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想いと言葉を大切にする。

 《結局放ったものが現実化しているんだ》

 よく「手放しましょう」「手放せば新しいものが入ってくる」などという言葉を耳にする。

 それはそのとおりなのだけれど、実際それを腑に落としてできているケースはどの程度なのだろうか?

 《手放せば良きものが入ってくる》
何かが欲しい時、願いを叶えたいとき……
・手放さなくちゃ入ってこない、やらなきゃ
・手放さなきゃ叶わない、でも怖い

このような思考になっていることはない?
その場合《手に入らないし、叶わない》

~しなければならないのなら、~しなければならない現実を創る。
手放さなきゃならないものを持っているが、手放せないことを現実に映し出しているだけだから……

怖いと思って手放せないのなら、怖くなる思考のループが続くことを叶えてしまう。

そう、見事に……本当にそのままこのままの思考を現実に送り出せているという事実を知ることが、望む現実を生きるための一歩。

《手放す》ことについて、自分の想いを確認するためには、順を追って自分自身に質問を重ねていくと自分で気付けていなかった思いが次々にみえてくる。それが本心なんだ。

いかに本心ではない自分を演じて生きてしまっていたかを《今》気付くことって、一瞬で流れ消えてゆく《イマ》だからこそ軌道も自在に変えられるし、本心が放つ願いを顕在化させる近道なのでは?と思う。

手放しとは不要なものを捨てるイメージなだけでなくて
人の内側でひっそりと願っている想いを、自分自身の眼で確認できるところまで世に放つ……そのイメージだって《手放す》ことの一つのような気がする。

 だから、本当の願いって、
《願ったら外側に表現して自分の中だけに留めることなく解き放つ》ことで、自分の眼が本心を観るから具現化していく、そういうことなのだ。



 人は皆、願いを必ず叶えながら日々を生きている。

辛い現状の人が、辛くない現状を望むのなら、今すぐに言葉の選択を変えてみて欲しい。

《辛くない現実になりますように》を
《安心できる現実になりますように》へ

《辛くない現実》という言葉が放っている願いは
《辛さ》があるベース(前提)での願いだから、辛いことがまず起きるループは止まらない。

と、いうことは、

《お金がないから、お金が欲しい》という願いがあったとしたら、
お金がない前提を叶えていき、無いものを望むという現実を創っているということなのだ。
この場合は、安心して暮らせるための豊かさを望むといい。

同じ望みなのに、使う言葉で願いのバイブレーションがまったく違うの。
だから、「こんなこと願ってないのに!」「どうしてこうなるの?」などというようなことが起きてしまう。

私ももれなくそうだった。
夫に怒られないような穏やかな暮らしがしたいと願っても、叶えたのは怒ってばかりいる夫に怯える生活だったり(笑)
怒ってばかりいる夫を見事に具現化していたのだと気付いた時には膝から崩れ落ちた……

 それが、自分の想いと言葉を大切にしたらどうなったと思う?
本当に変わった。怒られることどころか、怒ってばかりいる人なんかどこにも存在しない今を感じている。
怒ってばかりいる夫を登場人物に設定したのは、私の言葉だった。

一瞬での変化は難しいから、どうかタイムラグを考慮して諦めないで、深い想いに辿り着くまで自分の心に問いを贈ってあげて欲しい。そして、言葉のセレクトを大切にしてみて欲しい。

きっと、望む現実を時間差を経て味わえる時がくる。
私は、ここに記すことで、自分がどのように現実を自分好みにプロデュースできたかを覚え書きできるし、

以前の私のような自作自演と気付かないままに悩んでいる人の心の一助となれたらいいな、と願っている。

あなたは、ちゃんと望む現実を創れる。
今までも、これからも……。

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