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【感想文】伊藤計劃『ハーモニー』


伊藤計劃(Project Itoh)は、自分が学生時代から好きな作家さん。webディレクターの傍らに執筆した2007年に『虐殺器官(Genocidal Organ)』でデビューし、2008年に『ハーモニー(<harmony/>)』を発表。

2009年には、三作目のオリジナル作品となるはずであった『屍者の帝国(Empire of Corpse)』の執筆中に肺癌のため亡くなっている。(後に、友人である作家・円城塔により『屍者の帝国』は書き上げられ、共著として出版)


いわゆるゼロ年代から2010年代にかけて、3つの作品の英訳版の出版、映像化、コミカライズ等メディアミックスが進められてきていたが、今回はコミカライズ版『ハーモニー』の完結と読了を糸口に、感じたことをまとめてみることにする。

伊藤計劃の作品に一貫している、読み取れるテーマは『人の意識』『意識に影響を及ぼす言葉』『意識、言葉によって生み出される社会の雰囲気・潮流』といったもの。

著者が作品を書き進めていた当時の世界情勢として、2001年の同時多発テロやイラク戦争等、思想上の対立と各国の経済的な摩擦が絡み合い、俄に新たな世界大戦の時代を迎えようか、という雰囲気が漂っていたのかもしれない。

『虐殺器官』や『ハーモニー』は、そういった世界大戦や大災害の起こる前兆と、起こってしまった世界の姿を舞台としている。

今回、コミカライズ版で完結を迎えた『ハーモニー』は、世界的な紛争が勃発、放射能が世界を覆った大災禍の後、高度に人の生命及び健康の維持・増進が世界的に推し進められた後の社会の姿を描く。

社会の成員である一人ひとりの健康は、WHOをはじめとする世界的な機関によって数値化、データ化、そして管理され、適切な処方が薬物、食事、運動、カウンセリングといった多様な切り口から自動的に届く。

人の死、争いといったストレスフルな要素は発生しないよう生命主義という倫理観の元、教育、制度、共同体運営といった側面から矯正される一方で、個人という感覚が希薄化してしまった世界。

この辺りの世界観は、テレビアニメーションの『PSYCHO-PASS』シリーズに通じるものがあるかもしれない。あるいは、オルダス・ハクスリーの『素晴らしい新世界』や、劇場版ドラえもんの『ブリキの迷宮(ラビリンス)』。

SF小説は、古典的なものから最近のものまで読む方だが、著者の生きた時代の情勢が作品に反映されていたり、そこで描かれる未来社会像は、1つのモデルとして、私たちが取りうる選択肢の1つとして提示される等、考えさせられることが多い。

2019年12月現在の自分の生活や考え方に当てはめてみると、いわゆる機械文明やAIの発達後の、全自動化されたサービスの中で生きるというのは、性に合わない。
『ハーモニー』の世界では、「雑菌だらけだから」という理由で、子どもたちの遊び場から砂場が一掃されているが、まだまだ自分は生の自然そのものと触れ合う感覚を大事に考えている。

思想面について。世界平和に向かう思想的潮流が現れた時、それを否定するつもりはないが、現在のところは様々な宗教および政治的イデオロギーが乱立しており、『ハーモニー』における「生命主義」のような支配的なものはまだ現れていないように思う。あえて挙げるのであれば、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で挙げた「人間至上主義」といったところか。

SF世界において、自然は淘汰され、代替できる要素として描かれることも多いが、今現在の世界はSDGs等の枠組みをはじめとする自然との共存を模索することがマジョリティであり、真っ向から反対する意見は少数派だ。

ここから考えられそうなことは、『人は自然と人以外の動物を支配することを運命付けられている』という、聖書に書かれた世界観から、『人以外の多様性も尊重しよう』というパラダイムシフトだろうか。

『ターミネーター』シリーズやフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』、ジョージ・オーウェル『1984』等の世界観を眺めてみても、描かれているのは人間がテクノロジーに支配されるディストピア。

その当時の著者に描かれた未来を一部実現しつつ、今なお人は絶滅には至っていないので、決定的な破局は迎えていないのかもしれない。(もしかしたらそれは明日かもしれないが)。

最後、社会や世界という大きな枠組みではなく、身近な集団、組織、共同体がより良く過ごすためのアイデアについて。

文化や風土、人間関係の雰囲気は、多様な要素から形作られるものだろう。それは、生まれた時代、受けた教育、国、気候、地域、言語等、無数の要素から形作られるものだと考えられ、それらを包括しうる支配的な思想が現れるかどうかは、難しいんじゃなかろうか。

『ハーモニー』の世界においても、ドーム型の都市で暮らす生命主義者と、ドームの外で暮らす今の世界に近い状態で暮らす人々とが存在している。

日本という国においても地域差があり、これを地球規模に広げてみても言わずもがな。

各部族がその独自性をある程度担保しつつ、必要と思われる技術・思想を取り入れていく。そういった状況は、まだしばらくは続くのかもしれない。
もしくは、決定的な破局を地球が迎え、猶予も余地もなくなってしまうその日まで。

以上、雑多な感想文になった気もしますが、年末年始はまた色々、ゆっくりと本を読む時間を取ってみようと思います。

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