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『令和源氏物語 宇治の恋華』解説 第十三章/浮舟<一>

みなさん、こんにちは。
次回『令和源氏物語 宇治の恋華 第二百七話 小野(一)』は、8月7日(水)に掲載させていただきます。
本日は解説 第十三章/浮舟<一>を掲載させていただきます。

 浮舟
宮の姫と呼ばれていた故・八の宮の今一人の姫君は、中君の二条院に身を寄せていたものの、匂宮にみつかってしまったことで窮地に陥ります。
母である常陸の守の北の方は匂宮の非道な振る舞いに憤慨し、間近に迫る薫る大将との結婚を台無しにされては、と急ぎ姫を引き取ります。
三条のまだ普請途中の邸に姫を移しましたが、当の姫君は不安でなりません。どこにも落ち着くことがなく、またこのような邸に流されてきてしまった、と心持も暗くなるのです。
浮舟という名はまさに彼女そのものである、と私は思います。
運命という河に翻弄されて、寄る辺もなく、頼りない。
そこで薫が「浮舟」と名をつけるように創作しました。
薫が浮舟を伴い宇治に向かっている車の中での会話です。
山道に激しく揺れる車内で薫は浮舟を膝に乗せて庇うようにしてくれましたが、殿方にここまで近く寄ったことの無い姫は狼狽しながらも身の上を語り始めるのです。

薫は宮の姫をそっと抱き上げると膝に乗せました。
「このほうが少しは和らぎましょう」
身近に寄るほどに芳しい香りと高貴さにあてられて、姫君はのぼせるように口数も少なくなります。そうかといってあの匂宮が側に寄った時のような不快感はなく、まるで天人に誘われて楽土へ赴いているようなのが不思議に思われるのです。
「そう肩に力を入れずに私に委ねてよいのですよ」
「はい」
夢見心地でこれほどまでに安心して殿方に身を預けられるのが初めての経験でもありますし、宮の姫はぼうっと現実ではないように感じているのです。
「姫、辛くはありませんか?」
「はい」
それまでは殿方というものを恐ろしく思っていたものの、これほどに頼もしく心が安らぐということに無垢な姫君はときめきを覚えるのでした。
それは乙女の蕾が開こうとしている刹那。
しかし初めてのこととて怖じている姫君です。
薫は身を固くする姫の心を解そうとこの人自身を知りたいと思いました。
「姫、けして無礼なことは致しません。どうか私を信じて何なりと思うままに語らいましょう」
その薫君の誠実そうな眼差しを受けて、姫君はこれまで心に負うていたものを脱ぎ捨ててもよいと許されたように感じるのでした。
「わたくしはこれまで身の置き場も無く漂ってまいりました」
姫君の意外な言葉に薫は胸を衝かれました。
それこそ自身も感じてきたものであったからです。
「真の父に子とも認められず漂ってきたこの身には、今はまたどこへ流れてゆくのかとそればかりが不安でならないのです。わたくしはこの世に生まれるべきではありませんでした」
そうして目を伏せる姫君はまるで己を映す鏡であるか。
自分こそはこの世に生まれるべきではなかったとその身を呪って生い立った薫には姫の内なる叫びが聞こえてくるように思われたのです。
「この世に生まれて悪い存在などあるはずもない」
薫は知らず姫君を抱きしめて涙を流しておりました。
それは自分自身を抱きしめて慰めているような、己が掛けてほしかった言葉を姫に与えているだけですが、許すことこそこの姫には必要であると感じ取ったのです。
否、それは薫自身が最も渇望した言葉であるものか。
姫はその言葉に癒されて、まるでそれまでの殻を脱ぎ捨てたように涙を流しておりました。
人は生まれる時に涙を流してこの世を見ると言われております。
再び生まれ出でるのであればやはり同じように涙を流すものなのでしょう。
宮の姫は薫が涙を流すのを見て、この貴人も人に言われぬ疵を抱えているのだと悟りました。
互いに抱き合って鼓動を感じ、言葉がなくとも心を通わせる。
これは男女の情を越えての人との交わり。
「あなたはまるで漂う小舟のようにご自分をおっしゃるのだね」
そうして悲しく笑む薫に姫は答えました。
「わたくしはそのように流れてきたのですもの」
「なるほど。ではその浮舟を私の元に繋ぎとめよう」
薫はそう言って姫の額に口づけをしました。

『宇治の恋華』第百四十話

薫と浮舟はともに己の存在を疑問視しながら生きてきたという共通点があります。そこを理解し合い、許しあいながら愛を育んでもらいたい、という私の願望が現れた部分でした。

明日も解説/浮舟<二>を掲載させていただきます。



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