ユニークフェイスも「見た目問題」も何だかしっくりこない。

今日は12月19日。アドベントカレンダーを始めるには、いくら何でも遅すぎる。そんなことは承知の上で、やりたいと思ってしまったから始めた。そんな人間がここにいる。


私は、アルビノ(眼皮膚白皮症)の当事者でもあって、ライターとしてアルビノに関する記事を書くこともある。Twitterで「書きました」と報告しているのは基本的に記名記事か、無記名でも宣伝していいと言われたものだけなので、表向きすごくアルビノのことを書いている人になっているが、実際は無記名の記事もそれなりにある。

アルビノの症状は大きく分けると3つある。眼症状、皮膚症状、そして、「見た目」が他の人と大きく異なるという症状。

アルビノを含め、「見た目」が他の人と異なることで差別を受けている人々の問題を解決するために、人々は、まずその問題を名付けなければならなかった。

「容貌障害」「ユニークフェイス」「見た目問題」という言葉がそれぞれ出てきた。私は現在26歳なので、世代的には、「見た目問題」の方がよく聞く言葉だ。

でも、何かしっくり来ない。

「アルビノです」って言うのには抵抗ないけど、「見た目問題当事者です」も「ユニークフェイスの当事者です」も全部、しっくり来ない。

これには、私の考え方がかなり大きく影響している。

私はアルビノの眼症状、皮膚症状は治療されるべきものだという立場を取っている。障害の社会モデルと言ってみたって、自分の目で、拡大鏡や単眼鏡を使わずに、鮮明に見たいものはある。どんなに面倒でも日焼け止めを塗らないといけない生活も、しんどいときはある。

対して、見た目が他の人と異なるという症状は、医学的には症状ですらない、と私は思う。治療の対象とみなしていない。この見た目は割と気に入っている。でも、不都合はたしかにある、

その不都合はどこから生じるのか、なんて、考えるまでもなく、私の見た目を否定する社会から生じている。でも、私の症状が、「ユニークフェイス」とか、「見た目問題」とか、名付けられている。

”治る”べきは社会の方なのに、私の見た目の方が”治る”べきと言われている気がしてならない。もちろん、他の方々が権利獲得や周知のために、言葉を作ってくれたことには意義がある。

でも、私は、何を名付けるべきか、もう一度問い直すときに来ているのではないかと思う。問題として、課題として、社会のあり方自体が、名付けられるときなのかもしれない。


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