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療養中の私を襲った、とある衝動について。

現在療養中なのだが、急に「経済的自立をしなければ! 稼ぎたい!」という衝動にかられ、行動を起こし、半日寝こむという愚行をした。

詳しくは以下のnoteを読んで欲しい。

まとめると、「やりたいことをやるにはお金がいるよね!」といろんな過程をすっ飛ばして働こうとした話である。馬鹿なのだろうか、と自分でも思う。

一日経って落ち着いたけれども思考の整理というのは必要なのでその理由を考えてみる。

理由として考えられるものを挙げて一つ一つ考えてみた。

お金が大好き

お金のこと嫌いな人いないだろうって思うけど、私はお金のこと大好きだ。どれくらい好きかって言うとお金のために早起きしたりちょっと時間のかかる移動ルートを選んだりできるくらい。

お金が大好きで、そのお金で本や漫画、推しの円盤を買うのも好きな、オタクだ。オタ活っていうのは基本的にお金と体力がないとできない。残念だけど、これは現実だ。今は体力の方もないんだけど。

そんなわけで大好きだからお金が欲しい。稼ぎたい。

お金が必要である

療養の前から大学院に行きたいと考えている。入学金とか授業料とか、その間の生活費とか必要なのである。勿論学力も必要だけど、お金がなくては受験もできない。

全部合わせてざっと数百万。そんな額をどうやったら稼ぎだせるのか。家のなかにいてそれが降ってくるならいいんだけど降ってこないから、やっぱり働くしかない! となってしまったわけである。

"稼いでる人"の前に立ちたくない

これは単純な話。経済的自立もできていない状態で、"稼いでる人"、特に身内に会いたくない。相手が私の稼ぎを気にするかどうかではない。私が、稼ぎの少ないことを気にするから会いたくないのだ。

そうは言っても何かで会わなければならないときというのは来る。葬式とか法事とか。

だったら稼いでしまえばいいじゃないか、という発想になった。いつだってレベルを上げて物理で殴るようなことばかりしてきているから、そうなるのだ。

先に言っておくと稼ぎの少ない私を身内が傷つけないなんて甘い期待はしていないし、もし万が一傷つけないとしても会うことで私が傷つくのでダメ。会いたくない。

実家を出たい

お金がないから実家に戻るわけだからお金があればすぐにでも出ていけるのである。

で、やっぱり働きたい! となる。

まあ、ごはんが出てくる生活に魅力を感じないかって言われるとそこは魅力ではあるよ。食べることへのハードルが下がるし。用意してもらったら食べようって気になる。食べられるか、は別問題だけど。

自己肯定したい

自分の意思で誰に断りもなく使えるお金のあることはそのまま自己肯定に繋がる。私稼いでる! 好きなものにお金使える! 楽しい! となるわけだ。

まあ稼ぎがあるのがそのまま自己肯定に直結するのはよくない精神構造ではある……あるのだが。

焦ってしまったのは……

とまあこんな感じだ。お金が好きで欲しくて必要で、その上プライドが高いから、ってことだなあ、これ。

それと、何か動かなきゃ安心できないっていうのもあるんだろう。今はベッドから起き上がれる日も増えたので、そうなると今度は何かやることを見つけたくなってくる。まだその段階でもないのに。

とりあえずは生活リズムを整えるのと、ごはん食べるのと、英語続けるの頑張ります。


執筆のための資料代にさせていただきます。