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社会人まいご

新卒入社から3ヶ月。
「働く」ということがわからなくなってしまったので、いったん会社を辞めました。

好きなことを仕事にして全力投球するか、仕事は生きる手段として割り切り、プライベートの時間を充実させるか。

昨年、就職活動をするにあたって、目の前にあるのはその二択だと思っていた。
どっちかしかないから、どっちかを選ぶしかない。強迫観念のようにそう思い込み、しかしほとんど迷うことなくわたしは前者を選んだ。

そこで、編集者を志して就職活動に励んだのだがうまくゆかず、書くこと以外に武器と呼べるものもやりたいことも思いつかなかったわたしは、縁あって声をかけてくれた会社でライターの職に就くことを決めた。

好きなことだからがんばれる、がんばろう、と思っていたし、それが当たり前だと信じて疑わなかった。

しかし、入社から程なくして「えっ、わたしそんなにがんばれねえな」ということに気がついてしまったのだ。

好きなこと・やりたいことの近くにいるはずなのにいったい何故なのか。
戸惑いを感じるとともに、とんでもなく自己嫌悪に襲われた。

「期待を超えられない」ですらなく、そのかなり前段階である「期待を超えたいと思えない」なんて、想像もしてみなかった。
そんなことは会社に対してもお客さんに対しても大変無責任かつ失礼だし、お給料をもらって働く会社員として、ひいては一社会人としていったいどうなんだと思った。

やる気がないわけではなかったので、目の前のことには当然懸命に取り組んでいたが、良くも悪くもただそれだけで、それ以上がんばらねばならない理由がわたしにはわからなかった。

それでもばんばん成果を挙げられる「優秀な人材」であればまだ良かったがそうでもなく、というかまだそれを判断できる段階にも達していない時点ではあったが、そのままの気持ちで働き続けることに耐えられず、またそれ以外にも諸々の理由が積もった結果、いったん働き方と職場を変えてみることに決めた。

「好きなこと」じゃなくていい。
むしろ変な幻想を抱かぬためにも「嫌じゃない」くらいのことに携わって、それなりの力で働きたい。

仕事をするうえで自己実現を目指したいと思えないし、これで誰かを救いたい! といった使命感なんてもっとない。
しかし、そのことにどうしても罪悪感をおぼえてしまうのだけど、わたしはそれでいいのだろうか。

「あの、みんなそんなもんやで」

自分が何が言いたいのかもよくわからぬまま、半泣きでくだを巻くわたしに向かって、友人はこともなげにそう言った。

「『嫌じゃないな』くらいの仕事に就いて、趣味に生きてる人なんかなんぼでもおる。
むしろそういう人が大多数なんじゃないかな」

そう前置きしたのち、こう言った。

「好きなことじゃないと、正社員じゃないとって、いったい何の呪いなん(笑)
もっと気楽に考えたらいいんやって」

えっそうなん? と思った。
そんな話はじめて聞いたよ。いや、それともこれまで頑なに聞こうとしなかっただけなのか。

10年来の友人からほぼ初対面の人にまで、会う人会う人に片っ端からそんな話をぶちまけ、それは勿論、「何を甘いことを言うとんねん」としばかれる覚悟で挑んだのだが、誰一人としてそんなことを言う人はおらず、いやそれはみんな優しい大人ばかりだったからかもしれないが、しかし。

「たとえ仕事とは関係がなくても、あなたは人生の目的がはっきりしてるから大丈夫。なんとでもなるよ」

と、口を揃えるのだった。

「いつかはそれを仕事にできたら最高ですね」
人生の大先輩である、ある女性編集者の方はそう言って優しく微笑んだ。

「働く」ことを考えるにあたって、ほんとうに「腑に落ちた」と思えた言葉が、現時点で二つある。

一つは、漫画家・はるな檸檬先生がインタビューの中で話していた「自分の得意なことが誰かの役に立つ、それが仕事の本質だと思うんです」という言葉。
(とても良いインタビューだったのでぜひ前編から……!)
(そしてこのインタビューのテーマである漫画『ダルちゃん』も素晴らしいのでぜひ。わたしが書いた感想エッセイはこちら)

そしてもう一つは、映画『愛がなんだ』の主人公・テルコが放つ「社会を回すために働いてるわけじゃないしね」というセリフだ。

りっぱな大人が語る仕事論の大半に対しては「うるせえ!」と感じたり、「そんなに上手くいくわけないやん」といじけたりしてしまうわたしだが、この二つに関しては、素直な気持ちでそうだなあと思えた。

背伸びすることなく、気取ることもなく、綺麗事でまとめるでもなく。
自分の中の指針として大事に持ち続けていたい、と思ったのだった。少なくとも今は、だけれど。

いわゆる「好きなことを仕事にしている人」をわたしは何人か知っているが、その人たちが現在の仕事に行き着くまでの経緯は実にさまざまだ。

幼少期からの変わらぬ夢を実現させている人もいれば、一定期間休止したのちに原点回帰した人もいるし、ある人との出会いをきっかけにのめり込んだという人もいれば、「『好きなこと』を探すため、片っ端からいろんなことに挑戦する」という通常とは逆の攻め方をした結果、今の仕事に就いている人もいる。

そして、その人たちが現在の仕事に出会った年齢は、今のわたしよりもうんと上だったりするのだった。

この先、何が起こるかわからない。
「これで生きていくしかない!」と強く思えるようなものに出会うのかもしれないし、「社会を回すためにガンガン働きたい」と熱く思うようになるのかもしれない。

今の自分の考えていることが正しいのかどうかなんてわからないし、働く意味なんてこの先もずっとわからないままかもしれない。

今回の転機は、長い目で見ればごくささやかなものなのかもしれないが、「わからない」という今の気持ちを、果てのない不毛な葛藤を、たくさんの人に助けてもらったことを迷惑をかけてしまったことを、これからも忘れずにいたいと思う。

今後自分はどんな働き方をしたいのか、どんな仕事に就きたいのか、自分の気持ちに嘘をつくことなく焦ることなく、見つけていきたいと思います。

(って、みんなこういうことを就活で考えてたんですよね!!
気づくのが遅すぎたことに気づいたときはさすがに笑いましたが、まあ「好きなことを仕事に!」ってことしか考えてなかったあのころの自分に忠告したところでどうせ聞く耳を持たなかったはずなので、仕方あるまい。)

※本文の中には多数の矛盾・破綻が見受けられますが、とっ散らかった筆者の心境を鑑み、そのままの記述といたしました。
いずれも真実の気持ちなのだと解釈していただけると幸いです。

「大人って、たのしいんだよ」とほころばす
わたしはそっちへ進むときめた

#エッセイ #仕事

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