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大切なことは、篠塚先生から教えてもらった。

あなたは自分の意見を積極的に発言することができますか?

私は大人しそうに見えますが、そこそこ自己主張できるほうだと自負しています。一対一だとか、複数人だとかに関わらず、これは言うべきだと思う時は、発言することができると。

もちろん、発言するためには、自分の中で確固たる思いが必要です。もしくは、強く疑問に感じるような何かが。そしてそれを、言語化させたいという熱い感情が。


大きな団地で育った私は、小学校2年生の2学期の終わりに転校しました。
転校前は団地という画一的な住宅地で、わかりやすい核家族の中、標準化されたコミュニティの中で生活をしていたわけです。

それが、転校したことで、マンション・一戸建て・アパート・県営住宅・工場の敷地内など、さまざまな家庭住環境の存在する地域に生きることになりました。

転校生という特別な人間になったことで、学校での私の心の状態は明るさを失っていた時期がありました。
転校生という理由で、中学校を卒業するまで、特定の人からのイジメを受け続けることにもなりました。

変わってきたのは、3年生になってからです。
クラス替えがあって、皆んなが新しい友だちを求め模索しはじめた時、転校生のレッテルが少しずつ剥がれてきた気がしたのです。

新しい友だちは、毎日を楽しくしてくれました。
けれどまだ、周りを気にしながら大人しくしている自分がいたことは確かです。

それが一瞬で変わる出来事がありました。
とある授業の最中に、担任の篠塚先生が言った一言でした。

「間違ってもいいから、手を上げて言ってごらん!」

小学校の先生が、授業でよく口にする言葉なのかもしれません。この一瞬で私の気持ちが変わったのですが、もしかしたらこれまでも耳にしたことがあったのかもしれません。

けれど、とにかく変わったのです。

そうなんだ・・・。
間違っても、自分の意見を言っていいんだ・・・。


大切なことは、篠塚先生から教えてもらった。

私は自分のことを、とても単純な人だと思っています。
疑い深いところがある反面、すっと入ってきた言葉に対して、瞬時に反応して行動に移してしまうところがあります。

たまにこの性質が嫌になることもありますが、きっとこの単純さが私を動かす原動力になっていると信じています。


小学校に入ってからの担任の先生は、どの先生も若い独身の先生でした。低学年だったからかもしれません。
中学年である3年生になって、篠塚先生を初めてみた時、「あ、おばさんだ」と思いました。
そして、自己紹介で「保育園に通ってる子どもがいます」と言った時、実は衝撃を受けたのです。

当時の私は、自分の世界しか見えていませんでした。
他の友達の家の事情や、学校の先生のプライベートな生活などに、気持ちを働かせることはなかったのです。

篠塚先生も、家族がいて、子どももいるのか。
学校が終わったら、自転車で保育園まで迎えにいくのか。
ご飯作ったりするのか。

こんな当たり前のことが、小学3年生の私にとって、とても大きな気づきでした。


今思うと、周りのクラスメートも同じような感覚だったのかもしれません。
放課後の正門前で、自転車に乗って保育園に向かう篠塚先生の後ろ姿に、皆んな大声で叫んでいました。

「先生さようなら!」
「保育園行くの?」
皆んな、興味津々とばかりに声をかけていました。

ニコニコしながら後ろ手に、手を振って
「うん!皆んな、さようなら!」
と自転車を漕ぐ篠塚先生の姿を、今でも思い出すことができます。


「間違ってもいいから、手を上げて言ってごらん!」

何か差し迫って言うべきか迷う時、大人になった今でも、篠塚先生のこの言葉を思い出します。
とても大切な言葉です。


自分が母親になって子供たちに、同じようなことを言ったことがあります。
もちろん、篠塚先生のことも話しながらです。
子供たちへの思いだけでなく、自分自身へ伝えるために。


ちゃんと、自分を
生きてほしいから。

ちゃんと、自分を
生きたいから。



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