見出し画像

アルビノの人には、一度海外へ行くことをおすすめする。

「社会不適合と言いますが、適合しようとするその社会は『正しい』のでしょうか?」

広い講堂で、先生が問う。この先生と最後まで考え方は合わず、真っ向から反発するようなレポートばかり書いていた。それでも、あの先生の講義では、発言もしたし、資料も読みこんだ。

専攻ではないけど、私はあのとき初めて、社会について考えた。最後のレポートを書くときなんか、絶対言い負かしてやるんだって気分で資料を読みこんだんじゃなかろうか。その成果は最高評価となって返ってきた。

あれ、こう考えてみると、私、専攻よりそれ以外の講義にめちゃくちゃ力入れてない……? それでいいのか。まあそこは置いておこう。

冒頭の「社会は『正しい』のか」という問いに結論を出すには、様々な社会を知らねばならないのだと思う。今いる学校、家族、塾、会社だけではなく、もっと外の世界を知る必要がある。そう、日本から飛び出て、海外に行くといい。

それは、普通の人もそうなんじゃないの? という声が聞こえてきそうなので、ここではっきり言おう。普通の人もそうだけど、アルビノの人は特に、だ。

普通の人が海外に行って感じたことについてはそれこそ溢れるほど書いてあると思うので、アルビノとして、よかったことを書いていく。

目立たなくなる経験ができる

まず第一に、アルビノであっても大して目立たないことだ。皆さんが海外と聞いてどこを想像するかはわからないが、海外に行ってみると、日本ほど外見が多様でない国は他にないのではないかと感じるほどだ。

金髪のお姉さんや黒い肌の青年には視線が集まる。日本はそういう国である。

ところが、海外に出てみると事情が違う。皆が多様な肌の色、髪の色をしているので、アルビノも特に目立たない。私の髪の色がミルクティーブラウンであることもあるかもしれないが、行ってみたら全く目立たなかった。

日本では、「金髪を探せば優ちゃんが見つかる」と言われるくらい見つけやすかったのに、だ。

目立たないことは、視線に敏感な人にとっては天国のように思えることだろう。視線に排斥されずにすむのだから、それも理解できる。

このことを知ると、やがて気づくはずだ。外見の多様性が低い日本は、世界と照らし合わせて、何だかおかしいぞ、と。

日本は、おかしい?

そう、おかしいのである。ブロンドや褐色、白色の髪の人が髪の色を理由に排斥されることがおかしいと気づく。多様な外見は、あって当然なのである。

肌が白くないといけないとか、髪の色が明るくてはいけないなんてことは、ないのである。

よかったことの二つ目は、日本がおかしいのだと気づけ、結果的に精神の安定に繋がったことである。前半については説明してきたから、後半部分の説明にうつろう。

海外経験の記憶を忘れずに、私は日本の学校へ通った。海外経験は文字通りお守りだった。

様々な外見の人がいて当たり前の世界を知っている。それだけが、強烈なお守りだった。

いじめにはならなかったが、同級生には避けられた。服装頭髪検査でひっかかることはなかったが、地毛が明るめの子が残されるのを見ていた。そんな風に、日本の学校は、「髪の色は黒でないといけない」というメッセージを発してくるのである。

それはもう、毎日のように。服装頭髪検査などでひっかからなかった私でさえそうなのだ。配慮のない学校にあたってしまったアルビノ当事者はさらにつらいだろうと思う。

そんなときに、思い出すのが訪れた海外の学校の光景だった。黒髪も、ブロンドも、赤毛も、いて当たり前で、優劣などない。多様性が当たり前の空間。

こういう髪の色をしている自分がおかしいのではない。それが当たり前じゃないこの空間がおかしいのだ。そう思うことができた。

海外に行けば、アルビノの「見た目問題」は完全に解決する、とまでは言わない。例え海外であっても、親と全く違う色彩をもつ子どもに冷たいということはあるかもしれない。ただ、「見た目」での差別は日本と比べてぐっと減ると思う。

なるべく若いうちに海外経験を

私が学生時代、海外経験をお守りにできたことからも、海外経験は若いうちにしておくといい。

若いうちに海外経験をしておくことで、他の社会と比較し、日本を見る視点が身につくことだろう。それは、きっといいことだ。

海外、いいじゃん……! となっているところに申し訳ないが、ロシアでアルビノの方が"視力"を理由にアルバイトを断られた話もある。
https://jp.sputniknews.com/opinion/201902235954887/

また、アルビノに関してはアルビノであることでよりリスクに晒される地域も存在する。

差別のない世界にはまだまだかもしれないが、その実現のためには当事者が今いる社会を他と比較する必要がある。比較するためには、外の世界、つまり海外を知らねばならない。

執筆のための資料代にさせていただきます。