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まっすぐなひと

夏が来ると思い出す。

吹奏楽にこの身を捧げた中学・高校の6年間。一年の集大成ともいえるコンクールの地区大会が、毎年7月に開催されるからだ。

部活全体で目標を掲げ、5〜6月ごろからコンクールに向けたスパートがはじまる。

時は高校三年生の春。
学生最後のコンクールを目前に控え、わたしは日々頭を悩ませつづけていた。

部活を取りまとめる副部長に任命され、少なからず張り切っていたのだと思う。

ここ数年達成できていなかった県大会への出場を、自分の代でなんとか果たしたい。
その一心で練習メニューを徹底的に見直して質の向上を図るとともに、練習量を増やすことにも注力した。

朝練自由参加、基礎練習の不徹底、何をやっているのかわからないパート練習に、気分で行うセクション練習。
不満も不足もあまりに多い現状に焦っていた。中学時代、全国出場を目指す吹奏楽部に在籍していた経験から、そもそも量を増やすところから始めなければならないと信じて疑わなかった。

忘れもしない、あれは5月の、野球部の応援演奏に行く前日のことだ。

当時、部活終わりに毎日、顧問と部長、2名の副部長の計4名で、ミーティングの時間が設けられていた。
その時、応援演奏の終了後に学校に戻ってきて練習するかどうか、という話になった。

「絶対にするべきでしょう」
わたしは強く言い切った。

コンクールまであと2ヶ月と少ししかない。試合が終わるのは確か14〜15時だった気がするから、帰ってきてから数時間は練習できるじゃないですか。

「うーん、それはどうかなあ。みんな疲れてるやろうし」

今のわたしとそう年齢の変わらない、当時の顧問・K先生は言葉を濁した。

「そんなこと言っても、今のレベルのままじゃ県大会なんて夢のまた夢です。もっと練習しないとだめだと思います」

なおも食い下がるわたしに、K先生は静かに言い放った。

「みんながみんな、中学時代あなたみたいに練習してきたわけじゃないんやで。そこを強いるのは間違ってる」

今となってはもう本当にその通りですよねと心の底から思うのだが、現在に数倍輪をかけて頑固だった当時のわたしに、それを理解するのは無理だった。

なんでわかってくれないのだと、どうしてそんなに甘いことをいうのだと、そしてそれを自分の力では覆せないのだということが悔しくて悔しくて、わたしは泣いた。

隣では、部長と副部長の友人が、困ったようにわたしの背をさすっていた。

謙遜でもなんでもなく、自分は良いリーダーではなかったなと蘇る記憶があまりにも多い。

正論を真っ向からぶつけることが正解だと思い込んでいたから、衝突することも嫌われることも厭わずに、感じたことをずけずけ言った。

思い出すと今でも頭をかきむしりたくなるのだが、全部員の前で同級生の女の子たちを泣かせてしまったことがある。

一生懸命練習していたことを知っていても、前回の合奏時と変わっていなければ「いったい何をやってきたの?」と口にしたことも、自主練習の参加者を募る際、友達と目配せをする部員に「ちゃんと自分の意志で決めてください」と言い放ったこともある。

それが正しいのだと信じていたくせに、だれかを傷つけてしまうとその事実に耐えきれず、いつも自己嫌悪で死にたくなった。
隠れてひとりでしくしく泣いたりしていたこともある。まったく、軸がぶれぶれである。

それでも、穏やかで優しい部長と誰からも好かれる副部長の二人が部員へのフォローを一手に引き受けてくれたこともあり、なんとかかんとか部活は様になっていった。

なんとなく吹ける、がゴールとして蔓延していた状況を一新し、和音ごとのピッチや連符の粒や、音量のバランスなんかをしつこく細かく調整した。
合奏中に気になるところを片っ端からメモしてスコア譜を眺め、茹だるような暑さの中、気の遠くなるような作業を延々とくり返した。

すると、全体のサウンドが明らかに違ってきたのだった。

次第に現実味を帯びてゆく目標に、部員の熱量も上がっていった。
その結果、4年ぶりに地区予選を突破し、県大会への出場を果たすことができたのだ。

しかしその間も、K先生との諍いは依然として発生していた。
いずれも前述したような内容で、だいたいわたしが一方的に突っかかり、それをなだめられることが多かったように思う。

先生の誕生日をサプライズで祝ったり文化祭で一緒にふざけたり、高校生らしいこともたくさんしたし、それらはどれも楽しかったけれど、どこかでわだかまりのようなものを感じたまま、わたしは引退の日を迎えた。

「今まで、本当にありがとうございました」

後輩たちからもらった寄せ書きの色紙には、顧問の先生方からのメッセージも寄せられていた。

一つひとつ読み進めるうち、K先生からのメッセージに目が止まった。

今でも忘れられない。そこには一言、

「あなたはまっすぐです。」

と、書かれてあった。

どんな労いの言葉よりも、どんなに素晴らしい賛辞よりも、その一言が胸に刺さった。

褒め言葉のつもりで書いたわけではなかったのかもしれない。
けれど、当時のわたしの幼い主張を、稚拙な反論を荒削りな熱意を、決してなかったことにはしようとしなかったこと、きちんと「対人間」として向き合ってくださったのだという、その事実にわたしはとても胸を打たれたのだった。

その色紙を見た母は、あれから数年が経った今でも時々「あのときのK先生のメッセージ、たまにふっと思い出すねん」と言う。

夏が来ると思い出す。

今以上に未熟で不器用で融通の利かない、女子高生だった自分のこと。
掲げた想いにまっすぐで、迷う暇もなく全力で突き進んでいた自分のこと。

あの頃の自分に、あのメッセージに恥じない生き方を果たしてできているだろうかと、時々ぼんやり考える。

あれから6年ぶん、きちんと歳をとった自分は、多少の小賢しさを身に着けた。

適度に手を抜くことも
へいきで嘘をつくことも
無責任に投げだすことも
本心を隠して繕うことも
かなしいときに笑うことも
戦う前に逃げることも

たやすくできるようになってしまった
わたしは、今でも胸を張り
「まっすぐです」と言えるだろうか。


#エッセイ #夏 #青春 #吹奏楽 #部活 #生き方 #人生

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