになって落ちていくわけでもなく、屋上の淵にみじめにぶらさがっているわけでもないことを真秀は知った。

── 生きてる。とりあえず、成功したか ──。

「さ、行くぞ」
 王子が音もなく、いつの間にか脇に降り立っていたので、真秀は落っこちそうなくらい驚いた。
「サバイヨンは?」
「ぶちのめした。とりあえず階段に縛りつけてある」

 ひざをついたまま、まだ立ち上がれずにいる真秀に、王子は手を差し伸べた。
「行こう」
「ちょっと待って。まさかこの高さを立ったまま進むっての?」
「当たり前だ」
「這っていったほうが安全と思うんだけど」
「おいおい従者殿。それでも騎士のはしくれかい? 騎士というものはどんな状況においても、誇りを失ってはいけないのだ。危なくなったら支えてやる。さあぼくを信じて!」

 真秀は観念して、差し出された王子の手を握り返した。一瞬、電流のようなものが体中を駆け抜けた。それは信頼という名の、二人の絆だった。
 鳥肌が立つ。
 が、勇敢なムードはすぐにぶち壊された。真秀が慎重に立ち上がると、王子はわずか数センチの淵にさっと飛び乗り、真秀の背後に回り込んでしまった。
「きみが先」
「ずるい!」
「いいから行け。落ちそうになったら後ろから支えるから」

 実際に立ってみると、マドレーヌの塔までの距離は途方もなく長く見えた。真秀は目がくらみそうになりながらも何とかバランスを保ち、まず一歩踏み出した。
「ねえ、ぼくが落ちたときのために言っておきたいんだけど……」
「聞きたくない」
「でも、大事なことなんだ。ローズ・リラがアルジャンテの番号を-」
「こんな時に奴の名を口にするな。渡ることだけに専念しろ」

 まるでサーカスの綱渡りだった。しかも命綱はつけていない。

「下を見るな。ゴールだけ見て」

 いや、この場合、互いの存在が命綱であるといえよう。そしてマドレーヌを助け出すという共通の目的もまた、二人の確かな命綱となっていた。

 そのうち真秀は、自分が先を行くほうが楽だということに気づいた。登山でも遠足でも何でもそうだった。同じペースでも、人の背中を見て進むことより、目的地を目指しながら先頭を行く方がずっと楽だし、楽しかった。
 そしてそのことをジャンドゥヤも見抜いていた。真秀が誰かに導かれて行くタイプの人間でないことを。自分もそうだから。二人とも先頭をきって進むタイプだった。人が歩んだ道をついて行くのではなく、自身で道を切り開く。

 ついに二人はマドレーヌの塔にたどり着いた。小さな窓によじ登り、やっとこさっとこ中に入ると、そこは広々とした階段の踊り場だった。反対側の大きめの窓から午後の陽光が差し込み、上へ通じる階段は薄暗い影になっていた。そして──、

 最も会いたくない奴が、そこにいた。

「カイザー・ゼンメル城警備隊長の名において、これより先は一歩も通さぬ」
 ペルル・アルジャンテは立ち上がり、いつもの氷の表情で冷たく言い放った。

 ジャンドゥヤは天を仰いだ。
「マドレーヌ! これがきみのハッピーエンドなのか!?」

「あいにくだな、王子殿。おれは自分の意志でここにいるのだ」
 アルジャンテはすらりと剣を抜き、真秀に突きつけた。
「黒すぐりよ。今やお前はお尋ね者だ。わたしの剣を受けるがよい」

 既に真秀も剣をとって身構えていた。このにっくきじゃま者を蹴散らしてやろうと、持ち前の鋭い瞳でにらみつける。気迫だけは一人前。プロ中のプロの騎士と本気で戦う気になっていた。が、ジャンドゥヤが割って入った。
「まずはわたしが相手だ」
 言いながら剣を抜く。その姿は翼を広げた鷹のごとく勇ましく見えた。
   
「ほう? これはこれは。だが、本物の剣術はチェスとはわけが違うぞ」
 言ってから、しまったとアルジャンテは思った。わざわざ自分から負け戦の話題を持ち出すなんて。どうもこのアホ王子の前では調子が狂う……。
 プライド傷ついた警備隊長は王子に突撃した。

 しかし古今東西の戦術が語るように、先に攻撃を仕掛けた方が、実は不利なのだ。
 ジャンドゥヤは攻撃をさっそうとかわし、相手のエネルギーを消耗させた。そして時おり、からかうようにちょちょいと剣を突き出す。
 アルジャンテは熱を上げ、ますます攻撃にエネルギーを注ぐ。

 敵に心中を悟られまいと、二人は顔色ひとつ変えず無言で戦っていたが、心の中は闘争心で煮えたぎっていた。互いの剣と盾は激しくぶつかり、火花を散らした。

 そのうち、攻撃側のアルジャンテに焦りの色が現れてきた。自分の動きも考えも、すっかり読まれているような錯覚に陥りつつあった。
 処刑台での様子といい、こいつ、いつものアホ王子じゃないぞ。このフットワーク、この剣さばき……。

 アルジャンテは感づいた。奴は替え玉で、こいつこそが__、

「きさま、きさまが、黒すぐりだな!」

 正体を見破られ、ジャンドゥヤの気が一瞬だけゆるんだ。警備隊長はその隙を逃さなかった。足をとられ、ジャンドゥヤはもんどりを打って倒れた。塔の窓枠に後頭部を打つことは免れたが、胸元には剣が突きつけらた。

 真秀は飛び出し、王子に加勢しようとした。が、それは騎士道精神に反することと思い、踏みとどまる。まさか殺すまい。彼はただ嫉妬に狂ってるだけなんだ。ペルル・アルジャンテ。カイザー・ゼンメル城のトッピングにすぎない奴め。いくら彼だって──、
 
 その時、真秀の口の中にあの、銀色のアラザンの感触がよみがえってきた。

── 何て事だ! ぼくは彼を食べてるぞ? ──

 くっくっとアルジャンテは笑い出した。
「まんまとだまされてたぞ。黒すぐりが本当の姿で、アホ王子のほうが仮面だったんだ」

 だが、彼は奇妙な感情に包まれていた。ジャンドゥヤ・ブランが黒すぐりだったとは! 激しい嫉妬が渦巻き始める。マドレーヌは知っているのだろうか? 
       
「勝ったつもりでいるのだろう?」
 ジャンドゥヤの反撃は凄まじかった。
「だが、詰めが甘い!」

 何がどうなったのか? いつの間にか、アルジャンテは剣も盾も失って、窓枠の外にぶら下がっていた。

「チェック・メイト」

 片足を窓にかけ、ジャンドゥヤは悠然と、このみじめな警備隊長を見下ろした。手を差し伸べる気配はまったくなかった。

「おれよりも強い奴がいるとしたら……、おれは隊長をやめなけりゃならない。死んだほうがましだ」
 アルジャンテはすっかり観念していた。

「薄っぺらな男のプライドの為に地位も命も捨てるというのか? いいだろう。だが、下は掘だ。ここから落ちたくらいでは死にはしないさ」

 二人とも嫉妬のせいで頭に血がのぼり過ぎていた。この争いが、単なるライバル心からなるものだと、まだ気づいていなかった。ジャンドゥヤでさえも、ことにマドレーヌがからむとなると、その判断力は大いに鈍るのだった。

「いい加減にしろよ! 二人とも」
 決着をつけたのは真秀だった。
 と、同時にアルジャンテの手が窓から離れる。

「ジャンドゥヤ、彼は味方だ!」

 王子は既にアルジャンテの腕を捕らえていた。
 この瞬間、「信頼」という共通の意識が二人のライバルの間に芽生えた。

── 不思議だ。王子の目を、初めてまともに見た気がする ──。

 アルジャンテはジャンドゥヤの瞳の奥に、ある種の苦悩を見て取った。創造者の息子として、王子として、未来の王として、この世のすべての責任と期待を一身に背負って生きねばならない者の苦悩が、そこにあった。

 真秀が手を貸すまでもなく、ジャンドゥヤは片手でひょいとアルジャンテを引き上げた。

「王子。あなたにはかなわない」

 ペルル・アルジャンテは永遠の忠誠と友情を、ジャンドゥヤ・ブランに誓うのだった。




37.「消えた黒すぐり」に 続く……




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