過去も変化していくんだよ
今朝、探し物があって、古いアルバムが入っている箱を引っ張り出した。
と、写真が入っているファイルの間に、数通の手紙を見つけた。すべて、亡き母からのもの。二十数年前に埋めたタイムカプセルのような。
あたりまえといえば、あたりまえだけれど、手紙には当時の母がいた。気が強くて、臆病で、怖いもの知らず。意外に乙女チック。理が全く通っていない。ルールも常識も自己中心。
亡母は戦時中生まれなので小学校しか出ていない。震えたカナ混じりの文字、紙面には誤字脱字が山のようにある。それでも、手紙を書くことが好きなひとだったんだと、遺品整理をしていたときに気づいた。
すべての手紙を読み返した。
今となってはたいした内容ではないが、受け取った当初は意味がわからないのと、勝手なことを羅列してと思っていた記憶がある。
それなのに、当時はこの手紙を「取っておくべき」と分類していたんだね。いまだから、母がそれぞれの手紙をどんな思いで書いたかほぼ理解できるけれど。
もう一度読んで、「よし」と思った。
そして、すべて捨てた。
母にも私にも、それらがもう必要なくなったと感じたから。
どう説明していいかわからないのだけれど、生前の母と彼岸にいる母は、同じひとなのに別人かと思うほど変わっている。妄想だとは思えない。
生前の母が常に抱いていた激しい欠乏感、渇愛の念が昇華したというか、学びが終了したのか、彼岸から送られてくるのは慈愛だけ。
やわらかでまるい、あたたかな思念。
こう感じるのは、私の中にある過去が浄化されたからなのかもしれないね。
妄想というひともいるかもしれない。
そうかもしれない。
それでも。
私がいま感じるものが、私の現実のすべてだから。
短いような長いようなひとの一生。
沢山の学びと気づきの綴織。
それにしても。
中学生の頃から「女は家事・炊事ができればいい」と母から言われていた。机に向かっていると叱られるので、隠れて勉強していた自分が懐かしい。
これも反抗の姿勢だったんだろうな。
起きて流れて消えたり残ったり。
過去はカタチを変えていくものだといまならわかるよ。
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