湯川 葉介

主に短編小説、ショートショート。更新は不定期です。

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  • 小説「アウスリーベの調べ」

    小説「アウスリーベの調べ」の全話をまとめています。

  • 短編小説集

    短編小説をまとめています。

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小説「アウスリーベの調べ」第1話

 赤い夕陽が差し込む廊下は、どこまでも永遠に続いていた。誰もいない教室、誰もいない校舎、誰もいないグラウンド。仄暗い赤に染められた世界は、全ての事物の営みやそれらが立てる物音の一切を奪い去ってしまった様に静まり返っていた。  そんな世界を唯一人、あてどなく彷徨い続ける少女がいた。彼女は時折立ち止まり、背後に伸びる長い廊下を振り返った。しかしその瞳に映るのは、永劫回帰する赤い景色ばかりで、別の世界へと繋がる窓枠は一つも浮かび上がらない。  溜息を漏らし、すぐ傍にある教室の立て札

    • 小説「アウスリーベの調べ」第10話(最終話)

       モデルとなって立っている時間はそれほど長くない様に感じたが、気付けば時計の針は午後零時に迫りつつあった。足腰には突っ張った様な痛みが顔を覗かせている。 「ちょっと座っていい?」  相澤に訊ねたが、初め彼の耳に沙耶の声は届いていなかった。三度目でようやく、「ごめん。気付かなかった」と反応があり、彼女はゆっくりと椅子に腰を下ろすことが出来た。  窓辺の机上には今朝沙耶が砕いた硝子の破片が散らばっていた。石を投げて窓硝子を割るなどということは生まれてこの方一度もやったことはな

      • 小説「アウスリーベの調べ」第9話

         高校へと続く通学路には朝の早い学生達の姿がちらほらと散見された。誰も急ぐ者はなく、手にしたスマホや単語帳を覗きながらゆるゆると道を歩いている。沙耶はそんな彼らの間を縫う様に走り抜けていった。後ろで一つに束ねた髪が酷く暴れ回っているのを感じたが、呼吸のリズムを崩したくなかったので構わずに先を急いだ。  学校の正門を潜ると、バックを肩に背負い直して図書館へと向かった。もちろん一階の鍵は施錠されており、この時間帯に中へ入ることは出来ない。古書室の窓を見上げることができる東側の通路

        • 小説「アウスリーベの調べ」第8話

           ゆっくり目蓋を開ける。そこは赤い夕陽が差し込む学校の廊下だった。 見覚えのある風景。長い廊下は何処までも永遠に続いていて先が見えない。ふと視線を上げると、沙耶が立つすぐ傍の教室の立て札には『二年七組』と記してあった。 「……ここは」  彼女がそう呟いた時、影になっている廊下のベンチで何者かの身じろぎする気配を感じた。誰かが腰掛けてこちらを見ている。沙耶は恐る恐る近付いていき、その姿を認めて足が止まった。ベンチには沙耶と同じ制服を身に纏った美しい女子生徒が座っていた。夕陽

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        小説「アウスリーベの調べ」第1話

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        • 小説「アウスリーベの調べ」
          10本
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          小説「アウスリーベの調べ」第7話

           歌が聞こえた。誰かが遠くで歌っている。しかし言葉ではない。メロディーとしてしか僕には聞き取ることが出来ない。ハミングしているのだろうか、ともう一度耳を澄ませたが、次第にそれは誰かが口にする歌ではなく、何かの楽器で奏でられる曲であることに気が付いた。これは確か、ロベルト・シューマンの『トロイメライ』。演奏している楽器はピアノではなく、フルートだ。僕はピアノでの演奏しか聴いたことがなかったのでその新鮮さに頬が緩むのを感じた。誰が演奏しているのだろう。浮力を使ってゆっくりと体を起

          小説「アウスリーベの調べ」第7話

          小説「アウスリーベの調べ」第6話

           画家は、街外れの住宅街から更に奥まった区画にある、小さな二階建ての木造家屋にひっそりと暮らしていた。玄関のインターホンを鳴らしてしばらくすると、扉の窓ガラス越しにのそのそ動く人影が見えた。やがて初老の男が顔を覗かせ、「やぁ、夕莉ちゃん」と言った。僕は初めてその画家を目にした時、『クロード・モネ』に似ているな、と思った。 「今日はボーイフレンドと一緒かい?」  画家が微笑みつつそう訊ねたので、夕莉は少しだけ照れ臭さそうに、 「こんにちは、五十嵐さん」と挨拶をした。  目が

          小説「アウスリーベの調べ」第6話

          小説「アウスリーベの調べ」第5話

           金曜日の放課後。夕日が照らす西校舎三階の渡り廊下に設置されたベンチで、隣り合って座る僕と夕莉は静かな会話に耽っていた。 「七年間、ずっと校内にいたの?」 「最初の数年はあの化物を探して学校中を彷徨っていたよ。でも最後の二年間はずっと古書室に籠って本を読んでた」 「何か面白い本でもあった?」  うんと背伸びをしながらそう訊ねる彼女に、僕は「まぁね」とだけ答えておいた。 「自宅には帰ってみなかったの? 優也くんが失踪してご両親は心配されたんじゃない?」  僕は小さく

          小説「アウスリーベの調べ」第5話

          小説「アウスリーベの調べ」第4話

           それからというもの、一体どれ程の間ぼんやりとした世界の中を彷徨い続けただろう。僕は自分の身に何が起きたのか知る由もないまま、ふわりふわりと月面を歩く宇宙飛行士の様に漆黒の世界と戯れていた。ある時ふと体が転倒し、水底へ沈む枯葉さながら意識がゆっくりと沈没していくのを感じた。徐に目蓋を開く。  気付けば僕は美術室の固い床の上で仰向けに倒れ込んでいた。重だるい体をなんとか起こし上げ、その瞬間に眩しい光で顔を射られる。もたつく目元を両手で覆うと、閉め切られている筈の美術室の窓外から

          小説「アウスリーベの調べ」第4話

          小説「アウスリーベの調べ」第3話

           翌日の昼休み。沙耶は美術準備室へ来るよう崎村から呼び出された。教室を出る折、他の女子達に囲まれた美咲が心配そうな顔でこちらを見ていたが、「大丈夫」と笑みながら口だけ動かし言ってやると、彼女も小さく頷きながら笑い返してくれた。  美術室は相変らず異様な程の静けさに満ちていた。かつては好ましい場所であったが、今の沙耶にとってはすっかり不安と恐怖を助長させる不気味な空間に様変わりしていた。  足早に美術室を通り抜け、奥の準備室前に赴く。扉をノックすると、「はい」という静かな返事が

          小説「アウスリーベの調べ」第3話

          小説「アウスリーベの調べ」第2話

           数枚の肖像画を手に、沙耶は美術準備室を後にした。気付けば遠くから管楽器の奏でるメロディーが聞こえ始めている。吹奏楽部の練習が始まったようだ。沙耶は小走りに廊下を駆け抜け、音楽室へと急いだ。音楽室は南校舎三階に位置しているため、北校舎にある美術室から向かうには一度屋外の渡り廊下を通り、急な階段を三階まで登る必要がある。吹奏楽の大会がある時はその急な階段を何度も上り下りして重い楽器を運び出さなくてはならないため、部員の皆からは心底憎まれている場所でもあった。  段を登って行く途

          小説「アウスリーベの調べ」第2話

          短編小説「同じ気持ち」

           遠い夕焼けが水平線の彼方へ暮れなずむ。  花火の残り香は風に流され、再び潮の香りが辺り一帯に満ち始めた。潮騒を奏でる波打ち際は夕と夜の微かな間隙に現れるプルキニエの薄い青に染まり、黒髪を白い柔肌の首筋にそっと撫で付ける詩織は浅い波間を裸足で歩いていた。私は砂浜に腰を下ろしてそんな彼女の横顔を見詰める。くすりと鼻を啜れば、二人の間に居座る気まずさが去ってくれることを期待して。 「・・・なんで?」  長い沈黙の末にしびれを切らした私がそっと問い掛ける。やや擦れたその声にこち

          短編小説「同じ気持ち」

          短編小説「還るところ」

           灰色の分厚い雲に覆われた空の下で、暗い海が冷たく波を揺らしていた。北西から吹く風はどこか肌寒く、真冬でもないのに体の芯まで脅かさんばかりに心細かった。  25歳を迎えた1週間後、僕は二年務めた職を辞した。これまで何度も職を転々としてきたが、今回が最も長く仕事に就いていたことになる。しかしそんな事実は何の慰めにもならず、かえって空疎な自尊心を傷めつけるばかりだった。  細かい砂に叩き付けられた海水が白く泡立つ波打ち際。僕はじっとその様子を見詰めたまま砂浜に座り込んでいた。重

          短編小説「還るところ」

          短編小説「君を探しに」

           いつしか僕は、大粒の涙を零しながら夜道を歩いていた。  重々しい曇天には星の瞬き一つなく、夜道を点々と照らす外灯が街外れの暗がりまで続いている。僕の背中を照らす都会の明かりが今では随分と遠ざかってしまっていた。  僕は一体、どれくらいの時間、どれくらいの距離、この暗い夜道を歩いて来たのだろうか。  昨夜、たった一人の親友が僕の家を訪れた。彼に会うのは20歳の時以来なので久しぶりの再会がとても嬉しかったが、彼は浮かない顔で僕の目を一瞥してからというもの、俯いたまま椅子に座り

          短編小説「君を探しに」

          短編小説「左手の赤とんぼ」

           一羽の赤とんぼが、麦わら帽子の淵に留まっていた。  金色の稲の海の波間を、僕は先行く祖父の後に付いて自転車を漕いでいく。夕日が雲を赤く染める頃合いに辺りを見渡せば、空中にはたくさんの赤とんぼが舞っていて、所々幾重にも隊列を組んでいる様だ。しかしながら僕は、祖父の被った麦わら帽子に不時着して羽を休めているただ一羽の赤とんぼが、特別に愛しく思えたのだった。  夕焼け空に突き刺さる長い釣り竿。1年前、祖父が裏山の竹林から見つけてきた丈夫な竹で拵えてくれたこの世でたった一本の僕

          短編小説「左手の赤とんぼ」

          短編小説「木漏れ日の道」

           ふと、空を仰いでみただけです。泣いてなどいません。流れゆく雲の隙間にあなたの影が見えた様な気がしたものですから。  僕は父を知りません。生まれた時には既に両親は離婚していて、物心つく頃には父のいない暮らしが当たり前になっていました。優しい祖父母との穏やかな生活を送る中で、仕事で忙しい母が家に帰って来るのがいつもの楽しみでした。  珍しく休日に母と二人で街中に遊びに出ると、子供連れの家族を沢山見かけました。その中には、両親に挟まれて両手を繋ぐ子の姿もありました。僕も母と手を

          短編小説「木漏れ日の道」

          短編小説「憂鬱の神様」

          ・・・もう疲れた、もう限界だ、何もかも嫌だ  溶けた泥人形の様に重い体を横たえた僕は、六畳一間のアパートの部屋で電灯も点けずに唯々暗い天井をぼんやりと見ていた。いくら寝ても取れない眠気、常に覆い被さる様にのしかかる倦怠感、目の奥にじんわりと潜む頭痛。  連休明けの最初の出勤を終えて漸く自分の部屋に辿り着くことが出来た僕は、スーツ姿のまま固いフローリングの上に寝転がり、バッグを放り投げて浅い呼吸を続けた。 「明日から連休だ」と喜びに浸っていた四日前の退勤時の自分が羨ましくて

          短編小説「憂鬱の神様」